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2021年01月04日19:49

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【NEWS】明智光秀幻想

■明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に
(朝日新聞デジタル - 01月03日 20:54)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6365340

日本史にはときどき「トンデモ説」がまことしやかに語られることがあって、
その代表的なものが、
「義経ジンギスカン説」

これは、ほぼ完全に否定されているんだけど、
それでも信じる人はいる。
(あるわけないだろ!レベルなんだけど、
 その手の人たちは、絶対ないという証拠はないだろ!とか言うからもうやだ〜(悲しい顔)
もともと義経生存説は、かなり古い時代から言われていて、
江戸時代初期にはもう、「判官殿の屋敷跡」とか「義経弁慶ゆかりの地名」とか、
(武蔵坊弁慶も創作っぽいんですけどね)
そういうものが報告されているし、
そこから、蝦夷地に渡って→大陸渡って→やりたい放題の俗説がどんどん出る。

最初は、「金の将軍」
でたぶんファンが話を大きくして「清の始祖」
清国の清は、清和源氏のことなりよと。
これわかるよね?
モンゴル帝国の中国王朝は「元」(フビライ・ハン)だけど、
元とは、源氏の源の言い換えなりよと。
まあいいんですそんなおとぎ話は、
で、大正13年(1924)に小谷部全一郎著『成吉思汗ハ源義経也』がでると、
大ブームになっちゃうわけ。

しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
吾妻鏡に登場する静御前の歌。
意味は勝手に調べて。
これは本歌が伊勢物語にあるので、そっちの知識もあったほうがいいよ。
古典を上手に引用しつつ、今の心情や頼朝と義経のことなどを盛り込んで、
みんなが「ほほう」と思うものです。

で、
なす よし も がな
成  吉  思 汗

こういうの楽しいよね〜〜〜わーい(嬉しい顔)

義経伝説はこの程度にして、これみたいに都合のいいところだけ寄せ集めて、
都合の悪いことは一切見ない、あるいは「デタラメ」「間違い」として、
さも次節に正当性のあるかの如き珍説を展開することがまあまああります。

「邪馬台国畿内説」もその一つだよ。

一般にはまだ「どちらも確証はない(九州説と畿内説ね)」とか、
研究者の間でも結論は出ないとかになっているけれど、
そんなことはないよ。
あえて、言うなら「結論を出すと都合が悪い」人が多いから、
そういうことにしておこうというだけ。

そもそも「邪馬台国畿内説」は、義経ジンギスカン説と同等のトンデモなの。

魏志倭人伝の記述をどう読んでも、畿内はありえない。
北九州の国名が町村単位レベルで列挙されていて、
それらの国が現在どこかはほとんど特定されているのに、
それらをまとめた「連合王国のトップ」がなんで遠く離れた大和地方に来る?
最初から、九州周辺の話しかしておらんわ。
それを、10キロと100キロを書き間違えたんだ!レベルの言い訳つけて、
無理やり畿内までひっぱるのが畿内説だからね。
なんでそんなバカをやらかしたのかと言うと、
「天皇支配の正当性を証明するため」に、
「天皇家につながらない日本の女王」がいちゃまずいし、
「そいつが魏に朝貢した」なんて史実はあっちゃいけないのよ。

で、「邪馬台国畿内説」というトンデモを捏造した。

魏志倭人伝には邪馬臺國という名称はありません。
「邪馬壹國」
ただし、三国志の最古の写本は12世紀頃っていわれているし、
後漢書その他で「邪馬台」の表記もあるので、
(注 同じ国とは限らない)
やまい、やまいち国なのか、やまと、やまたい国なのかは長くなるから割愛。
でもねえ、
何が何でも「卑弥呼の王国は畿内ヤマト王権」にするという結論ありきで、
畿内大和説はできているってことね。
その後、纒向遺跡の発掘や箸墓の年代測定が確定してきて、
「魏志倭人伝の時代に大和地方に大きな集落と王権があった」のは間違いない。
でもそれは、卑弥呼の邪馬壹國ではないよ。
都合のいいことだけつなぐと「どうとでもなる」という話。


