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2019年05月16日20:49

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【NEWS】アンネの日記は偽書です。(その1)

「アンネの日記」新版発刊、本人が望んだ内容に一段と近く
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=5617191

そういうことを書くと、
必ずバカが湧くんだけどね。
「すでに完全に科学的に解決済み」とか、
「陰謀論を信じる救えないバカ」とかいい出す輩。

お前ら自分でどれだけ調べたの?
っていうか、誰かが「科学的に解決済み」と言ったら、
それをすべて信じるって、どんなにバカなんだよ?

はっきり言います、
「現在、アンネの日記オリジナルとして保存されている、
 アルバム1、ノート4(一つはフォトアルバム)、バラページ」
これらは、

 【アンネリース・マリー・フランクが書いたものではありません】

そういう意味でね、完全な偽書だよ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

まず、「アンネの日記はいろいろ怪しい」と言われたのは、出版されて直ぐ。

初版は1947年。
これは、オランダ語で書かれたとされる「オリジナル」を、
オットー・フランクが「ドイツ語に編纂して」
なぜかまたオランダ語に翻訳して出版したものです。

アンネの日記にまつわる物語としては、
「一家が秘密警察に連行されたときに、
 床に散らばった原稿を(すでにファンタジー)協力者が即座に集めて、
 帰還したオットーに渡した」
ことになっています。
これを、オットーがまとめて「私家版」(同人誌みたいな感じ)として、
配ったのが最初ということになっている。
アムステルダムで配るのに、
なんでオットーはわざわざドイツ語にして配ったんでしょうね?
わからん。(ここもストーリーなのでいろいろ胡散臭いですよ)
それが評判を呼び、出版に踏み切ったと。
え〜〜〜、最初から出版目的だったでしょうにねえ。
このへんも、美談とかそれっぽい無作為を偽装していますよね。
(ま、どっちにも証拠のある話じゃないから別にいいけどねほっとした顔

で、1947に出版と。


もうすぐに、「おかしいだろこれ!」と言い出す人が出る。
当時は、ユダヤのプロパガンダがひどくて、
「何でもナチスが悪い」(今でもだながく〜(落胆した顔))だったし、
誇りを傷つけられているドイツ人はいっぱいいたし、
今よりもっと、ユダヤ問題に「リベラルに」発言できた時代だったから、
(1980年頃から、
 ホロコーストやその他ユダヤ問題に対してまともな検証をしようとすると、
 ネオナチ扱いされるようになります)
英仏米学者も「コレへんだろ?」と言い出す。

1、文章が出来すぎ。
ガキの書いたもんじゃねーだろという普通な話。
古典的な言い回し、観念論的な表現も含め、
あまりにも「大人びている」高度な書き物になっている。

出版原本である「オットーが翻訳してまとめた最初のドイツ語版」には、
古典的なドイツ語の言い回しがあるそうで。
*これ、アンネの日記研究ではCテキストと呼ばれています。
 なぜCなのかというと、
 大本のアンネが書いたと言われるテキスト群が、A及びBに分かれるから。
 (これについては後述する)
 Cテキストって、いわゆる普及版ね。
 ただ、年代によって書き換わっているので、どこまでのことなのかよく知らん。
 とりあえず、オットーが取りまとめて出版したものってことで手(パー)
 今は、タイプ原稿1とかなんでしょ?

もちろん、出版当時は「オットーがまとめた」なんてことにはなっていませんから、
そのつじつま合わせの後出しについても、疑惑の対象です。

要は、「アンネの日記は色々おかしいだろどう見たって!」という話。

真贋論争、まずはここから始まります。

で、オットーは名誉毀損だ!とバンバン訴訟を起こす。
これ当時の、オランダやドイツの事情もあって、
「ユダヤ人に勝てるやつはいない」
取り敢えず名誉毀損は認められまくるんだけど、
肝心の、
「アンネの日記の真贋」は一切わからない。

理由は、
「オットー・フランクが、オリジナルの公開を頑なに拒んでいたから」

ほら怪しい。
検証に耐える本物があるのなら、出せばいいのにね。
だって、自信があるんでしょ?
いかなる理由があって「日記オリジナル」を公開しなかったのか?
完全決着信者はこういうことを問題にしないけどね。
で、なんか適当なストーリーをあとづけするわけよ。
例えば、アンネの思い出を傷つけたくなかったとかそういうやつ。

