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2019年08月14日19:29

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「川崎みなと公園、西爽亭」 倉敷玉島ぶらぶら

通町商店街から、川崎みなと公園まで歩いてきました。
玉島港には、プレジャーボートや漁船などがたくさん係留されているのが見えますね。

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「玉島灯台(モニュメント)」があります。

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『このモニュメントは、玉島柏島の八幡山に設置されていた「玉島灯台」の上層部をそのまま移設保存したものです。 八幡山には、江戸時代に船の灯明台がつくられ明治16年に最初の灯台として「八幡灯台」が設置され、そのあとを引き継いで、昭和26年に「玉島灯台」が建設されました。 以来42年間にわたって玉島港へ出入りする船はもとより、水島灘を航行する船の安全の道しるべとして重要な役割を果たしてきました。 しかし、対岸の玉島E地区の埋立てが進み、灯台の役割が十分果たせなくなったため、平成5年2月約2.8Km沖合いに「水島港玉島防波堤灯台」が新たに建設され「玉島灯台」はそのつとめを終えました。 私たちは、海上交通の安全のため、灯台の果たす役割やそれを支える海上保安庁の任務の大切さを再認識するとともに、通称「八幡灯台」として市民の皆さんに長い間親しまれてきた「玉島灯台」を港町玉島のシンボルとして末永くここに保存するものです。』(案内板より)

常夜灯もあります。

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「~室は東に赤間は西に玉島港はまん中に~ と歌にもうたわれた玉島港、江戸時代には備中きっての商港として栄え、全盛期には43軒の問屋が軒を連ねていたという。その賑わいぶりは、参勤交代の西国大名で栄えた兵庫県の室津港や、山口県の赤間関(現下関)に勝るとも劣らなかったといわれている。出入りする多くの船の安全祈願のため設けられていた常夜灯も時代の変遷によりその機能を果たさなくなり、港を見下ろす場所(良寛荘)に移設されていたものを、当公園整備を機に旧位置の近くに復元した。」(案内板より)。

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続いて、西爽亭の方に歩きます。
「新島襄先生玉島港上陸の地」と書かれた石柱がありますよ。

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 「同志社大学の創設者として知られる新島襄(1843〜1890)は上野安中藩の江戸藩邸の子息として生れた。 19歳の頃、安中藩の学者川田甕江の漢学塾で学ぶ中、松山藩が購入した洋式帆船快風丸の玉島港への回船を知り、(文久2年・1862年) 甕江の推薦で藩主の許可を得て、快風丸に乗船して玉島港に寄港した。ここで新島は松山藩主も泊まっていた柚木家の風呂に浸かったことが自叙伝に記されている。 新島は玉島への回船の中で欧米の文明や文化の高さを初めて知り、洋学への向学心を燃やし、後に同じ快風丸に便乗して函館に着き、上海経由でアメリカに渡り、アーモスト大学に学び、帰国後、明治8年に京都にキリスト教を基に同志社英学校(後の同志社大学)を創立した。まさに玉島は、同志社大学の歴史上のルーツとでも言える所以でもあります。」(案内板より)

奥に歩いていくと、

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西爽亭(旧柚木家住宅)です。

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「【西爽亭(柚木邸)】  本邸は天明年間(1781〜1789年)の建築といわれ、柚木本家、または菅茶山(儒者1748〜1827年)の命名により西爽亭とも称する。 柚木家は、代々備中松山藩(現高梁市内)藩主板倉候に藩の諸役として仕え、藩侯が玉島領内を巡回の際本邸に宿泊するのが習わしだった。従って本邸は、大名の宿泊施設にふさわしい風格を持った構えと造りと装飾がなされ、また庭園の石組みにも由緒があり、格別の趣がある。 幕末動乱期の慶応4年(1868年)鳥羽伏見の戦いにおいて幕府方は敗戦し、大阪城にて老中板倉候護衛の任にあった藩老熊田恰矩芳(1825〜1868年)は、藩侯の命により帰藩しようと隊士(150余名)を率いて海路玉島港に上陸するが、備前藩軍平によって包囲される。 熊田恰は、藩の責任を一身に背負い、部下の助命と藩の安泰、戦火の回避を嘆願して、慶応4年1月22日、本邸にて切腹。これにより玉島は戦火の災から救われた。 本邸は、玉島人にとって忘れ難い維新史の悲壮な一頁をそのまま遺している。」(案内板より)。

月曜日で休館日です。まだ中に入ったことがないんです。 

月曜日しか休みのないリンデンとしては、公的施設が月曜日が休みのところが多いのが悩ましいところです。

綿花マンホールがありましたよ。ご当地マンホール。

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「一輪の綿花から始まる倉敷物語〜和と洋が織りなす繊維のまち〜」のストーリーが、日本遺産に認定されたことを記念に制作されたマンホール蓋みたいですね。

赤い丸型ポスト。玉島には、わりと残ってますね。

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