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上の日記で、ちらっと書きましたが。
大日本帝国は、占領下や植民地化の各地に、日本式の神社を建てた、とのこと。
朝鮮半島、中国大陸、南洋諸島・・。
−アジア諸地域で普遍的に信じられている仏教のお寺ではなく−神社、は、日本人しか拝まないものです。
それを、日本以外のあちらこちらに建て、参拝を求める・・強要する、というのは、「日本人に従え」、もっと言えば、「日本人になれ」・・「お前たちのルーツを捨てろ」ということ。
上記の日記で記した大邱など朝鮮の神社へ、朝鮮人の人々は参拝を強いられ、「皇国臣民」であることを誓わせられた。朝鮮の神をないがしろにしろ、朝鮮人であることを捨てろ!ということ。
支配、と、民族抹殺、に、神社は使われたのです。
今、たいていの神社には、天皇や皇室ゆかりの神々と、深い関わりがある「由緒」がありますが。
「明治」より前は、必ずしもそうではなかったそうです。
数百年にわたってお寺=仏教と結びついて関わりあって混ざり合ってきた「由来」があったり。皇室と関わりはなかったり。
それが、近代になってから、仏教的なものを外されたり、皇室と関わりのある神を祀ったりすることが、あちこちの神社で行われた、と、或る民族や歴史に詳しい方から聴きました。
つまり。
神社、というもの自体、近代になって「組み替えられた」もの、なのです。
天皇や皇室と深く関わりがある、日本古来のもの、として。
大古より存在する、と思われている神社でも、実は近代になって建てられた、新しいものも少なからず。
「神武天皇」をまつる、橿原神宮など。
100歳近い僕の祖母は、「奉仕」で橿原神宮建立に協力した、というぐらいですから。江戸時代までは、そこの周辺は、田んぼや原っぱみたいなもの、だったそうです。
先に挙げた韓国大邱にあった神社も、立派な鳥居の写真もあり、由緒と格式があるように見えますが。
どう古くみても建立から100年も経っておらず、「荘厳さ」も「演出」されたもの、でしょう。・・そう、橿原神宮のように。 支配、の、ために。
支配の為につくられたもの。
神道や神社には、そういった側面もあること、考えたいものです。
長い長い日記、お読み下さりありがとうございます。
親愛なる皆さま。
たくさん書いた今日の日記も、これにて、終わりです。
よい明日を!!!
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