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2019年10月18日10:55

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「悪ふざけ」を容認する社会では、いじめは無くならない。

下町ロケットのモデルと言われる植松努さんのブログです。
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気がつきませんでした。
知りませんでした。
いじめだと思いませんでした。
ふざけあってるだけだと思いました。
本人が大丈夫というので、それ以上関わりませんでした。
私にも責任があると思います。

生徒間のいじめでも、教員間のいじめでも、
たいていの校長先生は、こう言ってのけます。

でも、責任とは、
深々とお詫びして、泣くことではありません。
土下座でもありません。
減給数ヶ月でもありません。
こんなの、ぜんぜん平気です。
ものすごく無責任な責任の取り方です。

責任とは、
(1)生き延びること
(2)やり遂げること
(3)再発を防ぐこと
です。

どうか、再発を防いで欲しいです。

いじめを防ぐためにかなり重要なのは、
「悪ふざけ」を容認しないことです。
それは、人間関係において、ほぼ必要がありません。

たとえば、たたく、つつく、押す。
親しい間では、やりがちですし、相手を驚かせて、双方面白い、ということもあります。
でも、行為そのものは暴力と同じです。
これは、しなくても人間関係を良好に保つことができる行為ですから、
公的な場所(学校や、会社内)では禁止してもいいと思います。

たとえば、からかう。
親しい間では、仲間のことを、わざと事実と違うように紹介したり、悪く言ったりして、
笑いを誘引するような行為が行われがちですが、
これも、行為そのものは侮蔑や冒涜です。
これも、しなくても人間関係を良好に保つことができる行為ですから、
公的な場所(学校や、会社内)では禁止してもいいと思います。

もちろん、飲み会などで、こういうので盛り上がるのは、ありといえばありですが、
僕は、それを必要としませんし、
そんなことしなくても盛り上がれるし、
そんなことしないと盛り上がらないような飲み会は行かないし、
そんな行為を見たら、不愉快だから帰りたくなります。

僕は、おもしろければいい、という発想は、とても幼稚で危険だと思っています。
だから僕は、バラエティ番組を見ません。
そこには、「いじり」と称して、いじめが描かれていることが多いです。
辛いものや、変なものを食べさせたり、沢山短時間で食べさせたりして、
吐き出したり、苦しんだりする姿が描かれています。
僕は、怒鳴ったり、叩いたりする芸も嫌いです。
恥をさらして笑いをとる芸も嫌いです。
それらが、学校で、弱者に強制されても「テレビの真似をしてふざけていただけです」で
おとがめなしになってしまうシーンを、何度も見てきたからです。
「ぶす」「ばばあ」という表現も嫌いです。
人間関係において、そのような侮蔑的な表現は不要です。

でも、それらを見て楽しい人達からは、
「そんなことまで禁止したら、表現の自由がなくなる」という意見もあるでしょう。
でも、僕は、あくまでも「学校や会社という公的な場所では」と思っています。
バラエティ番組を無くしてしまえ、とは思わないです。

プライベートなら、嫌なものと、会わない、行かない、離れる、近寄らない、見ない、
という自由があります。
学校や会社は、目的があるから行かなければいけない人が多いです。
そこでは、会いたくない人とも会わなければいけなくなるからです。
表現の自由は、受け取る側が受けない自由があって、はじめて成立すると思います。

とても残念な事に、悪ふざけを拒否したら「なんだ、ノリ悪いな。空気がしらけちゃっただろ。空気読めよ。」などと言われてしまうこともあります。
そうすると、いじられて笑いをとらないといけないのかな、と思ってしまう人もいます。
これは、とても危険なことです。

社会で重要なのは、お互いの「尊重」です。
そこには、「悪ふざけ」は不要だと僕は思っています。
「わるふざけ」を容認する社会では、いじめやパワハラを無くすることは不可能だと思います。


https://ameblo.jp/nyg1t10/entry-12535859794.html

教諭いじめ、児童同士も急増
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5830074
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