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2015年01月19日19:25

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時代を越えて(58) 「三島由紀夫と戦後 中央公論特別編集」2010(2)

1.三島由紀夫「文化防衛論」中央公論1968.7月号
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 「近松も西鶴も芭蕉もいない昭和元禄には、華美な風俗だけが跋扈している。・・・文化主義とは一言を以てこれを覆えば、文化をその血みどろの母胎の生命や生殖行為から切り離して、何か喜ばしい人間主義的成果によって判断しようとする一傾向である。」p170
 ・・・三島は占領政策で「菊と刀」の連環を絶たれたこと、自ら絶ったことが、魂のない昭和元禄を導いたとしている。文化には文武両道が必要で、三島は自ら実践し「菊と刀」を再現したというのであろう。

 テレビでの若者との対話で、「日本は非武装平和に徹して、侵入する外敵に対しては一切排除せずに皆殺しにされてもよく、それによって世界史に平和憲法の理想が生かされればよいと主張するのをきいて、これがそのまま戦時中の一億玉砕思想に直結することに興味を抱いた。」p174
 ・・・半世紀たった現在時点でもこの種の主張があるが、丸山真男流に言えば、「一億玉砕」は顕教で、国体護持の和平工作が密教である。さらに、反体制側にはソ連への敗戦革命という手段があった。「世界史に平和憲法の理想が生かされ」ることなどあり得ないだろう。
 それに三島の好きな中核派や革マル派などの過激派は「非武装平和に徹して」などと言わないはずである。ただ、自民党政権による軍備強化、安倍政権の場合の積極的平和主義に反対しているだけで、「非武装平和に徹して」いるのは、三島の嫌う共産党や社会党系の平和革命主義者とその同調者であろう。

 日本文化の国民的特色
「第一に、文化は、ものとしての帰結を待つにしても、・・・芸術作品のみでなく、行動及び行動様式をも包含する。」p174
 ・・・例えばスポーツでも作法を重んじる伝統がある。相撲など特にだが野球にもあるようだ。勝負に勝って試合に負けたなど、現在のルール上では勝ちでも作法を含めると負けという意味を持っていると思う。昔、誰だったかアメリカ人が、日本のは野球かもしれないがベースボールではないと言っていたと思う。

 「第二に、日本文化は、本来オリジナルとコピーの弁別を持たぬことである。」p175
 ・・・伊勢神宮の式年遷宮を根拠にしている。ここから、応仁の乱で焼けてもそれは想定内ということらしい。ここから坂口安吾「堕落論」へ一歩であって、法隆寺など焼けてもよいのだ、焼け跡から新しい生命力ある文化が芽生える、と楽観しているようである。
 しかし、文化の発展も展開でもよいが、既存の作品への乗り越えや反発から進んでいくものであって、それがない時に創作家はどうするのか。
三島は「本歌取り」もコピーとしているが、新しい側面から光を当てて、別の歌として蘇らせたことで評価されたのだと思う。ただの類似作品ではない。

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 「以上を要約すると、国民文化の特質は一般的に、再帰性と全体性と主体性である」p176

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 要約すれば、平和主義を平和によって守ることはできない。文化も剣を持たねばならない。つまり、剣を取り上げようとする思想や政治勢力に対して、創造者自ら剣を(つまり菊と刀を)持っていなければならない、ということのようである。
「私は、明治以来のいわゆる純文学に、剣道の場面が一つもあらわれないことに奇異を感じる。」p180
 ・・・「次郎物語」に剣道の場面も、その目的を見事に死ぬためとする理念もあったのだが、あれは、むろん純文学系統ではなかった。

 戦後民族主義の四段階
 文化の全体性と全体主義
 「日本では戦後真の異民族問題はなく、左右いずれの側にとっても、同民族の合意の形成が目標である・・・日本がその本来の姿に目覚め、民族目的と国家目的が文化概念に包まれて一致することにある。・・・そもそも文化の全体性とは、左右あらゆる形態の全体主義との対立概念であるが、ここには詩と政治との最も古い対立が潜んでいる。」p184
 ・・・今となっては、情勢が変わっている。ヨーロッパにも地域独立の動きがあるし、日本でも在日朝鮮人問題はもとより、沖縄にもその考えはあると思う。山本七平の言ったように、左右対立があっても互いに日本人の枠内にあるとの趣旨のことを言っていましたが、今は昔のような感がある。

