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2020年01月20日19:08

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矢掛町

旧矢掛本陣、酒蔵に入りますね。

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酒蔵は、展示室になっています。

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山陽道と宿場町と題されたパネル展示。

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「矢掛宿 行程記(部分)」矢掛宿は1616年〜1642年(元和〜寛永期)、備中松山藩池田領の時代にかけて整備されたと考えれています。(説明パネルより)

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「本陣・脇本陣・下宿とは」幕府役人・大名・公卿などが、宿泊・休息した公認の旅宿を本陣と呼びました。脇本陣は、本陣の補助的な休息施設として指定されていて、大名に次ぐ家老などが宿泊しました。また、それ以外の随行者は、宿内の指定された下宿(一般の商店)と呼ばれれる家々に宿泊しました。(説明パネルより)

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愛嬌のある顔出しパネルがありますね。

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パネル展示「宿場町・矢掛」

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船箪笥。

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女駕籠。

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本陣当主 鞍・鐙。

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宿札。

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道中風呂と収納箱。大名様は、大名行列で風呂道具も運んできたそうですね。

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絞り場。酒蔵は、米蔵の南側に建っています。二階には蔵人といわれた杜氏をはじめとした酒造関係の使用人が寝起きしていました。(説明パネルより)
近くで見るとこの絞り機、とても大きいですよ。

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「篤姫とゆべし」。矢掛本陣に残されている古文書に、薩州御姫様一行が宿泊して、ゆべしを大量に購入した記録が残っているんですね。

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本陣の提供する料理には、身分・格式による違いがあり、幕府御用の場合は本膳料理が提供されたけど、大名の場合は質素な料理になっていましたと書かれてますね。大名様はお供のみなさんの分を全部負担しなければならないからそうです。 それ比べ、長崎奉行の献立は豪華です。幕府が全部負担してくれるからだそうです。 とは言え、庶民や農民は、もっと質素だったんでしょうね。

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「豪商石井家の家業」 石井家は、古市から1635(寛永12年)年現在地に移住し、庄屋をつとめるとともに、1620(寛永12年)に本陣職を命じられたと言われてます。代々家業として酒造業を営む矢掛町最大の豪商でした。(説明パネルより)

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