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2020年02月17日21:02

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2月17日 [雑考]「電撃戦」理論の水脈(ベルさんの騎兵再生工場)

「馬が大活躍するんだってな、とんでもねぇ、待ってたんだ!」 
 
 前回はドイツ第二帝政期の軍人・兵学家であったベルンハルディ(1849〜1930)の『現今ノ戦争』(1912)を紹介し、彼が、ドイツ帝国の第三代目の参謀総長であったアルフレート・フォン・シュリーフェン元帥(任期1891〜1906)が練り上げた対仏戦争計画「シュリーフェン・プラン」に示された、鉄道および自動車輸送によって集中された大兵力による敵線の「側方迂回」「片翼包囲」の機動作戦に敢て異を唱え、第二次大戦時のドイツ装甲部隊の「電撃戦(blitzkrieg)」を彷彿させる、敵の正面防御線の手薄な地点を「奇襲的に突破」することを鼓吹していたことを見た。
 しかし、なにも正面突破を高調したからといって、ベルンハルディは犠牲をかえりみることない我武者羅な「当って砕けろ」式突進を良しとしていたわけではない。彼は正面からの歩・砲兵の攻勢を成功させる鍵を握る兵種として、20世紀初頭においては往時の決戦兵種の座を歩兵に譲り、専ら偵察・伝令や遮蔽(陽動により敵指揮官の判断を混乱させたり、敵の放った偵察騎兵を撃退、または捕獲することで情報を収得できないようにするん等)の任務に就かされていた騎兵に見出し、その持前の機動力を活かして、主力の攻勢に呼応させて敵の側背に迂回させ、後方の擾乱活動に従事させることを提案しているのである(資料[1]参照)。
 当時、19世紀のナポレオン時代の戦争を憧憬する昔気質の指揮官などは、騎兵を依然として「戦闘兵科」または「攻撃兵科」と看做して、決勝的瞬間にこれを戦闘に投ずべく、前線の後方や側面に控置しておき、みすみすその機動力を封じてしまうという失策を演じたりもしていたが、ベルンハルディは、騎兵の機動力はその儘に活かし、これに機関銃や軽砲(おそらくは馬に曳かせた繋駕砲兵)を装備させて火戦能力を増すことにより、敵の側背へ迂回した後に、その第二・第三線の兵や予備隊の前線加入を妨害し、第一線を支援する砲兵、さらに弾薬を輸送する輜重段列を随時随所に襲撃して、前線部隊への弾薬の供給を遮断する等の任務を遂行させ、これらの騎兵による後方攪乱が、歩・砲兵による正面戦闘を“有利”または“容易”にさせうると説いた。騎兵がいざという時には下馬して激烈な火力戦を交えることもできることは、アメリカの南北戦争(1861〜65年)や南アフリカのボーア戦争(第一次1880〜81年、第二次1889〜1902年)でも証明されており、騎兵はこのように「作戦的精神によって使用されねばならない」というのが彼の所論であった(資料[2]参照)。ベルンハルディの、正面突破というリスクをヘッジするには、敵線後方での騎兵の擾乱活動が欠いてはならないとした視点は新しい。
 時代は10年ばかり下り、第一次大戦(1914〜18年)に敗戦し、ヴェルサイユ条約によって歩兵7個師団(21ヶ聯隊)・騎兵3個師団(18ヶ聯隊)の10万軍隊に軍備が制限されたドイツ共和国の陸軍統帥部長(1920〜26年)となったハンス・フォン・ゼークト(1866-1936)も、条約で許容されているだけの兵力を以て、一朝有事の際には「迅速果敢な攻撃」により勝利するために、敵線後方に向けて「騎兵を作戦的に使用」するべきという所見を、『現代騎兵論』(1927)で披瀝している。 
 ただ、ゼークトは騎兵の火力強化には自ずと限界のあること(重装備は機動力を減殺する)、また装甲されていない騎兵は、下馬戦闘になれば歩兵と何ら変わらず、敵歩兵との火戦となった際には少なからず損害を被ることも念頭に置いていたのか、ベルンハルディのように、第二・第三線の歩兵部隊や後方から前進してくる予備隊との交戦までは求めることはせず、専ら歩兵の掩護を欠いた砲兵や、野戦司令所・通信所といった野戦軍の頭脳・耳目を司る「神経系統」機関への襲撃を想定していたのだが(資料[3]参照)。
 ヴェルサイユ条約で戦車の研究・開発・保有を禁じられていたドイツ陸軍のなかにも、装甲され発動機によって動く戦闘用車両の効用を説く、グデーリアン(1888〜1954)のような「預言者」的な少壮軍人も居たが、徹頭徹尾リアリストであるゼークトは、彼らの説く装甲車両は、理論的にも実際的にもそれを使用する基礎は確保されなければならないが、軍備を制限されている現状では、「使用せられ得るもの・確実なるもの・現に存在せるもの(「騎兵」)を差し措いて、その発達がなほ将来に属するもの・可能ではあるが未だ現実化せざるもの(「戦車」)を重視するのは軽率である。」と釘をさすことを忘れていなかった。
 そして、ゼークトが「現代騎兵論」を発表したのと奇しくも同じ年、海を越えたイギリスの軍事学者・ベイジル=リデル・ハートは『近代軍の再建』第四章「騎兵の甦生」において、歩兵と砲兵が正面から敵の注意と、その予備兵力を吸い寄せている間隙を衝いて、その側背に向けて戦車を中核とした機甲部隊を投入し、敵の退却路および兵站線に大打撃をくわえることで、全線に亙って敵を精神的崩壊におちいらせ、戦勝を確実にする、いうアプローチ法を打ち出し(資料[4]参照)、機甲部隊が機動力の上に装甲・火力を活かして敵の内懐に飛びこみ、その「太陽叢(みぞおち)」を衝く、というリデル・ハートの構想は、後のドイツの「電撃戦」論者に啓示を与えたのである。
 ベルンハルディやゼークトは、攻勢の迅速な成功のために、すでに現代戦にそぐわなくなり、機動兵種としての存在意義を疑われていた「騎兵」を所与のものとして(ゼークトは仕方なくだが)、これに若干の火力を与えて後方攪乱に用いるという作戦的用途に到達した。かたやリデル・ハートは「いかに少ない犠牲によって、迅速に敵を精神的に崩壊させることで戦勝を得るか」という問題意識から発して、正面で歩・砲兵が敵を拘束する一方で、敵線の後方で現代の騎兵とも呼べる機甲部隊がその連絡路を遮断して死命を制するという「電撃戦」理論の原型を提示してみせた。ドイツの「電撃戦」理論については、兎角、リデル・ハートやJ・H・フラー少将の思想的影響の大きさが語られるが、ベルンハルディやゼークトによって唱えられた「騎兵の作戦的使用」も亦、伏流していたのではなかろうか、と思うあたしであった。

