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2022年03月21日16:15

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「劇団なんじゃもんじゃ」公演『べっかんこおに』

3/20(日)16:20〜、浜松市あいホールで行われた「劇団なんじゃもんじゃ」公演『べっかんこおに』を観た。
「劇団なんじゃもんじゃ」の芝居は2020年6/14に『悔悟の記録』を観ている。
以下、そのレポート。
 参)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1976031696&owner_id=3341406

前回と同じく「浜松子ども劇場」の招聘で実現した。

『悔悟の記録』はひとり芝居だったが、今回の出演は夫婦2人。先のレポートでも触れたように、「劇団なんじゃもんじゃ」は西尾瞬三・夏子夫婦2人だけの劇団である。
物語には名前のない者や動物(フクロウetc)を含め7〜8人の登場人物がいるが、その全てを2人で演ずる、時に面を付け、時に人形を使って。

スタッフ・キャスト等データは以下の通り。

原作 さねとうあきら(1935-2016)著『ゆきこんこん物語』(1972年理論社刊)より
   「第三話べっかんこオニ」
脚本 ふじたあさや
潤色 西尾瞬三
演出・出演 なんじゃもんじゃ
音楽 藤原豊
舞台美術・衣装 坂本真彩
人形制作 加藤典子

『べっかんこおに』はこれ迄様々な人達によって演ぜられてきたようだが、「劇団なんじゃもんじゃ」の初演は2012年5/19。
同劇団は1993年の創立で今年は30周年を迎える由、20周年の折りにもこの演目を採り上げていて、大変に縁の深い、記念碑的な作品になっているようだ。
2019(令和元)年度には、なんじゃもんじゃの『べっかんこおに』は厚労省社会保障審議会児童福祉文化財特別推薦作品になった。


オープン前に撮影した小さな舞台。パッチワークで作られた奥深い山々の背景。
フォト


笛吹峠にはべっかんこ顔をからかわれる鬼が住んでいた。
「べっかんこ」とは「あっかんべー」の事。
鬼のくせに気弱で愉快な顔をしており、本来悪さをした人間を叱る役目を持つのが鬼だが、彼はその役に立たない。里の子供達から「あっかんべー」と言ってからかわれる始末。
役立たずの彼は、冥界を治める山姥(または山母=やまかか)さまに命じられ、山の墓場の掃除役を命じられる。

「べっかんこおに」と「やまかか」はイタリア中世劇コンメディア・デッラルテのような半仮面を付けて演じられる。(写真は劇団なんじゃもんじゃホームページより。)
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物語はセリフと歌で進展するので、ミュージカルのようでもある。
2人の声はハーモニーがとても美しい。楽器も使われる。

里には「ゆき」という名の16歳の娘がいた。父親は猟師、母親は既に亡くなっている。美しく育ったが、盲目のため、村人からは役立たずと蔑まれる日々。

ゆきはある日、母の墓参りをしたいと申し出て、父に連れてきてもらう。
父は、娘を墓場に置き、帰りにまた迎えにくると言って狩猟に出る。
ゆきは布で作られた操り人形で演じられる。
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優しくて大好きだった母を想いだし、ゆきは作ってきた料理を墓に供える。
そこへ腹を空かせたべっかんこおにが、匂いに惹かれてやってくる。
ゆきが自分を驚かないので、目が見えない事を知る。
おにはこっそり手を伸ばしてゆきの料理を食べてしまう。その料理のおいしい事。

いつの間にか料理がなくなっているので、ゆきは怖くなり、誰かいるのかと叫ぶ。
おには夢中でゆきを抱え上げ、山の棲家へと一目散で逃げ去る。

夕刻になり父が墓場へ戻ると娘がいない。空になった重箱。
父は嘆き、恨み、きっと捜しだすと天に誓う。

おにの棲家、ゆきは何も食べず痩せ細っていく。
おには何故食べぬと問う。
ゆきは答える、お前が私を喰えばよい。
おには、オレは人喰いおにじゃねえと言って泣いた。大きな体のくせに子供のような情けない泣き方だった。

