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2017年04月04日16:47

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仏教いろいろ。。。

「維摩経」を久しぶりにめくってみたが、いつも魅力的で闊達おもろいオジさんである。空や智慧成就を実践し涅槃の悟りへの道を修行するといっても、我執や煩悩を捨てきれぬ凡夫たる我々では、空性や六波羅蜜と云うことばについ、とらわれて固定的な概念の実体視をしてしまい、空や智慧とは正反対な<こだわりの>自力努力になっていることに気がつかせてくれるみたいな、というお話(たぶん^_^)の、在家者の維摩居士の教えは、ややもすると「万人成仏」と仏性を信じる大乗経的な一乗の教え(やや法相宗では仏性的考えが無性有情姓ありといってやや違うようですが)に抵触しそうな、初期仏教的出家者の二乗では救われないという強語が難点なのかもしれない。。。 
ここに在家でも救われる道があると説いていく大乗仏教の経典類等の、般若経、華厳経、如来蔵経、法華経、宝積経、大無量寿経、大日経、宝性論、中論など、如来蔵思想や中観派・唯識派と進む潮流の中、特に仏性や宇宙論的な、阿弥陀如来、毘盧遮那仏、大日如来や、仏陀の分身・前身的な各種菩薩蔵に対しての、信仰や念仏、真言、瞑想そして他力本願的救いや、ご加護へと傾向的に展開していく。。。
確かに、ブッダ初期の頃の、僧伽(サンガ)や戒という出家組織の意味合いはすっかり大乗仏教では、その是非とかよくわかりませんが、やや角度が違ってきているようです。。。
もっとも結局、元々古代インド古来の「輪廻」とブッダの説く「解脱」(古代ヴェーダの霊魂の不死でも正しい輪廻はいつかモクシャ:悟りを得て天国へ、みたいな説があるようだが)の関係についてどう自分で理解や会得が出来るかで、人によりそれぞれ違っているのだろうと勝手に思うだけですが・・・無常・無我で自我の観念消滅で自己解放というか解脱・悟りあるいは安寧の涅槃を得る上座部仏教的か、自我を消すのではなく自己の中のブッダに気づき一切衆生悉有仏性(まさに日本の大乗仏教的)、すなわち如来蔵思想で仏に救われ成仏を目指す大乗仏教的か、 どう自分は受け入れるか、人各々なのかも。。。
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