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2020年04月06日15:15

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桜と水車

4/3(金)、市内の「伊左地(いさじ)緑地」に行ってみた。

ここにはいい桜があるのだが、場所が幹線道路から奥に入っているせいか、知る人も少ないようで、混み合っているのを見た事がない。
今回も同様で、ちょうど満開でいちばんの頃合いだったが、シートを敷いた家族連れは数える程だった。
私も、いくら満開だったとしても、3つの「密」のうち2つのリスクを冒して迄行こうとは思わない。

写真は緑地の北側のエリア、広々とした芝生をぐるっと囲んだ桜。
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翌日から寒気が入って風が冷たく感じられたが、当日はいい日和で、半袖の人もいた。
子供が吹くシャボン玉が、風に舞う花びらと競うようだった。

南側のエリアに戻り、「森の水車公園」の周辺を歩く。
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水が陽射しにきらめいて、桜の枝と並び、一層春らしさを感じた。

この水車公園は、『森の水車』の作詞者 清水みのるが近辺(浜名郡伊佐見村/現
浜松市西区伊左地町)の生れであった事から、1986(昭和61)年に地元の人達の手によって造られた。
彼の母校である現 浜松市立伊佐見小学校には「清水みのるの部屋」という施設があるらしいが、私は行った事がない。

「コトコトコットン」の詩のリフレインは誰も知っているだろうが、家に帰り、もう少し詳しく調べてみた。
なかなか興味深い事柄もあったので、忘れないように書いておく。

『森の水車』
作詞 清水みのる(1903-79)
作曲 米山正夫(1912-85)

清水が詩を作ったのは1941(昭和16)年8月だった。既に1937年の盧溝橋事件に始まった日中戦争はどっぷりと泥沼に入っていた。そして同41年12/8には真珠湾奇襲により日米開戦、太平洋戦争が始まる。

その翌年1942年9月、この曲は大東亜レコード(現ポリドール)から、高峰秀子の歌唱によって発売になったが、たった4日間で当局から発売禁止の処分を受けてしまった。
41年の始め頃迄は洋楽や洋楽風の歌謡曲も発売されていたが、その後急速に検閲は厳しくなり、巷に流れるのは軍歌や戦時歌謡一色になっていったらしい。
『森の水車』の発禁はただ”戦時に相応しくない”とのお達しだったそうだが、のち1958年1月音楽之友社発行の『歌をたずねて〜愛唱歌のふるさと』の中で、米山は次のように語っている、
(発禁になったのは)「軍歌しか認められない時代で、『森の水車』のメロディが米英調だという理由です。当時の作曲家たちはいろいろ隠れて工夫して、いわゆる米英調の歌を作っていたんです。この歌は実はドイツの作曲家アイレンベルクのメロディ(*)を拝借しているんです。内務省の最初の検閲では枢軸同盟を結んでいるドイツの曲ならよい、ということだったんですが…」。

(*)リヒャルト・アイレンベルク(1848-1927/ドイツ)の《森の水車》Op.52
…原題"Die Mühle im Schwarzwald"は〈黒い森の水車〉と言った方がより近い。

さて、では詩の方がどうなっているか、見てみよう。
私はリフレインの後半も曖昧だったし、2番,3番は殆ど記憶になかった。

1.緑の森の彼方から
 陽気な唄が聞こえましょう
 あれは水車の廻る音
 耳を澄ましてお聞きなさい
 (R.)コトコトコットンコトコトコットン
 ファミレドシドレミファ
 コトコトコットンコトコトコットン
 仕事に励みましょう
 コトコトコットンコトコトコットン
 いつの日か
 楽しい春がやって来る

2.雨の降る日も風の夜も
 森の水車は休みなく
 粉挽き臼の拍子取り
 愉快に唄を続けます
 (R.)

3.もしもあなたが怠けたり
 遊んでいたくなった時
 森の水車の歌声を
 独り静かにお聞きなさい
 (R.)

これについての発言は文献に見当たらないが、想像を働かせるに、以下の点は当局が問題としたかもしれない。

1.「いつの日か楽しい春がやってくる」
…つまり、ひっくり返せば、”今は楽しくない冬の季節”だと時代を否定している。これは、当局とすれば面白くないだろう。

3.「あなたが怠けたり遊んでいたくなった時」には「森の水車の歌声を」「お聞きなさい」
…悪くとれば、”(人間なんだから)怠けたくなる時も遊びたくなる時もあってしかたないよね”、との解釈も可能だ。当局としては許せない事だろう。
そういう時は、「森の水車の歌声」でなく、戦地に行っている兵隊さんの声を想い、世のスローガンを聴き直せ、と言うに違いない。
例えば「欲しがりません勝つまでは」、「聖戦だ、己殺して国生かせ」、「血の犠牲、汗で応えて頑張ろう」、「進め一億、火の玉だ」。
等々挙げだせばキリがない。

メロディよりも、当局は詩の方を問題にしたのではなかろうか、あくまで私見であるが。

この曲が解禁されたのは戦後である。
1949(昭和24)年4月に始まったNHKラジオ番組「陽気な喫茶店」では、荒井恵子が歌ったこの曲が毎回流れた。
1951(昭和26)年8月には、並木路子が歌ったレコードが日本コロンビアから発売された。
レコードとしては9年間も日の目を見なかったのである。

付点を伴う明るいメロディは春の到来を待つが如く何とも長閑だが、歌詞には時代の傷の痛みが残っているようだ。
 
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