(資料[1])
「捜索及び遮蔽に次で騎兵に絶対的に要求すべきは敵の連絡線に影響を波及することにして、其の影響は近世戦に於ては無限に価値を増加せり。軍愈々大なるに従ひ、敵地に就て生活し得ること益々減ず。火器が愈々迅速、愈々遠く射撃するに従ひ、弾薬消費は益々多大となる追送及び後方連絡の価値も亦同一の程度に於て増進し、正規輸送の中絶は大なる不利として益々多く証明するを得。故に騎兵は此の場合には有効なる任務を有し、深く将来に影響する成功を収むるを得。戦術的決戦も亦、敵の為に直接戦闘地の後方にて弾薬輸送を中絶せらるるときは少なくも間接に影響を受くるならん。
……騎兵師団が大決戦にも亦適当に参加し得るは火器を以て著大なる勢力を発揮し得るときに限る。騎兵は歩兵及び砲兵間に行はるる如く他兵種と共に長きに亘り且つ密接に協力し能はざるを以て、大兵群に集結して会戦線の翼よりして参加し、且つ首として其の攻撃の方向に依りて奏功せんことを努めざるべからず。攻撃は敵の側背に対して行ふを要す……之にして若し達せらるるときは大捷を収むるの道途は開放せらる。此の瞬時こそ騎兵が敵軍隊を牽制し、且つ本決戦に参加するを妨害し、以て他兵種の為め(若し直接之と協力することなきも)多大の援助を与ふるを得るときとす。勝利を収めたる騎兵は先づ其の砲兵、機関銃、要すれば騎銃を敵の側面、予備隊、砲兵及び弾薬縦列に対して使用し、優勢の敵に対して頑強なる戦闘を交ゆることなくして、徒歩及び乗馬のまま有効に攻撃するの機会に乗ずるならん。此の場合にも亦、其の敏捷は敵の優勢なる攻撃を避け、迅速に再び他点に現出するを得。絶へず敵を其の感受すべき地点に於て脅威妨害し……敵が側背掩護の為め挺出したる部隊を機を失せずして撃退し、以て決戦の瞬時に於ける道途を開放す。此の瞬時に於ては如何なる状況に於ても有効となり、且つ為し得れば襲撃に依り其の他火器を以て決戦其の物に参加せざるべからざらん。」(フリードリッヒ・フォン・ベルンハルディー『現今ノ戦争』「第一篇第五章 騎兵の価値」偕行社/大正2年)

