mixiユーザー(id:3341406)

2016年06月07日23:39

1899 view

ニジンスキー復元版バレエ《春の祭典》

5/23(月)、NHK-BS〈プレミアムシアター〉で「サンクトペテルブルク白夜祭2008」公演の収録が放送された。

この公演はイゴール・ストラヴィンスキー(1882-1971)作曲のバレエ《火の鳥》《春の祭典》と《結婚》で構成されている。
特に《春の祭典》が、幻であったニジンスキー振付の復元によっている事、その映像記録の価値から、NHKでは幾度か放送している。再放送を希望する視聴者の声も多かったのだろう。
調べた範囲では、今回以前に、2009年3月と12月、2011年7月の3回放送されている。前者は白夜祭の公演日と近い事から、これが日本で紹介された初の機会だったのではないか、と推測する。

《春の祭典》バレエ初演時(1913)の騒動については、今や音楽史の重要な1ページとして誰もが知るところとなった。
その騒動に迄触れようとすると、紙面が際限なく膨れてしまうので、それは割愛。週刊誌的な記述も多いので、静岡文化芸術大学〈文化と芸術C〉(2015.10/上山典子)の聴講記録を参照するに留める。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1947395692&owner_id=3341406

ともかく、その振付をしたのがヴァーツラフ・ニジンスキー(1890-1950)で、公演はディアギレフ率いるバレエ・リュスだった。
時代が時代だけに、彼が振付をした《春の祭典》の映像も記譜も残されていない。ニジンスキーはダンサー,コレオグラファーとしてはともかく、指導者としての資質を問う人もいて、しっかりした記譜など起こさなかったのだろう。
時代の波の中で完全に忘れ去られてしまったそれの復元に尽力したのは、舞踏史学者のミリセント・ホドソンと、その妻で美術史学者のケネス・アーチャ―である。
2人は、1979年から8年の歳月をかけて、この作業を行い、復活させた。

その間、多くのコレオグラファーが《春の祭典》の振付を行った。
レオニード・マシーン(1920)、モーリス・ベジャール(1959)、ピナ・パウシュ(1975)等々。
残念ながら、ニジンスキー〜ホドソン/アーチャ―版を観る機会はあまりない。
私は、ベジャールとパウシュはハイライト版ながら観た事があるが、これは観ていない。
前掲の聴講授業で復元版の映像を紹介され、驚くと共に震えた記憶がある。

今回の放送はその時紹介してもらったもので、2009年も11年も見逃している私には、大変にラッキーな賜物であった。
映像も極めてクリアーなもので、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮の演奏も、これ迄何度も聴いた他の指揮者達によるものと全く違っていた。
それはパリのシャンゼリゼ劇場で初演されたという性格よりも、太古のロシアをより強く感じさせる土俗的で呪術的な迫力に富むものだった。

ちなみに「サンクトぺテルブルク白夜祭」はゲルギエフが創設した芸術祭である。
ストラヴィンスキーもサンクトペテルブルク近郊で生まれ、同大学で学んでいる。父親は同地マリインスキー劇場のバス歌手だった。
ニジンスキーも、バリエリュスに呼ばれる前は同劇場のダンサーだった。
サンクトペテルブルクとマリインスキー劇場は、このバレエを演ずる上では、根源的な縁のある場所である。

さて、今回の公演のデータである。重複もあるが、整理しておこう。
人名の表記はTVのクレジットに合わせた。

作曲・台本 イーゴリ・ストラヴィンスキー
台本・美術 ニコライ・レーリヒ
原振付 ワツラフ・ニジンスキー
振付復元 ミリセント・ホドソン

指揮 ワレリー・ゲルギエフ
演奏 マリインスキー劇場管弦楽団

〈出演〉
生贄の処女 アレクサンドラ・イオシフィディ
長老 エレナ・バジェーノワ
賢人 ウラディーミル・ポノマレフ
マリインスキー劇場バレエ団

2008年6月/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場公演ライヴ収録

伝統的なヨーロッパスタイルのバレエとこれは、求める世界が全然違う。洗練や典雅とは縁がない。
トウシューズもチュチュも着けない。着ているのは、ロシアの古い民俗衣装。
全員の顔に派手な原色の刺青が施され、上で出演者の名前を記したものの、見た目ではそれが誰か判らない。
ダンサー達の身振りには、アラベスクもピルエットも型名を付ける事は不可能。
バレエの基本中の基本である両足の外側への開き(アン・ドゥオール)は一切なく、内股で立ち首を傾げ、奇妙なぎこちない動きが続くと、思いも寄らぬストップモーション。