    うれしい顔    手(パー)     ボケーっとした顔


で、明智光秀。
名称いろいろあるんで、めんどくさいから「光秀」ね。

上杉謙信とか真田幸村みたいに「史実としてはデタラメ」な名称ではないので、
明智光秀はいいや。

でトンデモなのは、
「明智光秀は義に篤い正義の人であった」的なやつです。

今の大河ドラマもだいたいそんな感じなんでしょ?
だから本能寺の変では、
「信長という狂人の暴走が止められず、
 もはや日本を、民百姓を救うには、
 信長親子を討つしかないのだ!」
「これは正義なのだ。やむにやまれず血涙を流して盟友信長を葬る」
そういう感じなんでしょ?たぶんだけど……見る気がないからどうでもいいわ。

まずね、明智光秀には「わかっていないこと」がいっぱいあって、
どこでどう生まれたとか、全く記録がない。

実際、出自のあやしさは「羽柴秀吉以上」なんだよ。
それが、信長軍団で大出世する。
これも「羽柴秀吉以上」です。
しかも、足利義昭のところにいた「ただの従者レベル」だった新参者。
それが信長軍団筆頭の権力者になる。

いかに、「信長が光秀を信頼していたか」ということ。
それが、本能寺の変の「ありえない甘さ」につながるんだけどね。

ルイス・フロイスは光秀のことを、
「とにかくありえないレベルの、信長への媚びへつらいだけで生きている男」
と書いている。
「嘘つきすぎて自分でも本心がわからない」ほどだって。

「光秀正義漢説」を振り回す人は、
ルイス・フロイスの話はすべてインチキ!でたらめだ!と言わないとだめですね。
日本支配を企む耶蘇という世界最悪の邪教の先兵だから、
こんなやつの言うことはみんなでたらめ!と言いたくなる気持ちもわかるけど、
フロイスは、本国に送るいわば「スパイ情報」に創作をする必要はないし、
邪教特有の先入観はあるものの、「嘘を書く理由はない」んですけどね。
それに、これを日本人が読む機会はなかったので、
「フロイスと同じことを日本人が言っていたら」事実である可能性がぐんと上がる。
例えば、秀吉の指6本。
前田利家の日記によって裏付けられたので、フロイスの信憑性が上昇したと。

で、フロイスの言い方をすると、
「なんでこんな男がここまで出世するのか?」と。
とにかく信長は光秀を信用しきっていて、それもよくわからない。
(注 男食説もありかなと個人的にはありかなと思いますよ、信長の男妾ね)
そんななので、家臣団には友人が一人もいない嫌われ者。
だけど!!だけど!!だけど!!信長は光秀好き!!

実際、ルイス・フロイスの言うとおりかどうかは別として、
「信長の光秀への信頼感」は度を越している部分がある。

まず、上でも書いたけど「信長軍団の最大最強の権力者」だったってこと。

軍事力は、経済力とセットなんだけど、
光秀は秀吉の2倍以上もらっている。
こんなやついねえ。
城も別格にでかい。
ルイス・フロイスも認める「築城の才」があって、壮大で堅固な城をバンバン建てる。

で、本能寺の変の頃に光秀に与えられていた役職は、
「畿内全域の総支配」です。
室町幕府の役職でいうと「関東管領」というものがあって、
厩橋城(前橋な)に入って関東支配を任された滝川一益が、
だいたい信長軍団の関東管領だとすると、
光秀は「畿内管領」というとんでもない要職あった。


武田勝頼を滅ぼして信州から関東方面の憂いをなくした信長は、
武田家の切り取りを徳川に任せて東海地方を安定させ、
柴田勝家を北陸支配(最終目標は越後の上杉)、
滝川一益を北関東において恭順した北条と東北勢の支配、
羽柴秀吉を中国地方遠征(毛利征伐)と振り分けた上で、
「朝廷、大阪、堺、周辺の最高管理官」として光秀を置くわけですよ。
完全に、近衛軍総司令と警察庁長官と総理大臣をやらせているわけ。
小姓や馬廻りなんかのはべっている何人かを除くと、
「信長軍の本体」は光秀が指揮していたことになる。

それがねえ……。

ここまで厚遇されて、信長軍団で「異例の大出世」したのに、
その引き立ててくれた親分を殺すのが「義憤」ですか?