で、はじめて「オリジナルと言われているもの」が世に出たのが、
1980年。
(ちなみにこの年にオットーは死んでいる)
単純に30年以上隠してきたわけなんだけど、
オットーがじゃんじゃん起こしている訴訟について、
ついにドイツ連邦刑事庁(Bundeskriminalamt, BKA)が、
オリジナルの提出を要求し、鑑定のメスが初めて入る。

で、大問題が発生する。
いわゆる「ボールペン問題」

私は、どこぞのアホウよりはマシに「原典主義」を貫いているので、
BKAのオリジナル文書を探したんだけど、見つけられず。
*どなたかこの方面に強い人がいらっしゃったら教えてくださいませ<(_ _)>

で、とりあえず、当時の「NEWYORK POST」の記事から引用する。
http://www.fpp.co.uk/Auschwitz/docs/controversies/AnneFrank/ballpoint1080.html
*これもそうなんだけど、
 アウシュビッツ系の記事はわりとどこでもよく保存されていて探しやすいよ。
 でも、BKAのオリジナルはあたれなかった。

………………………………………………………………………………………………
"The results of tests performed at the BKA laboratories show that portions of the work [Anne Frank's diary], specially of the fourth volume, were written with a ballpoint pen."

- Al Fredricks, New York Post, October 9, 1980
………………………………………………………………………………………………

BKAラボで行われたテストの結果は、
[Anne Frank's diary]作品の一部は、
特に(specially)第四部(fourth volume)は、
ボールペンで書かれていた。

うっひょーーーーーーーですよね。

Anne Frank may not have inked that famous diary
by Al Fredricks

皮肉ですよこれわーい(嬉しい顔)


すべての筆跡が同じであること。
まちがいなく、最後のほうがボールペンで書かれていること。
ということから、
「戦後普及したボールペンでアンネが書けるわけがなく」
この文章全体が、「アンネ・フランクのものではない」可能性が非常に高くなった。

サイモン・ウィーゼンタール・センターをはじめ、
ユダヤ人機関があわくっている姿が目に浮かびます。

ここでねすごく大事なことがあって、
………………………………………………………………………………………………
The manuscript, in the form of three hardbound notebooks and 324 loose pages bound in a fourth notebook, was examined with special equipment.
………………………………………………………………………………………………

原稿(The manuscript)は、三冊の「hardbound notebooks」と、
第4のノートにまとめられた324枚のルースページは、
特別な装置で調べられた。

おいちょっと待て!

今現在、「アンネの日記オリジナル」として保存されているものは、
4冊とバラ原稿なんだけど?
おいおい、一冊すくねーぞ。

しかも、「アンネの日記オリジナル」とされている、
肝心要の「研究版でいうところのAテキストの1」は、【記載されていない】

フォト

これな。

今はこんな風に展示されてます。
フォト フォト

残りのハードノートブック3冊とバラは、これ。
フォト


(参考)
https://www.ushmm.org/exhibition/anne-frank/htmlsite/artifact_0_0.html
(ushmmというのは、United States Holocaust Memorial Museum)
ユダヤ側の発信基地の一つね。

    わーい(嬉しい顔)   冷や汗   目   手(チョキ)

ユダヤ側の人や無知蒙昧な「完全決着信者」は、
この事実をあまり問題にしません。

BKAってドイツ連邦の警察機関なんですぜ。
しかも、1980年だよ。
検査ミスとか、当時は機械がなんて言い訳通用しないよね、「普通は」

でこれについても、非常にユダヤよりの人が情報操作しているwikiでは、
こんな風にあとからあとから書き加えられています。
………………………………………………………………………………………………
1978年にレーマーとガイスの上訴に関して、ドイツの内務省に属する犯罪調査局(Bundeskriminalamt:BKA)は、原本の紙とインクの種類の科学調査を依頼され、「日記をルーズリーフに書く際に使用されたインクは戦時中のものであるが、ルーズリーフに後からなされた訂正は黒、緑、青のボールペンによって書かれている」との報告を裁判所に提出した。BKAはボールペンでの訂正について詳細な証拠を外部に示さなかったが、日記の正当性を疑う人々はこの点に注目した。
………………………………………………………………………………………………

