宮川透「日本精神史への序論」紀伊国屋書店1977
竹内芳郎「イデオロギーの復興」筑摩書房1967
木田元「反哲学入門」新潮文庫2010（原書2007）
１枚目 不動明王 醍醐寺
２枚目 禅寺の庭園 妙心寺
３枚目 モーリス・ドニ画「デオニソス祭」
梅原猛氏が亡くなった（1925−1919年1月）。93年の生涯だった。
私は若いころ愛読者だったので、哀悼の意味もあり、最初に読んだ本書を再読していたのである（なお、「隠された十字架 法隆寺論」以降は、新しい出版のたびに読んでいた）。
ただし50年も前の本なので、これだけ読んでもと言うことで、関連しそうな何冊かも再読した。このうち宮川氏の本は古いのだが初めて読んだもの。竹内氏は当時の愛読書。木田氏もなくなったが、これまで何冊かの反哲学解説を読んでいる。
１．梅原猛「美と宗教の発見 創造的日本文化論」
本書の内容は、宗教、思想、万葉集・古今集、能など日本文化の多岐にわたるのであるが、ここでは日本に精神史は可能なのかと言う観点から読み直したのである。そもそも本書は、丸山真男「日本の思想」で、日本に精神史はない。そもそも書けない、との趣旨の有名な宣言に対する反論が執筆の動機になっているのである。
ただし本書で梅原氏がそれを書いたのではなく、今までの日本文化論としてもっとも優れていると見た鈴木大拙と和辻哲郎を読んで、なぜ通史にならなかったのかを検証したものである。本書の「発見」の意味は、日本文化として評価できないと捨てられた密教や浄土教、それに古今集の美学の再検証で、これを評価することで初めて通史としての文化論になること、そして精神史の中心に文化論が必要なことを説いたものである。
ディルタイは、文化は精神の客観的な表現であると言っているとのこと。つまり文化史は精神史の一面、多分表側に違いない。
鈴木大拙は禅が日本人の自然愛をはぐくんだと言うが、日本人はもともと山や川にすら生きた命を見ていたのであり、そのために大乗仏教の「山川草木、悉有仏性」の存在論を容易に受け入れていたのである。空海の真言密教も、自然神である大日如来を信仰の中心に置くものであった。
神道は清潔で簡素な美学だったが、密教は絢爛にして陰影に富む美意識だった。この違いが、天平と平安、万葉と古今の違いの元になっている。
さらに平安時代半ばから浄土教が起こり美を未来の幻想世界に求めるとともに、禅宗が単色でしかも無限に複雑な自然観を日本に教えた。
つまり禅宗とは日本人の自然観の一部であり、鈴木大拙のようにすべてがそこに始まるよう教えは間違いである。
また、密教が生み出した観音信仰や不動尊信仰は深く民衆に広まった。平安仏教を貴族宗教のように見るのは、浄土真宗をもって仏教の民衆化ととらえた明治時代に始まった偏見である。
一方、和辻哲郎の日本文化論は、禪に焦点を絞った鈴木大拙と違って、さまざまな文化現象の中に新しい意味を見出そうとしている。仏像、寺院建築、万葉集、源氏物語、道元、歌舞伎、人形浄瑠璃、桂離宮等々。
しかし和辻「日本精神史」には平安時代から室町時代にかけての文化現象がほとんど取り扱われていないのである。ルネッサンス的人間である和辻は、ギリシャに当たる奈良の仏像に熱中するが（「古寺巡礼」）、万葉集を尊んで古今集は無視する。しかし、古今集は明治の正岡子規の批判まで約千年間にわたって日本の美意識をけん引してきたのである。（前に読んだ森本アンリにならえば、古今集は日本人の美意識の正統性を形作ってきたわけである。）
神道においては、祀られる神よりも祀る神が重要だとする。しかし本来の日本の神は山や川であって、当然祀られる存在だった。決して卑弥呼や天皇のような祀る神すなわち司祭的な人ではなかった。つまり、和辻の神道理論では原始神道と繋がらないのである。
丸山真男は日本には総合的精神史がないし、そもそも日本の思想そのものが精神史の対象にならない。海外から流入した思想のつぎはぎで、それぞれが関連もなくタコツボに入っているからだと言う。しかし丸山はヘーゲルを読んでも、法華経も浄土三部経も読んだ気配がない。そもそも大乗仏教こそ日本の思想を貫く背骨のような存在なのに。彼の「日本の思想」は、いわば自虐の書だと断定せざるを得ない。
日本の精神史が見えなくなった本当の理由は、明治以降の宗教的痴呆化のせいなのである。
２．宮川透「日本精神史への序論」
本書も、丸山「日本の思想」の日本には西欧には存在する精神史がないという批判に応えて書かれた、明治以降ではあるが日本の精神史である。日本では（明治以降の短期間でさえ）西欧と違って、一貫した精神史がない。その点を西田幾多郎の「緋連続の連続」という思想で「一貫性」を付与する。言い換えれば、禅学に於ける自己否定を通じてのみ精神は蘇えるとする視座に立つということである。
西欧のように真の「絶対性」、「絶対者」（超越の契機）を持たぬ日本は、ともすれば天皇制国家という疑似的絶対者による「無限抱擁」、あるいは自己肯定による「日本への回帰」という陥穽が待ち受けている。本書は日本精神史における恐ろしさも暴露することを意図している。