    かたつむり   むふっ   がく〜(落胆した顔)

わりとね、
「残虐非道の基地外信長」と「知性的でまともな人光秀」みたいな、
後世のまんがみたいな構図が普通に信じられているでしょ?

でも信長は、
あたりまえだけど「そんなおかしな人間ではない」事はもうわかっている。
そりゃそうでしょ。
信長だって弱小大名から身を起こしているんだから、
政治もまともにできない基地外の訳はない。
信長は、家の格式とかにこだわりが殆どないから、
「光秀や秀吉のような胡散臭い下人出身」でも有能なら重用する。
そのかわり、無能ならすぐに捨てるし信賞必罰がはっきりしている。
帰順して尽くせば「家康のように」厚くもてなしを受けるし、
裏切ったり、無用に刃向かったりすれば「クビちょん」
気性や気分の問題もあるけど、気に入らないやつには苛烈です。
で、その中でも光秀は「最大のお気に入り」だった。

それは、惟任日向守を賜ったときにも現れている。

光秀は、信長の恩賞として「惟任日向守」の姓と官職を朝廷からもらう。
惟任の由緒正しき姓と官位をもらったのは、光秀一人だけです。
丹羽長秀は、惟住(これずみ)の賜姓だけ。
羽柴秀吉は、筑前守の官位だけ。
とにもかくにも、

  「光秀だけは家臣団の中で別格に優遇されていた」

のは間違いないです。
コレは史実ね。

そういう、信賞必罰に厳しい信長様が、
ルイス・フロイスの言うように「信長への媚びへつらいがすごい」としても、

   *もし光秀が、
    言うことを聞かなかったり、戦功をたてなかったりしたら、
    ここまで大事にされるのか?

そんなことはありえない。

光秀は数々の信長の戦に出陣して、「戦功を立てた」ことは史実です。

でそういう光秀が、
「叡山焼き討ちでは信長に反対して、女子供を助けた」
なんてことがあると思う?
戦目付というのがいてだね、何してたかは報告されるからね。

信長が「皆殺し」を命じるのには意味があって、
宗教関係の勢力は「武家の理」では動かないから、
頭を殺しても意味がないからなんだけど、
見せしめや根こそぎ潰す意味も含めて苛烈にやる必要があるわけで。
そこで、光秀が「活躍しない」とでも思う?

コレ最近の研究では、当たり前だけど、
「光秀は大虐殺の実行責任者」でもあることがわかっています。
特にそういう記録がないだけでね、やらないですむわけ無いでしょ。

そんな言うことを聞かないやつを、信長が重用するもんか。

信長のやったことの「実行責任者」としての光秀をないことにしちゃいかんのよ。
それがなければ、信長に寵愛されて、
信長軍団筆頭権力者に上り詰めるのは不可能なんだから。
ちなみに、叡山焼き討ちあたりの光秀の殺しっぷりは証明されています。
和田秀純宛、光秀書状、
「仰木の事は、是非ともなでぎりに仕るべく候」
大津の仰木の奴らは言うことを聞かないから「ぜひとも皆殺しにしろ」と。
まあ、発掘調査では焼き討ちはともかく大虐殺はそこまでやってないっぽいので、
そもそも信長には殺す意志がなかったのかもだけどね。


おまけでいうと、
信長家筆頭家老、佐久間信盛の失脚には、
「光秀の讒言があった」と書かれている文書があります。
フロイスの言う「謀略を得意とする」部分かもね。
佐久間信盛の所領を光秀は手に入れるわけだし。