これについては、事実かどうか全くわかりません。
少なくとも、1980年当時のNEWYORK TIMESでは、
(ワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズは一応まともと定評があるよ)
そんな話は微塵もない。
無取材で書くわけがないし、
反ユダヤの捏造記事、
あるいはネオナチが流した「デマ」をそのまま載せちゃったとでもいうのかな?
(殺されるかもしれないから、言うかもしれないね)

先に書いたように、
BKAや裁判所が出したオリジナル文章が見つからないので、検証できない。
ただ、どちらも証拠がないのはおかしいので、
「後出し側が握りつぶした」可能性を高く感じます。

もし、ユダヤ側が正しいのであれば、
「証拠を出さない理由がまったくない」ので。
たぶん、不都合だから消したんでしょうね。
そして、件のwikiの記述のごとく、捏造で埋めて情報操作していくわけです。

なぜ私は、そう解釈するのか?
まず、前後関係と状況ね。
上に書いたとおり、ユダヤ側はいくらでも「証拠提示することができる」からね。
やらないのは、やりたくない理由がある。
そのくせ、どこにもない情報をやたらと大量に証拠もなしに追加してくる。

*あ、証拠があるなら教えてくださいね。
 何度も言ってますけど、見つからんのですよ。(情弱ですまぬ)
 80年BKA鑑定のオリジナルと、裁判所記録。

そ れ か ら !!

「いわゆるアンネの日記が、アンネリース本人が書いたものではない証拠」
しかも決定的なものが、存在するからだよ。

   *それは、後でね。たぶん(長いのでその2です、3かな?)

証拠の話は、置いといて、80年鑑定で根底が揺らいだユダヤ側は、
自分たちでもう一回鑑定をします。

それが、「完全決着信者」の科学的ななんちゃらかんちゃらだよ。
実際、アンネ日記オリジナルと言われているものが、
公式にでもなんでも鑑定されたのは、この二回だけです。

「1986年、原本を保管するオランダ戦時資料研究所は、
 さらに詳細な科学的調査の結果を報告した」

これな。
例えば、韓国で「慰安婦強制連行の資料がこれニダー」が出たとして、
「韓国で鑑定するニダー」だからね。
外で検査したら贋物って言われたから、独自でもう一回検査するニダー。
絶対に、本物の証拠を見せる(作る)ニダー!!

始めっから、否定的な結論「アンネの日記はいかがわしい」なんて話が出るわけがない。
とだれでも思うんじゃない?

でも、「完全決着信者」は、これで完璧ニダーですよ。
これしかないのにね。
そして、もっと最新の決定的な証拠には目を瞑る。
愚かすぎるよ。
懐疑論者とか、科学性とか言っても、その程度ですよ人間なんて。
ちょっとしたことで、
「これが正しい」と信じちゃうと、
もうそれ以外が受け入れられなくなってしまう。

この鑑定、なぜか5年以上かかっているんですよね。
(5年かけた力作ですよ)

それだけでももうおかしいとか思わないのかなあ?


結論を言うとね、
「1980年鑑定では存在しなかったオリジナル中のオリジナルといわれる、
 Aテキストの1が作られた」
「ボールペンで書かれていたルースページ(Bテキスト)は全てインクで書き換えられ、
 ボールペン問題を補完するために、
 ボールペンによるオットーの手に似せた書き込みや、
 ボールペンによる二枚の注釈紙切れを追加した」

自分たちで捏造したもので、新たな完全決着となる鑑定結果を創作したわけです。

なぜそんなことをしたか?

