■即位儀式に抗議 キリスト教団体「政教分離原則に違反」
(朝日新聞デジタル - 10月22日 16:11)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5835377
仰る通り、政教分離の原則と矛盾する、と思います。
以下、ぼくが思う所を記します。
長々と、所々、脱線する、と思われますが。
今日の即位式礼賛一辺倒のテレビ、まさしく、宗教団体内で、教祖や指導者を称えるような異常さを感じました(11年前まで3年ほど、ある新宗教に入信していた時のムード、みたいです)。
天皇や皇族の人々に対する報道、まるで、現人神やその一族を崇めているが如く。
戦前の国家神道の復活まで遠くない、気持ち悪さと怖さを感じます。
皇室の先祖や天照大神に即位を報告する儀式は、(皇室一族の私的な)宗教儀式、以外の何ものでもないのでは?そして、そこに公金を投入することは、政教分離の原則に抵触する、と強く感じます。
天皇を崇拝したい、即位をお祝いしたい、と思う人々の気持ちは尊重しなければならないし、即位の儀式そのものを否定するつもりはありません。
しかし、それらの儀式は本来、天皇家という一家の、私的な「家の行事」として、あるいは、皇室を崇敬する人々で財団法人なりNPO法人なり・・・作って、それらの「団体」の行事として行うべきものでは、本来は(必要なら、寄付を募って。十分な額は必ず集まる、と思います)。
今年の一連の皇室行事や、天皇制そのものに反対する人々も、一部には存在するのです。
NHKが公共放送なら、それらの人々の意見も、少しは取り上げないと。評価や是非はともかく。礼賛一辺倒でなく。
そもそも、「貴い」人がいる、特定の人々に対して特別な敬語を用いる、ということ、民主主義との矛盾が存在しているのでは。
天皇は日本史において、欠かせない超重要な要素、です。しかし、天皇=日本、ではない、と僕は思います。
今、この国は国民主権で、天皇は日本国民の総意に基づく象徴、ということ(日本の主人公は、国民であって天皇ではない)を、みんな、忘れてしまってはいないでしょうか?
天皇や皇族を偉大、だと思いたい人々の気持ちを僕は否定しません、でも、自分以外の何かが偉大になったから、といって、自分まで偉大になるわけでは、絶対にありません。
礼賛一辺倒(批判がタブーな)の今日のテレビ、明治に産声をあげた、国家神道という「天皇カルト」に僅かずつでも近づきつつあるような、そんな怖さを感じます。
彼ら、クリスチャンの人々も、それを危惧しているのでは?
以上、脱線しまくりな、乱文をお読みくださり、ありがとうございます。
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