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2020年10月17日17:20

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【コラム】多様性、性的マイノリティなどの「言葉」を都合良く使いたがるバカの典型

■小島慶子「性的少数者への差別や偏見は『多様性の一つ』ではない」
(AERA dot. - 10月17日 11:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=6271879

まず、最初にこの手の歪んだ人たちが、絶対に理解していないこと。

  「絶対善、絶対悪は存在しない」

そんなことも知らんのか?と言いたいところだが、
宗教を信じている全世界の愚か者たちは、
「絶対善はあると盲目的に信じている」から、あんな嘘っぱちを盲信できるので、
世界の大多数は、き○がいレベルのバカだと言える。

処世術はいくらでもあるが、
それは「この方がベターだと思える」といっているのであって、
「これが正しい」というものではない。
孔子や孟子、その対岸にいる老子や荘子が、
「どちらが正しいとは言えない」関係でそれぞれを補い合っているのは、
置かれている環境や条件に違いがあることを認めているからで、

  「前提や見方が変われば、答え(善悪)は変わる」

ことを知っているからだ。

    がく〜(落胆した顔)   犬  ブタ  おにぎり   レストラン

倫理で有名な「トロッコ問題」というものがある。
これは純粋に、「多くの命を救うためには、少数の命を犠牲にしていいか?」
ということ。

これはあらゆる意思決定の上で、現実に行われている。
「死刑制度」
「戦争」
「正当防衛」
本来は、
あらゆる社会制度がこの「5人を助けるために1人を殺す」ことをやっているし、
社会の構成員すべてが「それこそ正義だ!」と信じているもの。
「道路を通すために土地を売りなさい」
「自治会の仕事をしなさい」
「税金を払いなさい」
「NHKがどうのこうの」
「成田空港でどうのこうの」
全ては同じ、功利主義的理論で「より良い方」を決めているわけだ。


人間が「生死」だけを特別と思うのは、論理ではなく感情なのだが、
『世界人権宣言』のような妄想が絶対正義となっている国際社会では、
論理は基本的に「正義か否かを判定する基準」になってはいない。

クジラ問題などはその典型。
「クジラ食うな!」は、イヌ殺すなネコ殺すな!と同じく、
論理以前に感情が世間の主張になっている。
バカを相手に論理を積んでも無駄なのは、世界中出そうなんだよ。

キリスト教も、イスラム教も、ユダヤ教も、
「同じ神を信仰するインチキ宗教」(創価学会と立正佼成会みたいなもん)なのに、
世界は、これらを「嘘認定」しようとはしない。
*まともな理性があれば、ヤーヴェ信仰の嘘なんか論じるまでもない程度なのに、
 世界はそんな事実すら認めようとしない。
 実際、この三つ子の宗教が人類を腐らせる最悪の種だということも認めない。

   ひよこ   ブタ   蟹座  パンチ

小島慶子は、論理がない。

フェミや動物愛誤、人権弁護士、グレタみたいな「女」に共通して言えるのは、
「一見論理で話しているように見えて」
「実は、論理的な思考はしていない」
「根幹にあるのは感情だけ」

だから、実際のところ論理的な会話は殆どできないし、
データなどで論理的な反証を試みると、途端に足元をすり替えて、
「ではお前はこれでいいんだな?××でもいいんだな?」
というような激昂を繰り返して、他人を封じようとする。

小島慶子「性的少数者への差別や偏見は『多様性の一つ』ではない」

このタイトル通りなんだよねがく〜(落胆した顔)
論理の根幹を自分に都合よくすり替えたいわけ。

では、多様性ってなんだ?
ということを小島は絶対に、論理的に説明することはできない。
できたとしても、もしやれば、自分の都合よくは話ができなくなるからね。

「多様性」というのは、現象に過ぎない。

簡単にいえば「均一でない、変化に富む」ということね。
もちろん、本来の意味での生物多様性とかでは、
単純に種類が多いってことではないけれど、
とりあえず、「多様性」という雑な言葉においてはそんなもんでいいです。
バカが使いたがるダイバーシティもそんな感じ。
「いろんな意見があったほうがいい」とかその程度。

食べ物にするとわかりやすいかな?
「食物の多様性」
いろいろなものを食べたほうが健康にいい(らしい)ということもあるけれど、
食べたい側にとっては、選択肢は多いほうがいいよね。
肉、魚、野菜、加工品色々。
肉について言えば、
「ウシ、トリ、ブタ」だけじゃなく、
ヤギ、ヒツジ、ウマ、シカ、イノシシ、イヌ、ネコ、アナグマ、クマ、クジラ、イルカ
ほぼすべての動物は食肉になる。
ヤノマミのごちそうはネズミだよ。
げっ歯類は、ウサギがそうだけど「うまい」っぽい。
でも多くの愚か者たちが、「感情的に」多様性を否定する。
イヌを食べるような野蛮人!とか、
クジラを食べるようなやつは殺せ!とかそういうクズ人間もいるし、
宗教というインチキ妄想に寄って、
「ウシは食べない」「豚は食べない」
ヴィーガン教は「肉は食わない」
仏教も本来は「肉は食わない」
そうじゃなくても感情的に「気持ち悪〜〜い」っていうよねバカは。
昆虫食なんてそうでしょ?

