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2016年07月19日09:43

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識、精神、心、という・・・有り様。。。<まとめ>

あなたの人体が車なら、スピードがあなたという人間的精神とでもいうこと。
あれどそのものは掴めない。
生命とは物質組織が生み出すメカニズム的反応システムという現象。
そしてその生命に伴ってると思える精神とは、やはりその生体反応自身のブレ、
波動みたいな2次的現象みたいなもの。
つまり精神などという概念や思考、識そのものが所謂幻想・妄想よくて想像。
それそのもので存在しうる絶対的ものなど当然人間には認識出来ぬから
有無自体の問いそのものもありえない。
我々は物質的現象を見つけ、説明する思考や論理性位しか持ち得ないし、
それ自体が単に人間特有の「識」(又は思考性)という
物理的反応の特性(物的リズム)みたいなもの、かも。

識というと何か実体のあるものに思うがそうではない。
識は必ず認識対象をもつものであり認識対象がなくなれば識もなくなる。
<縁起> 認識対象がなければ認識主体もなく
最終的には空(とらえるものはない・とらわれがない)にいたり、
識はあるようでない、ないようであるともいえる。

識・・・・・ 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識 ・・
概念や用語はわかるが、 ・・・このうち・・ 末那識、阿頼耶識とかなると やはり、
その概念を誰が,何が、どうやって認識・理解できるのかが・・・

なお、

唯識は極端な空思想⇒虚無主義的な思想を是正するために出て来たが、
心を識と呼び、
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識 の八つに分け
「大きさ形のないもの」とし、
日月星辰(太陽と月や星の事,今風だと宇宙?)一切が阿頼耶識から現れ
一切が阿頼耶識であると説明される。 by 横山紘一氏の著書
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