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光秀信者の屁理屈のスタートは、
山鹿素行の『武家事紀』ですわね。

父子の悪虐は天下の妨げ、討ち果たし候。其の表の儀、御馳走候て、大垣の城相済まさるべく候。委細、山田喜兵衛尉申すべく候。恐々謹言。

山鹿素行は江戸時代の初期の人。
赤穂浪士で有名な山鹿流陣太鼓の其人。
(*赤穂浪士が山鹿素行を読んでいたかどうか不明な上に、山鹿流も虚構)

漢文なので、「信長父子悪逆非道云々」なんだけど、
読み下しがあったので拾ってきた。

簡単に言うと、
光秀は本能寺の変のあとに、オレの味方につけ!と書状を飛ばしたんだけど、
それには、
「悪逆非道の信長親子を殺ったのは、天下のためです」
「さあ、みんなよかったね!オレの味方になるよね!よろしく!」
と書いたことになっているわけ。
これ、現物が一通も残っていないので山鹿素行が何を見て書いたのか不明。
創作の可能性もないわけじゃない。
(オリジナルが発掘される、
 あるいはオリジナルを読んだと思われる書簡などがでると、
 ちょっとした事件になるはず)

そうか〜〜やっぱり光秀は天下のために殺ったんだなと。
信者の拠り所です。

でもねえ。

山鹿素行の『武家事紀』には、光秀謀反の理由も書かれているんだよ。
そこ無視?

ここで、いちばん重要なのが「斎藤利三の存在」ですよ。

この人、「本能寺の変の実行者」です。
史実。
*本能寺の変は秀吉の陰謀とかいう人もいるんだけど、ないない。
このニュース記事にもあるよね。
>寺を急襲した光秀軍を率いたとされる重臣の斎藤利三

こいつの存在が本能寺の変の直前にものすごく重要になる。

利三は、信長配下の稲葉家の家臣だったんですが、
「勝手に光秀に鞍替えしていた」
事件の10年前くらいに。
でそれだけじゃなくて、本能寺の変のちょい前に、
利三を介して「もうひとり引き抜いていしまう」

で、おいおい冗談じゃねーぞ!と稲葉家側から信長に訴訟が入る。

で山鹿の『武家事紀』には、
「光秀返してやれ。光秀、断固拒否。前線で戦うにはいい家臣が必要なんです!信長立腹。こんのくすたーきゃー!グーパンチ炸裂。光秀みんなの前で大恥」
と書かれています。
これが原因だと。

でね、稲葉家文書とかを総合すると、

直治を戻し、利三に切腹を命じる裁定を、変の4日前となる天正10年(1582年)5月27日付けで下している(『稲葉家文書』『日本外史』) by Wiki

となるわけですよ。
光秀が信長の怒りをかって「足蹴にされた」というのはフロイスも書いているので、
たぶん怒りをかったのは事実です。
大本がどこかはしらんが、複数の資料に裏付けがあり、
特にフロイスと共通しているのは大きい。

こうなるとね、

  「本能寺の変は、斎藤利三の問題が一番大きい」

のは、確定的でしょ?
光秀には、利三を切腹させないと収まらない状態があった。

しかも、この信長が不興を買う事態によって、
「光秀は格下げされてしまう」

秀吉からの援軍要請があって「お前行け」といわれたわけで。
その内容は、「秀吉の下につけ」ですから。

光秀には、「利三問題をきれいに決着つけないと失脚すらあり得る」
かなりまずい感じがやってきた。

で、本能寺の変になるわけで。


家康に結城秀康を殺させたように、
忠誠の証として家臣を切らせることは、そんなに珍しいわけではない。
信長としては、
「斎藤利三の処分」を光秀に言い含めた気分でいる。

