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2019年12月16日09:13

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シャングリラ(その18)

シャングリラ(その18)
第2章 中国という国(その5)
第2節 宗教について(その3)
2、道教の盛衰(その2)

明・清の時代には道教や仏 教は急速に衰退し、教団も発展せず腐敗した。
明の太祖朱元璋は、白蓮教・摩尼教(明教)などの民間宗教組織の農民による反乱からやがて政権の座についた人である。彼はその利害をよく知ってい たので、宗教活動に対して厳しく制限する政策を取った。 朱元璋は、首都に道 録司を置いて天下の道士を管理させ、府には道紀司を置き、州には道正司を置き、県には道会司を置いてその管理を分担させた。彼は僧侶・道士の組織が造反す ることを恐れ、僧侶・道士を非常に警戒した。40歳以下の人の出家を禁止して政府が度牒を発給するようにし、州や県の寺や観の数量を制限し、勝手に建てる ことを許さなかった。また、各府・州・県に宮観を一か所だけにして僧侶や道士を集中管理し、そのほかの場所に住む僧侶や道士を重罪として処罰した。

清の貴族は、その出身が満州ということもあってもともとチベット仏教を信仰していた。彼らは山海関以南に入ると、基本的には明代と同じように道教を制限・管理・保護する政策を 取った。だから、明の時代に引き続き、道教の衰退と世俗化という流れも依然として続いた。 清代の最も大きな社会問題は、民間の秘密宗教が起こったことである。 清代におけ る民間の秘密宗教の数は215種にも達し、ごたごたと連なって地下秘密王国ともいえるものを構成した。
明・清以降には正当な道教は衰退したが、 それは民間宗教が信徒を奪い、その地盤を占拠したこととも関係がある。
明・清の時代から、第二次世界大戦を経て、中華人民共和国の時代に入るが、道教の衰退は続く。特に、文化大革命の時期には他の宗教同様に攻撃の対象となり、道士は還俗し、多くの道観が破壊された。しかしながら、1980年代になると徐々に宗教活動が認められ、中国道教協会が運動して「全国重点道観」21箇所が国務院宗教事務局から指定されるなど、道教は復興を果たした。



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