春の到来は、冬が厳しければそれだけ歓びに満ちているものだ。
慣れ親しんだ中に、春を名に付した曲は古えから多々ある。
誰が命名したかは措いて、例えば、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集〈和声と創意の工夫の試み〉Op.8《四季》の冒頭第1番、モーツァルトの歌曲《春への憧れ》Kv.596、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番《春》Op.24、メンデルスゾーンのピアノのための〈無言歌集〉より《春の歌》Op.62-6、シューマンの交響曲第1番《春》Op.38、ヨハン・シュトラウス�兇離錺襯帖埆佞寮次�Op.410等々、挙げればキリがない。
ベンジャミン・ブリテン(1913-76)にも《春の交響曲》というシンプルで心浮き立つようなタイトルを持ったシンフォニーがある。
私は、3/23にNHK-BS「プレミアムシアター」で放送された、サイモン･ラトル指揮ロンドン交響楽団演奏会の収録を一昨日鑑賞したのだが、その中に本曲が入っていた。私は初めて聴いた。
演奏会は2018年9/16、ロンドン･バービカン･ホール(ロンドン響本拠地)で行われたもので、オール英国の作曲家によるプログラムだった。その最後を飾ったのがこの曲である。約45分の大曲だ。
ブリテンは《春の交響曲》Op.44を、1948〜49年、まだ若い35歳の時に書いた。
彼が本曲を書くに際して「厳しい冬の季節」であったのは、1945年に終えた第2次世界大戦であったろう。
イギリスは、ナチスによる空襲を9ヶ月間受け4,300万人以上の民間人が亡くなった。その多くはロンドンに集中した。
作曲を委嘱したのはクーセヴィツキー財団(米)で、セルゲイ・クーセヴィツキーとボストン交響楽団に献呈された。
初演は、しかしボストン響ではなく、1949年7/9、E・van・ベイヌム指揮のコンセルトヘボウ管弦楽団だった。
楽器編成はソプラノ,アルト(本公演ではメゾソプラノ),テノール独唱、及び合唱とオーケストラで、ベートーヴェンの第9よりも声楽が担う部分は大きい。合唱には大人の混声合唱団だけでなく、少年合唱団、本公演では少女及び児童合唱団も加わっていた。
オーケストラは凡そ3管と弦楽5部、打楽器多種と角笛,ハープ2他。
全体は12の楽曲と14編の古今の英国詩でできているが、大きくは4つの部分に区分できる。
第1部は、通常の交響曲で言うところの序奏と第1楽章の位置づけ。5つの楽曲と6編の詩による。
第2部は謂わば緩徐楽章。3楽曲と3編の詩。
第3部はスケルツォ楽章。3楽曲と3編の詩。
第4部はフィナーレ。1楽曲と2編の詩。
具体的に順を追ってその中身を見て行こうと思う。
【第1部】冬から春への移行時を描く。第1,2曲ではまだ冬の気配が濃い。
・第1曲〈輝き出でよ〉；16世紀、作者不詳の詩。冬の暗さと春を待ち望む心情を表現。無伴奏の合唱部分とオーケストラ部分が交互に進む展開。
“shine out”という打ち込まれるような楔形の音形が繰り返される。
・第2曲〈陽気なカッコウ〉；ルネサンスの代表的詩人エドマンド･スペンサー(1552-99)の詩。季節の使者カッコウの声は森にこだまするが、春はまだ来ない。3本のトランペット伴奏によるテノール独唱という珍しい編成。
・第3曲〈春よ、やさしい春よ〉；シェイクスピアと近い時代に劇壇で活躍したトーマス･ナッシュ(1567-1601)の詩。「優しい春は1年の楽しさの王」と、春を迎えた歓びが力強く歌われる。
ソプラノ,メゾソプラノ,テノール独唱が”jug-jug,pewe”,”cuokoo”,”towita-woo”と鳥の鳴き声を愉快に真似する。
・第4曲〈馬を駆る少年〉；少年少女合唱がジョージ･ピール(1556？-96？)の〈麦が伸びてあご迄届けば〉を歌い、続けてソプラノ独唱がジョン･クレア(1793-1864)の〈馬を駆る少年〉を歌う。ステージ上のソプラノが「少年は揺らぎながらも口笛を吹く」と歌うと、舞台前や客席間に立ち並んだ少年少女達は実際に口笛を吹いて楽しげにアンサンブルする。最後にはソプラノと少年少女が2つの異なる曲詩を同時に歌うという大胆で稀有な展開。
・第5曲〈明けの明星〉；『失楽園』のジョン･ミルトン(1608-74)の詩。「ようこそ恵みの五月よ、どうか長く居て欲しい」と、混声合唱が金管と打楽器の伴奏で厳粛に歌う。各金管(ホルン,トランペット,トロンボーン)とチューブラー･ベルのアタックがずれるのが面白い。
【第2部】通してゆっくりとピアニッシモで。
・第6曲〈ようこそ純潔の乙女たち〉；ピューリタニズム時代の抒情詩人ロバート･へリック(1591-1674)の詩。メゾソプラノが「春をもたらし、春に仕える純潔の乙女たち、お前たちは(様々に)美しく讃えられるが、やがては忘れられてしまう」と歌う。
・第7曲〈天の水よ〉；ヘンリー･ヴォーン(1622-95)の『夕立』という詩より。地上の渇きを癒す夕立を愛でる。