実際、言い含めていたのかもね。
それくらいのどかに、無防備でいるから。

でもこの話は、「利三の知るところとなる」
そりゃあ、切腹しろだから言うしかないんだけど、暗殺指令でもいいわけよ。
殺しておいて、切腹しましたと届けりゃいい。

でもね。
そうはいかなかったとさ。

その当事者の斎藤利三が、
「ヤラれる前にヤレ」ということで信長を殺してしまう。

これ、私の予想では「光秀の決断」だと思うんだけど、
利三の独断専行も絶対ないとは言えないかな。
どっちにしろ家臣が信長に反旗を翻したら、やるしかないしね。
戦略のゆるさがあって、
全兵力を適当にうまくつかって、信長親子を殺してないのは、
光秀の中に「逃げ道を探す保身的な心情」があったと思う。
場合によっては、「利三の勝手にやったことだけど〜〜」で、
謀反人の雰囲気を逃げようとしていたとか。
その時は、利三を切ることまで考えていたかも。
家康を逃したゆるさも、ちょっと理解不能。

それにさすがは嫌われ者の光秀というか、
「誰も味方につかなかった」ので、
一気に固めることができなくて、
「畿内や所領付近の平定に時間をつかってしまう」

仮に「悪逆非道の親子を退治」と書いたのが事実だったとしても、
誰も、光秀に正義があるとは思っていなかったからこその、
フォローなし。

あまりにも、計算不足で根回し不足で突発的だからこそ、
信長を殺せたけれど、自分も沁んでしまう。
そういうことですよ。
その引き金というか、そういう事態に陥ったのは、
「斎藤利三問題を適切に対処できなかった」ことだと、
私は考えていますし、普通に合理的説明になっているでしょ?
ちがう??



































◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に
2021年01月03日 20:54 朝日新聞デジタル

 戦国武将の織田信長(1534〜82)が、配下の明智光秀(1528?〜82)に討たれた本能寺の変(1582年)をめぐり、光秀は本能寺(京都市中京区)の現場には行かず、部下に実行させていたとする学説が出てきた。本能寺の変に参加した家臣から聞いた情報として、事件から87年後にまとめられた古文書に記録されていた。これまで映画やドラマなどでは光秀本人が寺を襲ったように描かれてきたが、それを裏付ける史料はなく、研究者の間でも議論されてきた。

 古文書は江戸時代前期に、加賀藩(現在の石川県と富山県の一部)の兵学者、関屋政春(せきやまさはる)が書いた「乙夜之書物(いつやのかきもの)」(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵、3巻本)。史料の存在は一部で知られていたが、主に加賀藩に関わる部分が注目されてきた。このほど、富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員(日本中世史)が読み解いて明らかにした。

 萩原さんによれば、本能寺の変の記述は1669年に成立した上巻にある。寺を急襲した光秀軍を率いたとされる重臣の斎藤利三(としみつ)の三男で、自らも数え16歳で事件に関わった利宗(としむね)が、おいで加賀藩士の井上清左衛門に語った内容として収録されていた。利三と、光秀重臣の明智秀満(ひでみつ)が率いた先発隊2千余騎が本能寺を襲い、光秀は寺から約8キロ南の鳥羽(京都市南部)に控えていたと書かれている。

 奥書(書き入れ)には、関屋が息子のために書き残し、他人に見せることは厳禁とある。萩原さんは「関屋の自筆本で後世の加筆もないとみられ、事件に参加し、重要情報に触れ得る立場の人物が情報源であることから、信頼性が高い記述ではないか」とみる。

 光秀本人が本能寺を襲ったと考えられてきたのは、光秀と交流があった公家の吉田兼見(かねみ)の日記(1570〜92年)などに「惟任日向守(光秀のこと)、信長之屋敷本応寺へ取懸」などと記されていたためとみられるが、うわさを書き残した可能性も指摘される。

 光秀が本能寺に行かなかったことについて、本郷和人・東京大史料編纂(へんさん)所教授(日本中世史)は「十分あり得ることではないか。光秀自身が最前線に赴く必要はないし、重臣を向かわせたのも理にかなう」と話す。(編集委員・宮代栄一)
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