 「文化の全体性には、時間的連続性と空間的連続性が不可欠であろう。前者は伝統と美と趣味を保障し、後者は生の多様性を保障するのである。言論の自由は、前者についてはともかく、後者については、間然するところのない保護者である。」p185
 「・・・自由は非自由の速効性と外面的権威に対してハンディキャップを負う一方、・・・危機に臨んでは、無理なイデオロギー化によって足をとられやすい。そこで自由主義諸国といえども、内部から全体主義に蝕まれる惧れなしとしない・・・」p185
 「かくて言論の自由が本来保障すべき、精神の絶対的優位の見地からは、文化共同体理念の確立が必要とされ・・・文化の無差別包括性を併せ持たねばならぬ。ここに文化概念としての天皇が登場するのである。」p186
 ・・・言論の自由は認めねばならない。それがないと文学もなくなる。自由による遠心力を引きもどす引力が天皇だというのであろう。

 文化概念としての天皇
 (三島による和辻説の引用)「それは(天皇は)日本の国家が分裂解体していたときにも厳然として存したのであるから、国家とは次序の異なるものと見られなくてはならない。従ってその統一とは政治的な統一ではなく文化的な統一なのである。」p186
 ・・・これは了解できる。

 「国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇は、日本の近代史においては、一度もその本質である文化概念としての形姿を如実に示されたことはなかった。」p189
 ・・・明治憲法で維新体制の守護神に定められたからだろう。しかし、歌や学者としては健在だったし、江戸以前でも特別な天皇以外は同様だったのでないか。

 「かつて建武中興が後醍醐天皇によって実現したとき、それは政権の移動のみならず、王朝文化の復活を意味していた。」p189
 ・・・王朝政治(それも独裁の)の復活が足利氏の離反を招いた。文化だけならよかったのだろうが。

 「このような文化概念としての天皇制は、文化の全体性の二要件、時間的連続性が祭祀につながると共に、空間的連続性は時には政治的無秩序をさえ容認するにいたることは、あたかも最深のエロティシズムが、一方では古来の神権政治に、他方ではアナーキズムに接着するのと照応している。」
 ・・・ギアツ「劇場国家論」では、敵に攻められて、敗北必至になったとき、敵に向かって行進して全滅したと。死を恐れないという見せ場、つまり演劇だったらしい。特攻隊も似たようなものだった。政治は単調で良い。革命は左右どちらも不用であろう。

 「時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない。・・・文化の全体性を代表するこのような天皇のみが窮極の価値自体だからであり、天皇が否定され、あるいは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の危機だからである。」p192
 ・・・確かにいかに憲法に守られようと、天皇制にも危機がある。まずは後継者問題がある。それに鳩山元首相の言う日本は日本人だけのものではない、という民主党左派の主張が通れば、日本も多民族国家になるだろうし。

 2.「美の論理と政治の論理 三島由紀夫「文化防衛論」に触れて」橋川文三
 橋川は最初に、この三島論文は月並み以下だと判定する。
 しかし、天皇の文化的役割というテーマは考えさせられるとする。
 「・・・文化を文化たらしめる究極の根拠というべきもの、いわば文化の「一般意思」を象徴するものとして天皇を考えているといってよいであろう。」p196

 「ラジカルな進化論者北(一輝)の眼に映じた日本の天皇は、「国家の生存進化のために発生し、継続しつつある機関なり」というものであった。・・・北が天皇をきわめてローマン的美的イメージとしてとらえていたことは、周知のとおりであろう。」p197
 ・・・北の天皇機関説は独特のものだったのか。

