元祖「馬が飛ぶわけないだろう（飛んだぁぁぁぁぁ！）」
（前回の日記との関連で、日本における「騎兵の機械化（機甲化）」についてのメモ）
「機動打撃兵種」としての騎兵の価値にたいする疑義は、日露戦争（1904〜05）後にも一部で囁かれていた。それは日本騎兵の名声を高からしめた、司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』の主人公の一人である秋山好古（1859〜1930）少将率いる約8,000名の支隊（騎兵第1旅団を中心とした歩騎砲の3兵種を備えた複合型騎兵集団）の黒溝台会戦でのはたらきが、機動的な「乗馬戦」によるものではなく、奥保鞏大将率いる第２軍の最左翼の40�劼寮橘未鮗虍�するため、黒溝台・沈旦堡・韓山屯・李大人屯の４か所に防御拠点を構築して、歩兵のように塹壕を掘って手馬と共に穴のなかに立てこもり、ロシア軍の攻勢を３日間（05年１月26〜28日）に亙って支えたという、およそ騎兵らしからぬものであったからだ（激戦が演じられた沈旦堡では、26日と27日の２日間で、銃砲撃の巻き添えになって馬150頭が「死傷」した）。
明治42（1909）年に公刊された無名氏（作者未詳）の『現時及将来ノ騎兵戦術』なる書には、戦場が騎兵の活動には誂え向きな開闊な平坦地に選ばれていた18〜19世紀とは異なり、現在では高地・森林・村落等が戦術的価値を持つようになったこと、そして何よりも「火器の進歩は駸々として止むことなく、単発銃は連発銃となり、機関銃となり自動銃となり、火砲も亦之と相駢馳して進歩」しているのに反し、「馬匹の速力及衝突力に至ては何等の進歩」も見られないのであるから、騎兵の「乗馬戦」の衰退は時代の趨勢として已むを得ないものと論じた。
それでも騎兵界には「火器の威力は増加せるも之を使用する人は古今同一、否寧ろ往時に比すれば感受性の者となれるを以て、軍隊の恐怖心は稍々増加の傾向を以て依然として存在し、一たび恐慌至るときは全く火器の効力は滅却し、無為無能の兵と化して騎兵の蹂躙する所となり了る」（三好一『騎兵戦術』干城堂/大正５年）などと豪語するものがいるが、近距離からの騎兵の襲撃が、歩砲兵に恐慌をひき起こし、頼みの銃砲を放つ余裕もなく、逃げ惑うところを馬蹄によって蹴散らされるといった状況などは、きわめて「レアなケース」であり、却って歩砲兵は火器の威力を信頼しているため、騎兵の突進に胆を冷やして士気気沮喪ことは少なく、却って前進するごとに銃砲弾に斃れる（「従て進めば従て斃れる」）騎兵の方が士気を低下させるだけに終るだけだと、かなり手厳しい。
この「無名氏」がいわんとしているのは、騎兵は「乗馬戦」に固執することなく、秋山将軍のように柔軟に「徒歩戦」も行える気構えがなければならない、というところにあるが、彼のような見解は、軍界（騎兵を除く）の意向を汲んだものではなく、飽くまで匿名による私見の披瀝であった―現に大正６（1916）年に、陸軍大学校教官の井上繁「歩兵」大尉によって記された講義録（『基本戦術講授録．巻上』兵事雑誌社/大正６）には、「乗馬戦に火戦を併用するは有利なる場合なきにあらざるも、火器の協力を待って行はんとする乗馬戦は寧ろ敵に一歩を譲りたるものと云はざるべからず。換言すれば好機に投じたる猛烈果敢なる乗馬攻撃は火器の威力を凌駕することを銘心せざるべからず。」「実に騎兵戦闘の精神は飽迄乗馬戦に存し、徒歩戦は（「性質上主として防御の性質を有し、消極的目的の遂行するもの」であるから）依然副戦闘法たるに過ぎず」と、騎兵の本領は「乗馬戦」にあると言明していることからも窺い知ることができる。
