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2020年01月20日09:47

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精神の物語(81) 竹内信夫「空海の思想」ちくま新書2014

 1枚目 香川県の満濃池。日本最大のため池であり、空海が改築したとのこと。
 2枚目 全国にある空海伝説井戸の一つ。雲仙市。
 3枚目 阿含宗の祭り。京都の東山の上に本山がある。私はいたころにはなかったのだが。阿含宗も密教系で、山伏の姿をしている。 いずれもネットから。

 著者は1945年生、東京大学とソルボンヌ大学卒、東大教授。専門はフランス文学(マラルメ、ベルクソン)、50歳の時から空海研究。

 空海(774−835)は弘法大師として伝説に包まれた人である。その著作もほとんど写本であって、空海の真筆は少ない。幸い高野山大学が長年の古写本調査に基づいて「定本弘法大師全集」全十巻を刊行した。私(竹内)の研究もこの全集が基になっているが、それでもこの中に後世の書き込みが空海のものとして紛れ込んでいる。史料批判が不可欠である。

 日本人に親しまれている弘法大師は空海という実在の人物をモデルにして中世の日本人が作り上げた物語の主人公である。延暦寺の最澄と伝教大師は一致しているのだが、空海と弘法大師はかけ離れた存在と言わねばならない。

 1.空海思想の構造と展開
 前提となるのは、心を重視した菩薩仏教(一般には大乗仏教であるが、一種の差別語なので竹内は使わない。悟りを開いてもこの世にとどまる菩薩を重視しているので菩薩仏教と呼ぶのである)の展開である。
 空海は少年の時に菩薩仏教に触れて「菩提心」を起こし、自分の心を如実に知ろうとした。
 その心を持って、ー分は衆生(動植物を含めて)の恩になっていることを自覚し(四恩の自覚)、
 父母によって与えられた身をもって悟りを開き、仏になる(即身成仏)、
 正しく(サンスクリット語で)仏や菩薩たちの名を唱える(マントラ、真言)修行をする。 

 大日経(密教)は最後にまとまった菩薩仏教(大乗仏教)の経典であるが、それまでの顕教経典との違いは仏に至る手段方法(方便)を重視し、修行の目的にしていることである。
 私(竹内)が研究するのは、菩薩仏教の偉大な実践者としての空海であって、真言宗開祖という小さい場面での空海ではない。

 2.空海の願文
 大宰府少弐田中氏の母の命日の法要を行う時の願文で、その内容は、供物をささげたうえで、仏陀に亡き母と君主、田中一族の安寧を願い、あわせて、すべての神々、すべての命が仏陀の宮殿に招かれることを願うものである。
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 千手千眼大悲菩薩(観音菩薩 マンダラからの画像)
 四摂八供養摩訶薩埵(まかさった マンダラの中心に位置する大日如来を囲む如来や菩薩群) 注:菩提薩埵とは菩提(悟り)を求めて修行する大衆(動植物も仏陀も含めて輪廻をめぐって生きているもの)の意味。略して菩薩。従って、摩訶薩埵は偉大な(まか)大衆の意味になる。
 妙法蓮華経(写経) 初期大乗仏典(西暦起源から2世紀まで)
 般若心経(写経) 初期大乗仏典
 なお、空海の属した密教の根本経典である大日経は7世紀で、最後の大乗経典になる。ただし、教主である大毘盧遮那仏は初期経典に属する華厳経の教主(つまり奈良の大仏)でもあり、密教が華厳経の後身であることを示している。

 願文の中で、すべての神々や動植物の命の安寧にまで広げるのは珍しいとのこと。この神々とは、要するに日本の神々であり、神仏習合を目指しているのである。
 
 ★海風:
 妙法蓮華経(法華経)は聖徳太子が解釈本を書いたとされていて、最も早い段階で日本人に親しまれたていた経典。これが現世利益・現世浄土を説くものであって、法華経では死に行く釈迦は、弟子たちに「阿弥陀仏だとか自分たちの浄土を作った如来たちに頼らず、お前たちでこの世を浄土にすること、私釈迦も輪廻して別の人間として別の場所で活動を続ける。このことを多くの人に伝えて、みんなでこの世の浄土を作ろう。お前たちも何度も人間として生まれ変わる。」との趣旨を遺言した。
 この法華経は全部の宗派で経典とされているのだが、特に日蓮宗では法華経だけを経典として、他の経典を排斥し、さらに時の支配者の政治力で一気に浄土を作ろうとする傾向にある。日蓮はしつこく北条執権に説得して、逆に嫌われてしまったわけで、今の創価学会が政治活動に熱心なのも政治力を重視しているから。
 しかし、行基や空海の社会事業もこの法華経の目的に沿ったもののはずで、日蓮はかなり法華経の趣旨を狭く解した人物だったように思える。

 もっとも皆が皆政治的であったわけではない。江戸時代の始まる前後の尾形光琳や長谷川等伯、本阿弥光悦などの画家、芸術家は日蓮の信者だった。彼らの芸術はこの世の浄土を描こうとしたものに違いないし、ネットのブログによれば江戸末期の葛飾北斎なども日蓮宗だったとのこと(私は知らなかった。後で確認したい。)。むろん、宮沢賢治のイーハトーヴォのファンタジーも同じである。

 3.即身成仏とは何か
 五大(地・水・火・風・空)と人の意識、併せて六大は、妨げられることなく相互に行き来し、同時に一つのものである。
 これを図像で表現したのがマンダラである。
 人には身密、語密、心密の三密が備わっている。だから仏陀の加護を人々は感じることができる。(つまり加持)
 帝釈天(インドラ)の宮殿にかかっている網に提げられているすべての宝珠が、互いを映して輝いている。このように、私たちの世界が光り輝く生命世界であることを、わが身において知ることが、即身成仏なのである。