(資料[2])
「騎兵を敵の軍隊の背後に使用して其の連絡線を遮断し之が追送を妨ぐるを得せしむるときは之れ適当なる手段となるべし。若し軍隊にして十分に活動すべき優勢なる騎兵を配備し、之を作戦的精神にて使用するを得ば、今日一般に行はるる見解と異なり大なる利益を感ずるに至るべし。今日一般に騎兵を利用せざる慣習を生じたるは、騎兵を作戦的精神に使用せずして之を戦闘兵科及び攻撃兵科として使用せんとするの説を固持するの結果なり。元来騎兵を作戦的範囲に於て使用するに依りて大なる利益を生じ、且つ馬匹に依りて過度の妨害を受けずして盛なる火戦を実行せしむるを得べきことは、米国の独立戦及び南阿の戦争に依りて十分に証明せられたり。」(同上)

(資料[3])
「決戦に際しては、騎兵はその運動力を利用して到達し得るのみならずまた敵に対して特に手痛き妨害を与へ得る箇所から、会戦に協力する。それは敵の側面か或は―出来得るならば―背後をよしとするであらう。この場合には、なかんづく遥か後方に位置する敵砲兵・司令所・通信所等が絶好の攻撃目標となる。かくの如き状況に於て最も重要なことは、最高司令部との密接な連絡であり、これによって騎兵は決戦と常に緊密な連繋を保ち得るのである。」(ゼークト『一軍人の思想』「現代騎兵論」篠田英雄・訳/岩波新書/1940)

(資料[4])
「……拳闘の勝負に於いて人は、相手の注意を抑留しその手段を忙殺するために一方の拳を以てこれをあしらひ、然る後に他の拳を以てノック・アウトの打撃を加へる。
 この戦術の本質は、敵が二方面より殆ど同時に攻撃され、一方を禦ぐことによって他方の攻撃に身を曝すことになる、といふ点に存する。ここに大小を問はず、すべての戦術の主要公式が縮約されてゐる―決戦的行動と結ばれた牽制的行動のそれである。即ち、軍の一肢部が敵を牽制してその位置に釘付けにし、敵の注意と予備を吸ひ寄せてゐる間に、他の害し易い曝露した点、−通常翼側、又は退却線及び兵站線に打撃を加へる。拳闘で云へば頤とか『太陽叢』を狙ふやうなものである。戦史を繙けばわれわれは、この二方面より同時にする集中攻撃がすべての偉大なる戦争の大家によって用ひられた秘訣であること、及びそれとは事変って単なる職業的将軍は『剣戟の推進』と、がむしゃらな攻撃の力に依頼してゐることを見出す。」(リデル・ハート『近代軍の再建』「第四章 騎兵の甦生」神吉三郎・訳/岩波書店/1944年)
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