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2020年08月09日10:11

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人はなぜ狐に騙されなくなったのか(その2)

人はなぜ狐に騙されなくなったのか(その2)

(1) 人々の語る理由
 
   日本では,1965年頃から,人がキツネにだまされたという新しい話が発生しなくなるのだそうだ。私の尊敬する哲学者・内山節(たかし)がそのことを問 題にし,「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」という本を書いた(2007年11月,講談社)。名著であると思う。是非多くの人に読んでもらい たい。ここではその要点を紹介し,最後に,私の考えを申し上げたい。
 
  まず、日本人はなぜキツネにだまされなくなった・・・その理由だが,人々が語る第1の理由は,経済優先の社会になり,キツネからの働きかけに応じる能力を 日本人は失った・・・というものである。
 
  人々が語る第2は,「科学の時代」における日本人の変化・・・というものである。
      
  人々が語る第3の説は,情報,コミュニケーションの変化を問題にするものである。
 
  第4の理由として,学校教育の変化を上げる人も少なくないという。合理主義一点張りの学校教育が,伝統教育とともにあった人間の精神を衰弱させたのではな いか・・・ということである。
 
  人々が語る第5の理由として,死生観の変化と言うものがあるという。都市ほどではないにせよ,ムラでも人間たちの生の感覚,死の感覚が変わって行き,少し づつ、都市型の,個人のものになっていったのだという。それまで,包まれていた世界と響き合っていた個人が,響き合わない個人になっていった。そのことが 関係しているという。
 
  人々が語る第6の説は,自然観の変化である。日本人の自然観は,もともと自然(じねん)すなわち「自ずとあるもの」であり,自己と一体のものである。それ が西洋の自然観すなわち自己とは別の客観的な自然(しぜん)を意味するようになっていった。戦後の経済社会は,農地を客観的な生産の場へと、森林を客観的 な林業の場へと変えていった。水や川は客観的な水資源になった。こういう変化がムラでもおこっていた。自然の中に「じねん」を見なくなったとき,そして自 分たちの帰りたい「祈り」の世界を見なくなったとき,自然と人間の関係は変容した。この変容が,日本人がキツネにだまされない時代をつくり出したのではな いかというのが、6番目の説である。
  人々が語る第7の理由は,森林の荒廃であり,そもそもそこにはキツネが住めなくなったというものである。
 
  第8の理由として,「養殖ギツネ」がキツネの野生の能力を低下させたという点を上げる人もいるという。1956年頃から始まる「拡大造林」によって、山に はスギやヒノキなどの大量の苗木が植えられた。この変化が野ネズミや野ウサギをふやし、その結果野ネズミや野ウサギに苗木がかじられるという被害が続出し た。この事態に対処するために,1960年代に入る頃から,山にキツネを放つということが各地で行なわれた。それがキツネの能力を低下させたと,この説は 唱える人はいうのだそうだ。
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