 ★海風:
 ネットをあさっていると、宮沢賢治の「雁の王子」と「インドラの網」という二つの童話は一対のものだとの説があった。http://www.kenji-world.net/works/works.html

 即身成仏しても生きてこの世にいるわけで、帝釈天(インドラ)の宮殿もあの世のことではない。

 4.曼荼羅とは何か
 マンダラは大日如来を中心として、如来や菩薩の関係を描いたものであるが、全体が世界であり、それは大日如来から発していること、そして大日如来に収斂していくことを見るのだとのことである。
 大日如来(大毘盧遮那仏)は太陽神である。また、空海が室戸岬で修行した虚空蔵求聞持法とは、虚空蔵菩薩のマントラを1万回となえるという修行であるが、この虚空蔵菩薩は明けの明星の神であるとのこと。
 密教は、釈迦の創唱した仏教というよりは自然を崇拝し祈った原始信仰に還ったのではなかろうか、と思えてくる。

 日本の密教は、役行者が創始者とされる修験道(山伏)と一体化している。修験道とは古神道の自然崇拝から生まれたものとされるのだが、太陽神を主神とする密教と習合しやすいはずである。そもそも日本の神仏習合も密教が主導したものに違いない。

 ★海風:まとめ
 この著作は空海本人の思想を、その中心部分を詳しく解説したものなのだが、それでも難解には違いない。むろん、部分的にはよくわかる。即身成仏は、山形県などのミイラ仏のことで、断食の末に体を乾かして、そのまま仏として祭られるものだと思っていたが、そうではないとのことである。
 確かに、釈迦も生きているときに仏陀になっているはずだし。

 本書の特徴は、史料批判のうえ空海が書いたと根拠づけられる文章だけで、空海の思想を解釈したものなのだが、それはそれとして、それで空海のすべてが分かったことになるのかといえば、そうは思えない。
 なぜなら、空海が唐留学から帰って最初に書いた文章(田中氏の亡母のための願文)には、法華経がささげられている。法華経はこの地上をそのまま浄土(現世浄土)にするという、他の大乗仏典(来世浄土)とは異なる立場なのだが、空海の主張する生きたまま仏になるという思想と対応していると考えざるを得ない。
 ここに注目して、日蓮は他の浄土経典を否定したし、宮沢賢治もそれに従ったのである。不思議なことに、宮沢賢治研究者のブログには、空海が書いた帝網(インドラの網、元は華厳経にあるとのこと)を使った賢治童話が解釈されている。
 となれば、空海も現世浄土を目指していたのではないのかと思わざるを得なくなる。

 空海伝説といえば、杖で地面を叩いて井戸を掘るように教えた空海井戸の伝説だろうが、香川県にあるため池としては一番大きいとされる満濃池改修工事を請け負ったのは事実のようである。空海が唐に留学した時に、水利工事の技術を学んできたとされている。
空海の唐留学は20年間の予定であったが、実際は2年間にすぎなかった。密教を死の直前の恵果から半年で学んで金剛遍照の名をもらっている。つまり、空海は、留学前の空白の7年といわれる所在不明の時期に大日経を学びや虚空蔵求聞持法の修行を終えていて、恵果からはいわば卒業証書をもらっただけで、その後は水利工事の技術などを学んでいたとのことである(ウィキによる)。
 確かに、空海の生まれた香川県は山が迫っていて大きな川のない地域だった。安定した稲作のためにはため池が必須だったのである。

 空海より先にたくさんの水利工事・土木工事をしたとされるのは行基(668−749)である。これは伝説ではなく事実なのだろうと思うが、その業績を認めた聖武天皇が大仏造営を任せたとされている。
 この大仏は大毘盧遮那仏であり密教の大日如来と同じなので、空海は行基のことを知っていたはずである。いずれもこの世を浄土にしようとした活動だったと思う。

 仏教は人間の、さらに広く生命あるものの四苦八苦の中での輪廻転生から逃れる信仰であり、修行だとされているようだが、その考え方は間違いではなかろうか。初期大乗仏典の法華経のように、この世の浄土が実現すれば四苦八苦は、無くならないにしても大幅に減ることは間違いない。確かに、弱肉強食はそれが生物の由縁であって、宮沢賢治のように苦しむのは行きすぎなのである。

 著者の竹内は、空海は菩薩仏教(つまり大乗仏教)すべてを一つのものと考えていて、密教は教えの手段と位置付けていたという。したがって、真言宗などと一宗派を立てるつもりはなかったとのこと。高野山はその修行の場だったのである。しかし皮肉なことに最澄の延暦寺の方がその後の仏教の大学だと位置づけられてしまったのだが。やはり京都の近いことが有利に働いたのだろうか。

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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月22日 08:35
    空海については、密教を中国から日本に持ち帰った学僧で、高野山に
    金剛峯寺を開き、民衆から弘法大師として、崇敬されたという歴史教科書の
    知識しかありません。

    ただ、司馬遼太郎のエッセイで、空海の願文として紹介された、以下の言葉
    は、強く印象に残っています。悠久の時空の中での人類に対する壮大な願いでした。

    「虚空尽き 涅槃尽き 衆生尽きなば 我が願いも尽きなむ」
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月22日 15:15
    ヤマヤマさん
     著者の竹内氏のの主張とが逆に、延暦寺の方が日本仏教の中心になりましたね。ただ、神仏習合を進めたのは密教に特化した真言宗の方だと思います。そもそも密教の神である不動明王などの明王はヒンズーの神を取り込んだようですし、同様の関係を日本の神とも結んだのでしょうね。

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