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2020年01月27日14:48

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時代を越えて(191) BSフジ「阿久悠その創作の原点 劇画家との運命の物語」

 1枚目 上村一夫「悪魔のようなあいつ」の漫画と阿久悠「時を過ぎゆくままに」
 2枚目 上村「関東平野」
 3枚目 瀬戸内少年野球団の碑(高田屋嘉兵衛公園)

 阿久悠、本名・深田公之1937−2007、上村一夫1940−1986、久世光彦1935−2006

 1.再放送だったが、阿久悠のドキュメンタリードラマを見た。語り手は息子さんで、生まれ故郷の淡路島にも取材していた。で、驚いたのは、劇画家の上村一夫と親友だったこと。私は、長い間くすぶっていた大学の最後の時当たりだったと思うが、同級生がたまり場に置いていった漫画本で上村一夫の「同棲時代」もあった。ただし、まったく上村には関心がなく、ちらっと見るだけで読むことはなかった。読んでいたのは、おそ松くん、白土三平やつげ義春などだった。
 それに阿久悠を意識したのはここ十年ぐらいだと思う。むろん名前は知っていたし、歌も聞いていたわけだが、歌と作詞家が一致しなかったので。
 それでも私にとっては、二人は異色の組み合わせなので日記にしようと思ったのである。

 二人が出会ったのは、淡路島から明治大学に入学し、広告代理店に就職して企画の仕事をしていた時に、絵の上手な上村がアルバイトとしてやってきたとのこと。美大生の上村は絵ばかりではなくギターを弾き、作曲もできた。それで、毎日のように、阿久が作詞し、上村が作曲して半年ぐらい歌っていたのが作詞家修行になったとのこと。
 
 2.上村の漫画「同棲時代」1972−73は、すぐに沢田研二主演で映画化された。私は映画も見ていないが、歌は聞いている。
 上村は、このテーマは同じく同棲を描いた漫画で、林静一「赤色エレジー」のパロディだといったとのことだが、私は知らなかった。あがた森魚の不思議な魅力のある歌は知っていたが。何がテーマなのか? 昭和四年というから2・26事件や昭和不況の世相をうたっているものとばかり思っていた。今見たら昭和余年となっていて、年までは特定していなかった。
 「同棲時代」の翌年が「神田川」だった。これは知っていたし同棲がテーマだということも分かっていた。要するに、このころに同棲テーマが流行っていたのだ。そもそも芸術志向の青年が同棲するのは十分考えられるし、そのころ知り合った演劇青年が男女で恋愛の芝居をしていたら、実際にそうなると言っていて、なるほどと納得したものだった。

 2.三億円事件(1968年)に触発された「悪魔のようなあいつ」1975 は阿久悠の原作に上村が漫画をつけたもので、すぐに久世光彦によって沢田研二主演でテレビドラマとなった。主題歌は阿久悠作詞の「時の過ぎ行くままに」である。
 久世のものではバラエティ・コメディみたいなドラマ「ムー」を見ていた。しかし樹木希林が久世の不倫を告発(1979年)したことでテレビドラマはなくなり、作家となった久世のものを愛読していた。
 その久世と阿久悠が一緒に仕事をしていたことは知らなかった。もっとも私が知っていたのは歌だけだが。

 3.上村一夫が千葉県八日市場市に疎開していた少年時代の自伝漫画が「関東平野」(1976−78)である。続いて、阿久も自伝小説を書いた。「瀬戸内少年野球団」(1978−79)である。今、彼の郷里の洲本市都志にある高田屋嘉兵衛公園に、少年たちの群像が立っている。
 彼は少年時代に毎日のように水平線を見ていたという。島を出てこの先に行こうと思っていたのだろう。その点では、司馬遼太郎「菜の花の沖」の高田屋嘉兵衛と同じ志を持っていたらしい。嘉兵衛もここの出身なのである。
 一方、上村は地平線を見ていたという。八日市場市は九十九里浜の北の方で、平野の真ん中とはいかないが、少年の目には遮るもののない地平線に見えたのだろう。
 そして二人には地平線と水平線が交わって、それぞれの天職が見つかったという思いだったに違いない。
 早世した上村一夫の弔辞で、阿久は、その後の二人の出会いからの物語を、二人で書きたかったと述べている。
 

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