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2017年12月19日14:43

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種田山頭火

種田山頭火
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E7%94%B0%E5%B1%B1%E9%A0%AD%E7%81%AB
種田 山頭火(たねだ さんとうか、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、戦前日本の自由律俳句の俳人。よく山頭火と呼ばれる。「層雲」の荻原井泉水門下。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・種田正一(たねだ しょういち)。

自由律俳句(じゆうりつはいく)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%BE%8B%E4%BF%B3%E5%8F%A5
五七五の定型俳句に対し、定型に縛られずに作られる俳句を言う。季題にとらわれず、感情の自由な律動(内在律・自然律などとも言われる)を表現することに重きが置かれる[1][2]。文語や「や」「かな」「けり」などの切れ字を用いず、口語で作られることが多いのも特徴である[1]。17音より短い作品は短律、長い作品は長律とも言う[3]。定型の意識を保ったまま作られる字あまり・字足らずや句またがり、破調の句などとは区別される[1]。また自由律俳句はあくまで定型から自由になろうとすることによって成立する俳句であり、したがって単なる一行詩がそのまま自由律俳句となるわけではない

尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E6%94%BE%E5%93%89
1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)は、日本の俳人。「層雲」の荻原井泉水に師事。種田山頭火らと並び、自由律俳句の最も著名な俳人の一人である。鳥取県鳥取市出身。

荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E5%8E%9F%E4%BA%95%E6%B3%89%E6%B0%B4
(1884年(明治17年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月20日)は、日本の自由律俳句の俳人、俳論家。「層雲」を主宰、尾崎放哉や種田山頭火らを育てた。本名・幾太郎のち藤吉

層雲(そううん) (雑誌)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%A4%E9%9B%B2_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)
自由律の俳誌。1911年4月、荻原井泉水の経営・編集で創刊[1]。尾崎放哉や種田山頭火を輩出した。

分け入つても分け入つても青い山
http://www2.biglobe.ne.jp/~endoy/SANTOU17.html

春から初夏にかけて、山並みの緑は日に日に濃くなり、日差しも強くなってきます。今回は山頭火の句の中でも最も有名なものの一つを。
この句を、何の説明もなく鑑賞する場合、初夏の山並みを旅する心地よさ、清々しさを詠んだような感じもしないではありません。この原因は「青い山」という表現にあるのではないかと考えています。
 しかし、「分け入っても」の「も」に注目してみましょう。 この「も」は、「…なんだけれど」ということであり、それを繰り返していることによって、「求めているものがなかなか見つけられない焦りやもどかしさ」が表されているように思えます。
http://www2.biglobe.ne.jp/~endoy/AOI.GIF

山口県観光動画|山頭火(イメージビデオ)
https://youtu.be/KQJZfU_nBpQ
音絵箱 YouTube Promotion Video|Photo Movie 山頭火(オリジナル)です。 漂白の俳人「種田山頭火」(たねだ さんとうか、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、戦前日本の俳人。よく山頭火と呼ばれる。自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・種田正一。代表句〜うしろすがたのしぐれてゆくか〜 自由律俳句作品をモチーフにオリジナル音楽とイメージ映像をコラボレーション。音絵箱オリジ­ナル作品プロモーションビデオ。オリジナルミュージック作詞・作曲・唄:信天翁(アホウドリ) 気になるホームページ http://www.oto-ebox.jp/ 「種田山頭火」 関連動画 https://youtu.be/9PMdNMwGrQk https://youtu.be/P58KxRaIMkg https://youtu.be/KaobciUmTY4 https://youtu.be/WwRXXGdsUyk https://youtu.be/RX00Xp4ZZNQ 主な俳句集 うしろすがたのしぐれてゆくか あるけばかつこういそげばかつこう へうへうとして水を味ふ 一羽来て啼かない鳥である どうしようもない私が歩いている 生まれた家はあとかたもないほうたる 音はしぐれか ゆうぜんとしてほろ酔へば雑草そよぐ 酔うてこほろぎと寝ていたよ 鴉啼いてわたしも一人 笠にとんぼをとまらせてあるく 笠も漏り出したか けふもいちにち風を歩いてきた この旅、果もない旅のつくつくぼうし こころすなほに御飯がふいた 鈴をふりふりお四国の土になるべく 霧島は霧にかくれて赤とんぼ また一枚脱ぎ捨てる旅から旅 まつすぐな道でさみしい ふるさとはあの山なみの雪のかがやく すべつてころんで山がひつそり また見ることもない山が遠ざかる 松はみな枝垂れて南無観是音 分け入つても分け入つても青い山 鉄鉢の中へも霰 山へ空へ摩訶般若波羅密多心経 水音の絶えずして御仏とあり ほろほろほろびゆくわたくしの秋 生死の中の雪ふりしきる おちついて死ねそうな草萌ゆる 濁れる水の流れつつ澄む 風の中おのれを責めつつ歩く

旅と酒を愛した昭和の芭蕉
【 あの人の人生を知ろう〜種田 山頭火 】
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic41.html
大正・昭和の俳人。季語や五・七・五という俳句の約束事を無視し、自身のリズム感を重んじる「自由律俳句」を詠んだ。本名は正一。山口県防府の大地主の家に生まれる。父は村の助役を務めたが、妾を持ち芸者遊びに夢中になり、これに苦しんだ母は山頭火が10歳の時に、自宅の井戸に身を投げた。井戸に集まった人々は「猫が落ちた、子供らはあっちへ行け」と山頭火を追い払ったが、彼は大人たちの足の間から母の遺体を目撃し、心に深い傷を残す。現・防府高校を首席で卒業した後、早稲田に入学。しかし22歳で神経症の為に中退して帰郷する。この頃、生家は相場取り引きに失敗して没落しており、立て直しの為に先祖代々の家屋敷を売り、彼は父と酒造業を開始する(24歳)。27歳で結婚、子を持つ。


自由すぎる俳人「種田山頭火」の俳句がもはや俳句じゃない件wwww

https://matome.naver.jp/odai/2137251772869366901

種田山頭火の常識を無視したおもしろすぎる俳句を紹介。これでもほとんどどの教科書にも載ってるほど有名な人物ですよ

"山頭火はその生涯で、8万句以上の俳句を詠んだといわれています。"

出典種田山頭火 俳句紹介
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/santouka3.html

その自由すぎる俳句を紹介。というかこれは俳句なのだろうか…?www


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