https://twitter.com/ShinHori1/status/1228105928987140097
「明治」期に、封建制度や身分制が当たり前だった時代に、少数かもしれないけど
現代以上に「急進的」な意見を言えた、だなんて!
ここで紹介された記事の通り、神武天皇(が実在しなかった、としても。天皇家の祖先となる人物として考える)は、もとは一地方の一豪族だった、それが本当の、つまり、当たり前に考えて自然な姿、と思います。
どんな権威や権力を持った存在も、初めから大いなるものだった筈はありません。
初めは、どんな名家や大家も、何処にでもいる小さな存在でした。
徳川家康も、もともとは三河の一大名だったし、豊臣秀吉も足軽から関白天下人になった。
パナソニックを築いた松下幸之助さんも、初めの初めは、町工場のおじさん、だったと聞いています。
では何故。
天皇家に限って、初めはちっぽけな存在だった、何処にでもいるような勢力だった、と。
そんな風に考えにくくなっているのは、何故、でしょうか?
ある時期から、絶対視や別格視や神聖視されるようになったのは間違いありませんが。
つまりは。
何故、天皇家に限って、客観的に相対的に見られない、のでしょう?
何故、初めから全て、別格扱い、特別視、してしまうのでしょう?
中国歴代王朝の始祖の多くは、下級役人や前王朝の武将や庶民、であったことは
当たり前に知られているのに。
李氏朝鮮の始祖は、もともとは、高麗王朝の武将だった、というのに。
何故、日本の天皇家に、限って?
天皇の神聖視は、明治政府の努力によるものが大きいのでしょうけれど。
この問題、考えてみると、興味深い、面白い!
善悪、真偽、とは別問題で、オモシロイ☆
ログインしてコメントを確認・投稿する