曲は2部構成で、序奏の後、第1部「大地礼賛」、第2部「いけにえ」。

物語は到って簡単。
春の訪れに歓び沸き立つ村。
人々は、大地の恵みに感謝して踊る。
しかし、賢人は、大地への祝福が太陽神の怒りに触れるのではないかと怖れる。

太陽神に花嫁を捧げる為、処女を1人選び出す事とする。
生贄に決まった娘は、一心不乱に踊る。
それは次第に激しさを増し、狂ったように踊り続けると、遂に息絶えてしまう。
村人は彼女の亡骸を太陽に向け高く掲げる。

今回の鑑賞に沿ってもう少し詳しく話すと、
・・・・・・
春の訪れを感知する一部の若者達は、大地への感謝として、ポリリズムの外れた強拍に合わせ足の踊りを始める。
長老は腰と指の曲がった皺深い老婆だが、まだ目覚めぬ男女の間を走り回り、早く起きて踊れと喚き、飛び跳ねる。
踊りの輪は次第に拡がり、盛り上がり、不協和音が雷のように落ちると、男達の中には木偶のように争う者もいる。
日本の地方に残る古い民俗的なそれを想わせるような踊りも、時にある。

踊りの人数が増え、激しくなると、奥から、若者達を杖代わりにした白髪白髭の賢人が天を仰ぎつつ、硬直した棒のような足取りで現れる。
彼の開き切って瞬きひとつせぬ目には、太陽神の大地への嫉妬が見えるらしい。
村人の踊りはたずなを失い乱れていく。
賢人は怖れ、地面にひれ伏す。
村は遂に混乱の極み。

若い乙女達が輪になり静かに哀しげな舞を舞う。
恐らくはこの中から1人、太陽神に捧げる花嫁が選ばれるのだろう。
それが長く続くうちに、輪からこけ転び出る者が1人現れる。
彼女は、他の娘達から押し出され押し出され、遂に輪の真ん中に呆然と立つ。
大太鼓とティンパニの両手4手が強く連打される。
決まったのだ。

他の娘達は狂喜し、金管と打楽器群の喚きの中で、トーテムポールのように硬直して動かない花嫁候補の周囲を乱れ踊る。
シンクロナイズを必須とする伝統的バレエの群舞からは、全くかけ離れている。
凶暴なファンファーレ。
有無を言わさぬ集団の暴力。
1913年、まさに第1次世界大戦前夜、ヨーロッパ帝国主義の弱肉強食と一触即発の危機的感覚が、ストラヴィンスキーの胸中にも潜んでいたとして何らおかしくない。
または原始宗教の死と再生。再生の為には破壊が必要だ。

急に静かになり、獣のなりをした村人が不安な音楽と伴に処女の回りを足を引き摺って歩く。
泣き喚くグループもいるが、輪は次第に大きく膨らんでいく。

とうとう乙女が覚醒する。
激しく乱れたリズムと不協和音の連続、彼女は飛び跳ね全身で踊る。
村人たちは顔を隠し(名もない衆愚となって)、背中を丸め、生贄の周囲を金管のくさびのようなリズムで1列に歩く。
乙女は動揺し、震え、自らの体を打ち、輪を打ち破ろうとするが、獣をまとった男達に押し留められる。
輪は緊縛の度を増す。
乙女は痙攣のように乱暴に腕と脚を振り回し、首と上半身旋回させ今や狂気に至る。
怖ろしい踊りだ。
村人は地面に坐し、静けさの中に彼女の聖なる踊りを見上げている。
乙女は踊りに踊り、遂には大地に倒れ込み、息絶える。
獣皮を着た男達が、彼女の亡骸を太陽に向けて高々と持ち上げると、打楽器の強打1つで異教の長い祭典はばっさりと終わる。

初演の客席では、このバレエの早々から、許容する者達と許容できない者達との言い争いが起き、乱闘騒ぎに迄発展した。公演を続けるのは大変な様相だった。
その原因の半分以上は、ストラヴィンスキーの音楽にも益して、ニジンスキーの振付にあった。
ニジンスキーは、騒ぎで音楽が聞こえなくなったダンサー達に、舞台袖からポリリズムを数えて合図を送っていたそうだ。
生贄の処女はニジンスキーであったのかもしれない。
現代でこそ舞踊は何でもありで観客も慣れているが、20世紀初頭の西欧の一般的な人々には、《春の祭典》は全く異様な世界の展開であった事だろう。

イオシフィディとマリインスキー劇場バレエ団のダンサー達も凄いが、ゲルギエフの音楽も凄い。
この日、マリインスキー劇場に居合わせた観客は、心底から突き上げるバレエと音楽に対する震えで歓声を上げた。


同じ時間に放送された《火の鳥》はミハイル・フォーキンの、《結婚》はニジンスキーの妹ブロニスラワ・ニジンスカの振付によるものだった。
これらについては、またの日に。
 
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年06月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930