明治維新以降の近代日本の精神史は、「西欧・世界への傾斜」と「日本への回帰」という遠求心両運動による螺旋的な思想の軌跡だった。そこにあるのは西欧のような「中核あるいは座標軸に当たる思想的伝統」を基軸とした、客観的形式における精神史の連続的な統一の姿ではなく、「非連続の連続」ともいうべき精神史の姿であった。
�〔声�初期の啓蒙主義を特色づける普遍史への構想とコスモロジー
�¬声�20年以降の民族的個別の論理と特殊的内面の論理（第一の日本への回帰）
�Ｂ臉喫顕修鮑未訛萋鵑痢崟床ぁ�世界への傾斜」、その発展形態としてのコミュニズムとモダニズム
�ぞ赦�10年代の第二の日本への回帰
�ダ鏝紊梁荵阿痢崟床ぁ�世界への傾斜」を掲げた戦後啓蒙期
一方に左翼的公式主義、特に講座派を置き（コミンテルンによる天皇制廃止のテーゼ）、
他方に、その修正、克服、ないし反発を置いていた。
��昭和30年代後半以降の第三の日本への回帰
３．竹内芳郎「イデオロギーの復興」
都市と田舎との空間上での粘着性を生み出したものは、時間上での文化継承の粘着性である。
聖書の言う「一粒の麦もし死なずば」は、弁証法の本質、特にその「否定性」の契機の重さがみごとに表現されているが、日本の伝統継承の場で働いたことは一度もない。
現に見る文化の雑居性はニーチェの言う「文化とは国民のあらゆる生活表示における芸術的様式の統一である」という定義に反し、「あらゆる様式の混沌たる雑居のうちにいる（本来ドイツに対して言われたものだが）」日本には文化はないと言わねばならない。
しかし、これを多様性と錯覚しているのが日本である。
神を失いつつある西欧世界（大衆社会）は、神を欠く日本の神道的風土に似てきた点はある。
明治の支配者たちは伝統的精神風土の空虚さに身震いして、西欧キリスト教の持つ超越性の原理を「天皇制」（帝国憲法）に求めたことは、近代化の意味においてはっきり評価する。戦後の象徴天皇制のような大衆天皇制でなかったからこそ、日本資本主義の命がけの強行も可能だったのである。
マルクス主義は、丸山派の政治学者が言っているように、日本においては単に共産主義運動を組織しただけでなく、あらゆる近代諸思想の形成に、土着の天皇制思想とは区別されたファシズムの反動的イデオロギーの形成にさえ役立ったのである。
〇海風：まとめ
以上、三人共に丸山真男の「日本に精神史無し」説から出発しているのだが、梅原は丸山説は、それに鈴木大拙と和辻哲郎も基軸となるべき大乗仏教の豊かな存在に無知だったと批判する。
宮川は日本精神史に一貫性がないことに同意して、その欠陥は西田の「非連続の連続」思想で回避できるとする。梅原と違って禅の否定の思想を高く評価し、日本の超越性の欠如した抱擁的思想の問題点を解決できるとする。
竹内も否定の弁証法を欠き、何でも粘着してしまう日本的精神をニーチェに従って雑居的と厳しく批判する。宮川と違うのは明治における絶対天皇制を評価して、これがなければ近代資本主義を短期間に導入できなかったはずとする。宮川は疑似的超越性だと嫌悪しているようなのだが。
それでハイデガー研究者の木田元「反哲学入門」の西欧哲学批判になるのだが、後期ギリシャ哲学者プラトンに始まる西欧哲学とは、イデアという超越世界を一神教（多分ユダヤ教）から導入したとする。そもそも古代ギリシャは日本と同じ、いや世界と同じ多神教だった。人間と神は連続的なものであって、人間を「超越」していると考えられていたわけではない。
そのプラトン・アリストテレスの哲学がキリスト教の教義化のために使われて、それ以降西欧哲学とキリスト教学は一体的に発展してきた。確かに一貫性があったわけだが、皮肉にも古代ギリシャ文化を研究していたニーチェによって（人を地獄に落とすと脅迫する）超越神は死んだ。その後の世界には超越人が現れるべきだと宣言した。
そして、ハイデガーが死すべき人間存在の哲学を構築し、プラトン・ソクラテス以前の多神教の哲学を復興しようとしたわけである。
確かに、人間の死を哲学が扱うことはなく、それはキリスト教の役割だった。西欧哲学は人間以外の存在を思考していたわけである。ちょっと似ているのは、日本の神社が誕生以降の人間を扱い、仏教が死以降を分担するようなものであろう。
後期の丸山も日本の「成り成りて」思想を評価しているようだし、その影響を受けたのか森本アンリは西欧の正統性は「成り成りて」の思想運動によって形成されてきたという。
ということで、日本の精神史は梅原の言うように、縄文１万年の万物に霊が宿る思想に始まり、何度も導入され続けた仏教のいろいろな経典・宗派の思想をわがものとしながら、また各時代の中国の文化を導入し、安土桃山時代以降は西欧文化も、そして幕末になると西欧文化一本やりとなったわけだが、決して、宮川や竹内や多くの進歩的文化人が嫌悪してきたような雑居思想ではなかったはずである。
残念ながら、その後の梅原は各種の文化を研究し、ついには古代長江文明に至るなどの思想遍歴を繰り返して「日本精神史」を完成させることがなかった。好奇心が強すぎたというべきか。
ともかく精神史は、帰納的に描かれるべきであって、哲学のように演繹優位であるべきではない。だから、どうしても知識の羅列になり、一読すっきりとはいかないに違いない。
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