 「・・・ここで北一輝をもちだしたのは、三島の論文の中に、「二・二六事件のみやび」という言葉があらわれてくる関係からであった。いいかえれば、それは美としてのテロリズムという考え方を示したものである。・・・そしてその構造というのは、実はフランス革命期に始まる古典的テロールの正当化と正確に一致するようなものであった。」p197-198
 「なぜ、天皇は、二・二六事件をたんに秩序紊乱の行動としか見られなかったのか、なぜそこに生ずべきアナーキィにも手をさしのべられなかったのか、というのが文化概念としての天皇論からする三島の恨みにみちた批判である。」p200
 「しかし、いったい幸徳秋水を生かしておくような文化概念としての天皇制とはいかなるものであろうか。」p204
 ・・・テロリズムは独裁者を倒すというものと、革命政権が反対派を粛清するというものがあるが、どちらもテロリズムでくくってよいのだろうか。革命政権によるテロリズム(恐怖政治)はアナーキィでも美でもない。ギロチンが美なら魔女裁判の火刑も美になってしまう。二・二六事件とは天皇を青年将校のアナーキィの守護神にするためのもので、議会政治の守護神たる昭和天皇が認めるはずがなかった。
 
 3.「橋川文三氏への公開状」三島由紀夫
 「ところが、私は、文化概念としての天皇、日本文化の一般意志なるものは、これを先験的に内包していたと考えるものであり、しかもその兆候を美的テロリズムの系譜の中に発見しようというのです。すなわち、言論の自由の至りつく文化的無秩序と、美的テロリズムの内包するアナーキズムとの接点を、天皇において見出そうというのです。」p208
 ・・・三島由紀夫は、どこへ行くか、天皇も押し流すかもしれないアナーキィを甘く見ている。
 政治権力者(独裁者)であると同時に「美の総覧者」というのは、シェンキェヴィチ「クオ・ヴァディス」描くところの、皇帝ネロがそうだった。ネロの美意識の師匠のペトロニウスを処刑してから「美の総覧者」に昇格して、クーデターで殺された。
 日本でも、織田信長や豊臣秀吉はそうだったのでないか。とくに秀吉は千利休を処刑しておかしくなった。この二人の場合は天皇の真似だったのだろうが。
 「美の総覧者」となるのは才能の問題もあるし、目標ではあっても制度化するものではないだろう。三島は法学部出身のはずだが。

4.対談「三島由紀夫と官僚システム」松本健一、猪瀬直樹
 この対談は、三島の死後で、橋川、三島論争を受けてのものである。
 最初に、橋川の方法について松本と猪瀬の論争があった。松本は、橋川は直感的で「ペルソナ 三島由紀夫伝」を書いた猪瀬はノンフィクション作家としてファクトを集積している、と指摘した。
 それに対して、猪瀬は、自分は橋川の方法を教え通りに受け継いでいる。橋川が直感的に見えたとしたら、それは早く死んでメモの段階で終わったからだと反論した。

 この対談が、「官僚システム」を主題としているのは、三島の祖父、平岡定太郎と父、平岡梓がともにエリート官僚であり、三島自身も官僚として社会人となったからである。
 しかし、定太郎は樺太庁長官にまで出世したが、官僚システムを使いこなす人ではなかった。それができたのは岸信介である。梓は岸と同期であったが、システムの中の役人で終わった。岸はマルクス主義による統制経済で、満洲国を立ち上げ、戦後復興の端緒を開いた。池田勇人は岸の経済面だけを受け継いだ人であった。・・・というように。
 ・・・官僚システムが岸信介のような革命的機能をもっていれば三島の暴発も必要なかった・・・というように繋がって行くのか? 
 あるいは、父の梓氏がそうだったような先例主義の役人への反発が三島をそうさせたというのか。確かにこれは、昔からある父と子の問題である。

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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年01月20日 08:06
    太助太郎さん
    ありがとうございます。猪瀬さんによれば、師であった橋川先生は、卒論のときどこを引用しているかを、それだけを重視していたとのことです。私の引用の足元を見られているようで怖くなりました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年01月21日 09:37
    太助太郎さん
     イスラムの信仰は生活様式と一体ですが、天皇制では作法・様式で存在しているようなもので、だから忠臣蔵事件が起きたのでしょう。
     しかし、一方、アナーキィな所もあって、網野善彦「異形の王権」で非人や狩猟・畑作民・商人を動員したことを指摘しています。孝明天皇のときは、維新の志士を動員したわけです。この場合では短期間に終息せず、昭和維新にまで持ち越して、毛沢東の文化大革命のような無残なことになりました。いずれにしろ、非常のときには大きな力を発揮するのかもしれません。

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