しかし、大正３（1914）年から７（1918）年まで、ヨーロッパを主戦場として戦われた第一次世界大戦が終結し、戦前にフランスは騎兵師団を10個、ドイツは11個を持っていたにも拘らず、騎兵が乗馬戦で活躍する機会は殆んど皆無であったことが伝わるや、日本陸軍部内では騎兵の存在価値に対する疑問が公然と提起され、『騎兵廃止論」さえも喧しく論じられるようになった。曰く、火器の進歩した現代戦では、乗馬した巨大な姿を曝して、また、突撃衝力を発揚するため集団による密集隊形をとる騎兵などは歩砲兵にとっての好標的としかならない。騎兵の戦術的な存在意義は全く失われ、軍唯一の「機動兵種」としての騎兵に僅かに残されていた用途―“軍の耳目”としての「偵察」と「伝令」の勤務―さえも、偵察は航空機が、伝令は無線電信が取って代わることで、より精確・迅速に行うことができるようになった。大正８[1919]年の時点で、日本陸軍には騎兵が各師団毎に附属した１個聯隊（計21個聯隊）、および独立した４個騎兵旅団（２個聯隊編制）の合計103中隊があって、年間1,000万円に上るランニングコストが掛かっている、かくもコスパのわるい騎兵という兵種に巨額の陸軍予算を注ぎ込むとは、なんと不経済な話ではないかと。
口火を切ったのは、当時、現職の参謀本部の第四（戦史）部長だった歩兵出身の国司伍七少将であった。国司中将は、陸軍の機関誌『偕行社記事』の大正８年11月号に「騎兵ノ将来」と題する論文を寄稿し、火器の発達した現代において、「火力を無視し、暴虎馮河の小勇を奮ふを以て快」とするがごとき騎兵科将校の乗馬戦志向は時代錯誤も甚だしく、こんな騎兵はお払い箱にして、その代りとして、騎兵が「活兵器」と呼ぶ馬を、単に移動の手段、火器輸送の道具として、下馬して火戦を交えることを主務とする「乗馬歩兵」を作るに越したことはないと主張した。
これには騎兵側も黙ってはおらず、翌年２月に騎兵第４旅団長の吉橋徳三郎少将が、同誌に反論を投じ、騎兵の存廃をめぐって甲論乙駁の論争が『偕行社記事』誌上を賑わし、同年８月に論争の一方の当事者であった吉橋少将が憤懣遣る方なく抗議の割腹自殺を遂げるというスキャンダルが出来するまでにヒートアップした。
同年12月、騎兵教育のトップである騎兵監の森岡守成中将は、『騎兵教育ノ参考』誌上に「騎兵科青年将校に告ぐ」という一文を寄せ、一連のドタバタ劇の余波をうけて、騎兵の将来を悲観して動揺する青年将校に宛てて、現行の騎兵操典（明治45年制定）が、「敵を圧倒殲滅するに乗馬戦を以てし、情形地形之に適せざれば徒歩戦を用ふる」と定めているのは、決して乗馬戦を唯一無二のものとして、徒歩戦を等閑に附したものではない、騎兵精神とは「機の乗ずべきあらば、決意乗馬戦を決行し、以て勝利を一挙に決するの挙に出」るにある。騎兵将校の鍛えられたこうした戦機を捉える活眼、砲火を冒して突進する敢為なる気象は、馬術を身につけただけの「乗馬歩兵」などには到底真似できないものである。荷重減少のため携行弾数の少ない騎銃（歩兵銃の銃身を詰めた小銃）しか持たない騎兵は、まともな火力戦ができない向きの批判があるが、騎兵はその出没自在の敏捷軽快な特色を生かして、敵の急所とする部分に奇襲的な「歩兵的ならずして騎兵的火戦」を行うことができる、又、「勝敗の数岐（わか）れんとする機に当りては銃数少き徒歩戦よりも火力を犯して乗馬戦を敢行するの大にまされる」状況もまま有るにおいては、乗馬戦を行う騎兵が「決勝的兵種」であることに変りはない。どうか「騎兵は乗馬歩兵とすべし」との俗論などに耳を貸して、これに附和雷同して騎兵の価値を疑ったりしないようにと諭したりもしている（『帝国騎兵沿革概史』陸軍騎兵学校/昭和17年７月）。