「多様性は偉いんじゃないのか?」

でも、多様性が偉い!差別は悪だ!とぬかしまくる白人差別主義者には、
「クロンボに自由は認めるが、黄色い猿がクジラ食うのは許さん!」
でしかないのよ。

人間のほとんどは、論理では動かないから。
「論理を理解してたら、キリスト教もイスラム教もなくなります」

そして、差別だ差別だ!っていうやつがほとんどが、
ダントツにレイシストだという事実ね。
こいつらは感情だけだから、相対的に見て「自分がどの程度か?」ではなく、
「自分が嫌いな行為はレイシスト!自分は正義の人!」でしかない。



社会っていうのは「契約で成立している」から、
基本的に「多様性を認めない」のが建前です。
極端なのが軍隊。
上官の命令は絶対服従。いいとか悪いとか関係ない。
会社でも近いものがあるよね。
だから、会社の悪事を告発するのは「いいことではない」と。
ただし、会社が属している「もっと大きな社会」にとっては善行だから、
告発を奨励してみたり。
ここでも「トロッコ問題」なんだよ。
「会社に危害を与えても社会益を取るか?」

家族なんてそうでしょ?
「隣の子と自分の子と、どっちが大損をする?」ってときに、
フェアに徹することができますか?
基本的に、汚いやつのほうがいい思いするよね。

多様性?なんじゃそれ?それでオレが得するのか?

学校教育も、多様性はほとんど認めないし、
社会の一般的なルールも多様性は認めない。

近々の話題で言えば、「マスクしないという多様性をお前は認めるのか?」
ということですよ。

社会にとっては、多様性はむしろ悪なんです。


でもほら、自由主義社会だから、一応は。
いやいやもっと上(勝手に言っているだけだけど)の人権とかの理屈でいけば、
「マイノリティが尊重されないのはおかしいだろう!」
となるわけですよ。

じゃあ、性犯罪者やサイコパスとかの「多様性」も認めるのかよ?
ってなるのに、それは、

   「性的少数者への差別や偏見は『多様性の一つ』ではない」

という言い方になるわけ。

「これは多様性だから大事!こんなの多様性のわけがないわ!!」
その根拠は、
あたしが決めるのよ!
(とは言わないけど、そういうこと)



性的マイノリティが不自由なのは当然でしょ?
じゃあ公共機関が、
ノーマルな男女用の他に、
ホモ用、レズ用、倒錯者用、その他色々でなん十種類も便所建てるのかよ?

一つだけ解決法があるとしたら、
「完全なフリー」だけだよ。
全部男女もLGBTも共用な。

ジェンダーフリーもそうなんだけど、
「都合のいいところだけいっしょにしろ」というのはおかしいよね?
じゃあ全部一緒にすればいいのに、それだけは認めない。
オリンピックの女子競技もパラもなくす。
全部「完全フリー」でいいじゃん!

小島慶子の言うのはそういうこと。

「都合のいい話だけ、多様性だからやれよ!」
「都合の悪い話は、そんなの多様性じゃない!」

そもそもジェンダーフリーとか言っているのに、多様性?なんだそれ?




















◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
小島慶子「性的少数者への差別や偏見は『多様性の一つ』ではない」
2020年10月17日 11:30 AERA dot.

小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

*  *  *
「多様性が大事だという人たちは、“性的少数者は受け入れ難い”という意見を多様性の一つとして認めようとしない。それは独善的だ。正しい知識を学べと言うのは上から目線だ」。同性愛に対して誤った認識に基づく差別的な発言をした東京・足立区議会の白石正輝区議への批判について、そう叩く人たちがいます。批判は「上から目線」ではありません。なぜこんなに抗議の声が上がるのかを知ろうとしない態度こそ独善的で傲慢(ごうまん)です。

「区議を責めても被害者意識が強まるだけだ。そういう考えも多様性の一つだ」というのは、分断をなくそうとする“まっとうな”意見を気取っていますが、長い間差別に苦しんできた人たちへの視点を欠いています。議員として政策に携わる人には差別のない社会を作る責任があるのですから、正しい知識を身につけるのは当然です。

 白石区議の「こんなことはありえませんが、日本人が全部L(レズビアン)、全部G(ゲイ)となってしまったら、次の世代をになう人が生まれない」という発言からは、同性愛を「個人の趣味で選択するもの」だと考えていることがうかがえます。白石区議にとって異性を好きになることが生まれながらの当たり前であったように、異性愛、同性愛などの性的指向は“プレイ”ではありません。区議は自分の意見を変えるつもりはないと主張していますが、誤った知識に基づく偏見を広め差別を助長する発言をしたことは許されません。

 こういう時に必ず出てくる「差別に反対する者こそ差別をしているのだ」という意見は、差別を傍観し、少数者の口をふさぐ態度です。本気で分断に橋をかけたいなら、必要なのはまず川にたたき落とされて溺れている人を助けることです。突き落とした者を擁護することではありません。自分は差別と無関係だという傲(おご)りに強い憤りを覚えます。

小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。『仕事と子育てが大変すぎてリアルに泣いているママたちへ!』(日経BP社)が発売中

※AERA 2020年10月19日号 
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