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2022年05月22日00:00

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〔アレルギー〕痒疹型。

 私は、産まれて直ぐに「軽度の喘息」にかかりました。それが、小学生から中学生までに、「花粉症・慢性鼻炎」になり、中学生の時に「アトピー性皮膚炎」になって行きました。当時は、「花粉症」なんて言葉も知られていなくて、全部ひっくるめて「慢性鼻炎」と言われていました。一年中、花粉症なんで、どれだけしんどいか判って貰えるでしょうか?。
 中学生の時にアトピー性皮膚炎となって、看て貰った病院が生野区の親戚の家の近くやったので、学校を休んで通っていたのですが、当然ですが無理なので、月1くらいで通う様になったのですが、当時は未だ「ステロイド」が斬新な薬と言われていた頃で、処方されるのはあまり効かない塗り薬だけでした。
 高校生になった頃、アトピー性皮膚炎が全身に出来ていて、目に見えて嫌やったのが、頭皮のフケです。触らなくても机の上などが白くなるくらい出ました。当時の友人や先生は、「アトピーって何?」と言う程度やったので、理解してくれる人というのは希でした。
 高校を卒業して社会人になると、今ど゛は痒みと仕事のストレスで、あとぴーせいひふどんどん皮膚がタダレていって、"体中に商品の梱包に使われる「プチプチ」が全身に在る"と言う状態になって、痒くて掻くでは無く、プチプチを潰す欲求になっていきました。
 仕事は頭脳労働より肉体労働になってきて、たとえば鉄筋のマンホールにドリル(ホール・ソー)で穴を開けて、粉状の奮迅が宙に舞って、皮膚炎のタダレていった場所の液体で再度コンクリになるという状態になって、「コンクリートを剥がす=皮膚も一緒に剥がれる」なんて日常になって、着ているパジャマや布団も全身の体液で毎日「剥がして出勤」していました。それが限界になったので、「救急車呼んで」と私は言ったのですが、親戚の兄に来るまで運んで貰いました。向かったのは近大付属病院でした。
「即・入院」と言われたのですが、いきなり入院で仕事の事もあるからと、翌日からとりあえず仕事をして、「ベッドが空くまで」に仕事はして良いけど、ハードなのは無しという事で、店長に言ったのですが、「痒いくらい、我慢出来へんのか?。世の中には死ぬほど痛い病気の人がたくさんおるンやで?」なんて言われる始末。
 入院してから「学会」に主治医が行ったので、看護士さんに薬を塗って貰う毎日を過ごしていたのですが、病名「ようしん型アトピー性皮膚炎」と言われました。痒みは普通のアトピー性皮膚炎の3〜5倍以上、四六時中、虫が這っている様な痒みが続いて、大阪では5人目の患者ですと言われました。
 取り敢えず、どの薬が効くのか試してみたのですが、最悪のステロイド、"デルモベート"を全身に塗ってなんとか「マシになった」って感じでしたが、入院から通院で週3回、デルモベード6本を通院で処方して貰っていたのですが、治療費が借金しないとやっていけなくなり、しかも主治医が勝手に替えられて大変な状態になったので、他の病院に変わったのですが、だんだん仕事も辞めたし、市役所に行っても治療費が出るシステムとか無かったので、保湿薬だけで何とか頑張って、ステロイド抜きを達しました。
 とにかく、何度もシャワーを浴びて、ケロイド状態を無くしていって、ボディソープを薄めて泡立たせて、手で全身を洗っていったのですが、プチプチの水疱は今でも直っていませんが、だいたいの場所は痒いときもあるけど、人前に出られるくらいにはなりました。現状もそのままですが、保湿剤とVG軟膏(軽めのステロイド)とで、何とかしています。
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