テノール独唱の伴奏をするヴァイオリンのスル･ポンティチェロ(駒寄りで弾いて出す硬い音)の細かな連続音は、確かに夕立のようだ。
・第8曲〈芝生の上に私は寝転がっている〉；7歳年上の詩人ウィスタン・ヒュー・オーデン(1907-73)の詩。20世紀最大の詩人の1人とも言われる。ブリテンはオーデンに反戦・反権威主義思想を学んだ。
第2部ラストのこの曲が、曲全体の頂点の1つを形成する。
この詩のみ、全文を紹介したい。
(メゾソプラノはバス･クラリネットのうねるような伴奏で、混声合唱は無伴奏で、ある時はオーケストラと激して)・・・
芝生の上に私は寝転がっている
ベガ星が頭上に輝いている
風のない6月の夜
緑の森は1日の活動をすべて終えた
私の足の方向から月が昇る
今 東西南北の至る所で
私の愛する人たちが休んでいる
月は彼らを見下ろしている(*)
人を癒す者 弁の立つ者
変わり者 黙々と歩く者
太っちょにのっぽ
引力には敏感な月も
地上の出来事には気づきもしない
我々が空腹で動けなくなっていようと
庭でのんびり空を見上げていようと
愛の残酷さにため息をついて耐えていようと
知らぬ顔だ
だがそれでいい 知ろうとするな
ポーランドがどこに向ってその東の弓を引くのか
どんな暴虐が行われたのか
この英国の家の自由や晴天のピクニックを守るためにどんな疑わしい行為がなされたのか
月よ それを追求しないでくれ
・・・(続く混声合唱は無伴奏、そのハミングは風のようだ。)
(*)月が見下ろすのは戦争で死んだ多くの人達の墓標か。
【第3部】短く動き回る音形が急速なテンポで反復される。
・第9曲〈私の5月はいつやってくる〉；シェイクスピアに影響を受けたリチャード･バーンフィールド(1574-1627)の詩。絃4部とハープによって繰り返される3連符の伴奏を挟みながら、テノール独唱が5月を待ち望む。
それは恋人たちの求愛の歌、輝かしく躍動感に溢れる。しかし、その陰には犠牲になった人達が多々いる。
・第10曲〈すてきな人〉；再びジョージ･ピールの詩。「私の恋人は他の何よりもすてき」、ソプラノとテノールが燃え上がる官能的な掛け合いをする。伴奏は弦4部の猛烈に早いピツィカート。
しかし、「心変わりする人は不幸になりますように」との呪詛も挟まれる。
・〈第11曲〉「笛を鳴らせ」；画家でもあったウィリアム･ブレイク(1757-1827)の詩『春』より。本来は新年の到来を喜び、笛を鳴らせ、鳥よ歌え、子羊よ私の白いうなじを舐めておくれ、お前の柔らかい毛を引っ張らせておくれと、興奮する。
男声合唱と金管群、女声合唱と木管群、少年少女合唱と弦楽群が交互に歌い合い、コーダはトゥッティのクレッシェンド、まるで一陣の風のように駆け抜ける。
【第4部】5月から夏へ向かう季節を表すフィナーレ。
・第12曲〈終曲〉；シェイクスピア時代の劇作家フランシス･ボーモント(1584？-1616)の喜劇『燃ゆるすりこぎの国の騎士』より。
打楽器、フルート、角笛(ブリテン設計)、テノール独唱と展開するゆっくりした山形のメロディ、3拍子。
やがてアレグロの2拍子に移行、独唱は3人が揃い華々しさを増すリズミカルな展開。
冒頭のテンポと山形メロディに今一度戻り、変形しながら繰り返す。
14世紀の古いカノン《夏は来たりぬ》が持ち込まれ、少年少女達によってあとを追いつつ順次歌われると、遂に混声合唱の山形メロディと重なり合い、歌手達男も女も子供も全員が体を左右に揺すって歓び、我を忘れ狂気の如く盛り上がる。新たな生命の誕生を祝い、テノールソロの「話は以上だ」の囁きと、オーケストラの最後の強打でバサッと終わる。
クラシックでこれ程身体表現の伴った合唱は初めて見た。見ている我々も嬉しくなり、春を感じて体が動く。
実は、この2020年春3/4、サントリーホールにおける東京都交響楽団の第897回定期演奏会でも、大野和士の指揮によって演奏される筈だったのだが、コロナ禍で中止となってしまった。
ちょうどその日に還暦の誕生日を迎えた大野もこの《春の交響曲》が大好きだったようで、さぞかし残念であった事だろう。
指揮 サイモン･ラトル
演奏 ロンドン交響楽団/同合唱団/ティフィン少年･少女･児童合唱団
独唱
ソプラノ エリザベス･ワッツ
メゾソプラノ アリス･クート
テノール アラン･クレイトン
A･クレイトンは、2017年12月に収録を観た「グラインドボーン音楽祭」世界初演の歌劇《ハムレット》(ブレット･ディーン)でタイトルロールを演じていた。素晴らしい狂気の歌唱と演技だった。
参)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1963973986&owner_id=3341406
収録 2018年9/16ロンドン･バービカン･ホール公演ライヴ
翻訳 各詩のタイトル及び内容について、日本語訳は本番組の字幕に従った。
〈参考資料〉
『最新 名曲解説全集第3巻〜交響曲�掘�
執筆 《春の交響曲》布施芳一
発行 1979年第1刷/89年第9刷 音楽之友社
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