陸軍部内では吉橋少将の自殺を機に、「騎兵」論争は尻つぼみとなったものの、民間では大戦後の軍縮ムードに乗って中尾竜夫（読売新聞陸軍部長）が、この後も『軍備制限と陸軍の改造』（1921）や『呪はれたる陸軍』（1922）などの論著でこの問題を取り上げた。中尾の所論には、騎兵の地上偵察任務は、航空機による偵察は天候不良時や夜間に行えず、また、上空からの偵察だけでは見破ることのできない敵の巧妙なる偽装（カムフラージュ）もあることなどから依然欠くことはできないと認めつつも、それは師団の騎兵聯隊で事足りるのであって、これとは別立てで平時から騎兵旅団４個を常備しておくなど余計であるとし、騎兵の現在の膨脹は、元をただせば日露戦争に辛勝した後、ロシアの満蒙への捲土重来は必至として、ロシア軍のコサック騎兵に対抗させようと拡張したのが原因であるが、いまやロシアは革命の勃発（1917年）で内戦の坩堝となっており、当のコサック兵らは旧帝政擁護の反革命勢力としてレーニン政府とするどく対立しており、彼らがソヴィエト政権の尖兵として満蒙に再び姿を現わす懸念は雲散霧消した、と論じて、対ロシア再戦にむけた独立した作戦部隊として設立されている騎兵旅団４個を全廃したならば、年間350万円の費用が節約できると、経済的軍備実現のための「騎兵縮小論」を主張した。
このように軍内外から批判を受けていた当の騎兵たちはというと、依然として騎兵たるもの「馬上白刃をきらめかせて突撃するもの」という時代後れの観念がぬけ切らず、騎兵の主兵装である騎兵銃や軍刀の数を減らして、機関銃や軽砲などの火力装備を宛がい、これら火力装備を輸送する自動車を随伴させて、いざという時は徒歩戦を行うべしと、大正11年に改訂した『騎兵操典』にはわざわざ「戦闘目的を達する為め乗馬戦又は徒歩戦を用ひ、或はこれを併用す」と、「乗馬戦」と「徒歩戦」に主従はない旨が強調されたとはいっても、このような火力装備を持たされることは「有難迷惑」で、舗装されていない路外は走行できない自動車などを伴えば騎兵の機動力を失わせ、徒歩戦の推奨は乗馬戦を華とする騎兵精神を消磨させる、このような方針では騎兵を火器を運ぶだけの「乗馬歩兵」と選ぶところのない兵種に貶めるものだとゴネては頑として受けつけない。
日本の騎兵の頑なさは、敗戦国ドイツで、陸軍統帥部長のハンス・フォン・ゼークトの下で、ヴェルサイユ平和条約で唯一認められた機動兵種（戦車の研究・開発・保有は禁じられていた）である騎兵に、敵線側背で広汎に亙る機動的な攪乱工作（敵翼の拘束及抑留、敵増援隊の前進及輸送の妨害、鉄道線路及其交叉点に対する各種の企図「破壊」、敵連絡線の妨害、超越運動に依る敵退却の阻止「戦略追撃」等々）に任じさせるため、「各種火器及弾薬を以てする豊富なる装備」（『独国連合兵種ノ指揮及戦闘』第80条）と「運動軽捷なる補助部隊（自転車隊、自動車に搭載する歩兵竝砲兵）」（同第87条）を附して、その重装備化と諸兵連合の作戦的機動兵団としての再生が推し進められたのとはおよそ対照的なものであった。
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