バラの紙(Bテキスト)、
つまりオットーがドイツ語で作ったアンネの日記の原本と言われるものは、
簡単にいうと、全然日記っぽくないんですよ。

日記って、その日のことを何となく書くでしょ?
でもこのBテキストは、
「何かを写したように」ダダっと整然と書かれているんです。
まるで、数日でやっつけたかのようにね。
(なんせボールペンだもんな)

だから、このBテキストを「リアルにするために」こういう話が生まれます。

「アンネは、日記の出版を最初から意識しており、
 Bテキストはそのために抜粋し書き直したものである」

  *Aテキストの2,3も全然日記っぽくないよ。内容はともかく見た目が。

ほらきたほらきた。
どうしてこういう都合よく現れる新話から、ウソの匂いを感じないのか理解に苦しむ。

そのためには、更に原典としての「Aテキスト1の存在」が必須になった。

チェックのアルバムは、おそらくオットーが在命中かその死後に作り始めたのでしょう。
基本贋作は、当時のインク、当時の紙(この場合はアルバム)で作ります。
半世紀も経ってないくらいなら楽勝ですね。
そしてこれには、これでもかってくらいギミックが載せられました。

その他のテキストには一切ない子供らしさとか、かわいらしさ、思春期な感じ、
写真に手紙に、ブロック体筆記体、メチャクチャな段組み、
ポエマー女子が作るような、ファンシーブックに仕立てたわけです。

もちろん、Bテキストに対して矛盾が生じないように、
慎重にいろいろ選んでね。

もしこの本(Aテキストの1といわれるもの)が、BKA鑑定時に存在していたら、
これだけ圧倒的な別物について記載がないわけがなく、
(hardnotebook ×3 & looseですからねえ)
やっぱり、鑑定のオリジナルを見つけてほしいものです。
  *絶対出てこないだろうなたぶんだけど。
   そういうと、改ざん文書が出てきたりしてなほっとした顔

ちなみに、
hardnotebookの一冊(3冊のうちの一つ)は「物語」と呼ばれています。
日記ではなく、創作集って扱い。

………………………………………………………………………………………………
1986年、原本を保管するオランダ戦時資料研究所は、さらに詳細な科学的調査の結果を報告した。その際、どの部分がボールペンでの訂正部分なのか指摘するように求められたBKAは、その部分を指摘する事が出来なかった。(wiki)
………………………………………………………………………………………………

もうないからね、指摘できるわけがない。
そしてさらに、すり替えを指摘したら「殺される」かもしれないしね。

   がく〜(落胆した顔)  犬   山羊座  ビール

これが、事実ですよ。
たぶんね。
(予測も入ってるからほっとした顔

かくして、
「アンネの日記が本人の手によるものではなく、
 オットーやゴーストライターであるメイヤーレヴィンが創作した事実(fact)は、
 着々と、闇に葬られようとしました」

あるものが出てくるまではね。

(続く)




 




  













◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「アンネの日記」新版発刊、本人が望んだ内容に一段と近く
2019年05月13日 15:34 ロイター

[ベルリン 10日 ロイター] - ユダヤ人の少女アンネ・フランクがナチスの強制収容所に送られる前の日記が、未完成の原稿により近い形の新版として11日に出版される。

アンネは第二次大戦中、ナチスの迫害を逃れてオランダのアムステルダムの隠れ家で家族とともに暮らしていたが、1944年に見つかり、45年にベルゲン・ベルゼン強制収容所で死去した。15歳だった。

日記の初版はアンネの死去から2年後に出版され、75年を経た現在も世界で読まれている。

ナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の生存者で、フランク一家を知るローリーン・ヌスバウムさん(91)は、ベルリンで行われた出版発表の際ロイターテレビに対し、今回の新版はアンネが当初発行を望んだ内容だと述べた。ヌスバウムさんは、一家がアムステルダムに住んでいた時期に交流があり、アンネとは近しい友達ではなかったものの1941年に一緒に劇の練習をしたという。

アンネは、2つの日記を残している。1つはオリジナルの内容で、もう1つは、戦争記録のために日記やその他の文書が収集されるという計画を知った後に作成した修正版だ。

ヌスバウムさんによると、1947年以降に出版されたものはアンネの父親が作成したもので「オリジナル版と修正版の内容が混じっている」という。

新版のタイトルは、架空の友人に向けた「Liebe Kitty(親愛なるキティーへ)」となっており、ドイツ、オーストリアとスイスで発行される。

一家が住んだ隠れ家を利用した博物館「アンネ・フランクの家」は、「作家になりたかった少女」の未完の直筆原稿であり、本人による「創造的・文学的な選択」と説明。「読み手をアンネに一段と近づけるものとなった」としている。
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