山かかさまに尋ねると、娘は里に返してやれと言われた。
おには寂しくて一人笛を吹いた。何故オレは嫌われるんだろう。
(西尾瞬三の横笛の巧い事!)
侘しいような懐かしいような笛の音に、ゆきは心が動いた。
このおには乱暴者ではないようだ。
孤独だった2人の心は馴染み、いつか夫婦になる。

ゆきの作った弁当を携え、一日山の番をして家に帰ると、おにはゆきに、見てきた事をいっぱい話して聞かせた。
朝陽に煌めく靄のようす、よく晴れた秋の空の色、美しい山の紅葉、等々。
ゆきはそれを愉しんで聴き、頭に想像するうちに、べっかんこ面と言われる夫がどんな顔をしているのか見てみたいとも思うようになった。
おには自分の顔を見たいと言う人間に初めて出会って、嬉しかった。

翌日、おには山かかさまにゆきの目を治してやりたいと相談した。
山かかさまは、「竜眼(リュウガン)草」の根の露が目の病に効くが、それはとんでもなく険しい谷合にあり、屈強な鬼でも採取は難しい。それにリュウガン草には呪いがかかっている、と。

ゆきの父親は、娘がいなくなった墓場の周囲で鬼の足跡をたくさん見つけ、連れ去ったのは鬼に違いないと確信、鉄砲を持って山を探し回っていた。
ある日、谷合の奥に動くものを見つけた。
動き回るために焦点は合わないが、それはどうやら鬼のようだった。
べっかんこおには、毎日毎日リュウガン草を求めて歩き回っていた。
そして、とうとう深い草むらの陰に美しい花を見つけた。
根からそおっと抜き取り、喜び勇んで棲家に向って走りだした。
おには岩に手をかけ、急な崖を登っていった。
ゆきの父親の鉄砲の焦点がようやく鬼の背中に合った。
そして、引き金を引いた。

ゆきが待つ家に、べっかんこおには這いながら帰ってきた。体は血だらけ。
おには何とか手を伸ばしてゆきの頭を押さえ、リュウガン草の根を噛んでその露を目に落とした。
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ゆきの視界が明るくなっていった時、腿の上に重いものがどすんと落ちた。
ゆきはそこに初めて夫の姿を見た。
べっかんこおには、ほらおかしな顔だろう、ゆきにそう言って事切れた。
ゆきは叫んでおにの体を何度も揺すったが、もう動かなかった。
ゆきが生まれて初めて見たものはおにの、つまり愛する夫の血だらけの顔だった。

そこへ、猟師姿の男が息咳切って飛び込んできた。
これも初めて見る、父親の姿だった。
乱暴にゆきの手を取り、里へ連れ帰ろうとする父だったが、ゆきはそれを拒否、おまえなんか知らねえ、おまえは(愛する夫を殺した)おにだ、そう叫んで狂ったようにその場をくるくると回った。
舞台背景の山は裂けて真っ赤になり、ゆきはおに(般若)に変化してしまう。

ポスターのタイトルの下に添えられていた言葉が甦る、
「鬼って一体どこにいる
 人の中に鬼はいる
 人も鬼になれる
  あなたは人か鬼か
  わたしは人か鬼か
 鬼って一体どこにいる」。

人のためと思ってした事が人のためになっていない事がある。
勝手な思い込みでした事、それが果たしてその人のためになっているだろうか?
自分をいっとき正直に見直してみるゆとりが必要だ。
それができず、自分の一方的な考えにはまってしまう人は、自分が鬼である事に気づかない。
大国のトップにそんな人がいると、その国も周囲の国も地獄になってしまう。
様々な兵器を使い、兵士だけでなく、一般市民や女性子供迄、何万人殺しても、俺の価値観が正しいと思い込んでいる鬼が今も確かにいる。
 
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