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2020年02月07日21:07

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2月7日 [雑考]ベルンハルディ氏の「元気があれば、ブリッツクリークができる」論

「最速で最短でまっすぐに…一直線に!!」(by立花響/『戦姫絶唱シンフォギアG』より)

 ドイツ第二帝政(1870〜1918)下のフリードリヒ大王戦史の研究家で、それよりも、1911年に刊行した『独逸と次の戦争』(邦題『自国を誤り世界に災せる独逸の主戦論』早稲田大学出版部/1915年)で、社会ダーウィニズムによって「戦争の権利」を主張したゴリゴリのミリタリストとして名を残しているフリードリヒ・フォン・ベルンハルディ(1849年〜1930年)の、1912年の論稿『今日の戦争』(邦題『現今ノ戦争』偕行社/1913年)を読みながら、この御仁は、クラウゼヴィッツの「戦争における精神的要素」の働きを誇大にして誤用している一方で、実は、のちの第二次大戦のドイツ軍の戦闘教義である「電撃戦(blitzkrieg)」を予見した先覚者だったのではなかったのか……という「錯覚」を抱いてしまった。
 ベルンハルディ曰く、
 戦争とは彼我の物理上の勢力(兵力・戦闘資材の多寡、兵器の精粗等)と精神上の勢力(軍隊の士気・団結、訓練の精否・規律の張弛等々)および知識上の勢力(彼我の将帥の統帥の良否、作戦指揮の巧拙)の衝突である。
 この内、可視化・数値化できる有形な物質上の勢力が、勝敗の帰趨を決する唯一無二の指標であり、精神上や知識上といった不可視な形而上の無形勢力は戦勝を左右する有意な要素ではない、という見解は、古今の戦史を紐解くかぎり、これを反証する戦例に事欠かない。
 古くはギリシャ時代のテーバイの名将・エパミノンダスは戦意旺盛な市民兵を率い、斜行隊次を用いて、スパルタの重装歩兵軍団をレウクトラに打ち負かした(BC371)し、カルタゴの勇将・ハンニバルは、カンネーでローマ軍を二重包囲して殲滅した(BC216)。近世に入っても、プロイセンのフリードリヒ大王は幾多の戦役において、エパミノンダスの顰に倣って、斜交隊次によって敵の側面を衝き、その戦力の殲滅を企図したし、フランスのナポレオンは、控置した予備隊を決勝点に投入することで、プロイセンのモルトケ元帥は、普仏戦争(1870〜71)でフランス軍を機動包囲することで、戦勝をかちとった。彼らはいずれも、対峙した敵に比べて劣勢な兵力しか有していなかったが、犠牲を恐れず、攻勢的作戦を巧妙かつ果敢に実施したが故に、物質的な戦力差をものとすることなく、勝利を博することができたのである(資料[1]参照)。
 こうなると、彼ら戦史上の英雄たちが、数的・物質的に劣勢であった戦いで勝利を収めた原因は、「形而上の力の優越」でしか説明がつかない。彼らは所与の数的・物質的な勢力の不均衡を、「概ね(無形的)勢力の無尽蔵なる淵源たるべき一大胆力に依りてのみ」補おうとし、積極敢為な攻勢に出ることで、「小勢何するものぞ」と見縊り、示威行為だけで我が軍は屈服するであろうと高を括って安穏と構えている消極退嬰な敵に対し文字どおりの不意打ちを食わせ、さんざんに掻き回して上で、精神的に麻痺・解体させたからこそ、勝利を手にすることができたのである。
 この「戦力的に劣っていても強い意志力をもって攻勢にでれば、意志力の薄弱な敵を圧倒することができる」という原理にについては、既にフリードリヒ大王も「縦令(たとい)計数上に於て薄弱なるときと雖も、攻勢を取りて動作すべきことを以て常に優れりとす。敵は時として我が胆力に依りて既に狼狽し、己の利益を失ふことあり」と喝破している。又、クラウゼヴィッツもその『戦争論』において「勇敢は、戦争において独自の特権を享受していると言ってよい。実際、勇敢には空間、時間および量等による数字的な計算だけでは説明のつかない成功の確率が認められねばならないのである。つまり勇敢が自分に劣る相手に出会った場合には、あたかも無から有を引き出すように、相手の弱点を利用して成功の確率を我が物にするのである。それだから勇敢は一種の創造的な力である。このことは哲学的にも証明できると思う。例えば勇敢が怯懦と出会えば、成功の確率は必ず前者にある、怯懦はそれだけですでに心の平衡を失した状態だからである」(『戦争論』第3篇第6章)と明言している。たしかに「戦争をなすに付、胆力が原則を与」えていると言えるのである(資料[2])。
 戦いにおいては、クラウゼヴィッツも言うように「敵の兵士を殺すよりも、むしろ敵の戦意を挫く」(『戦争論』第4篇11章)ことに主眼が置かれる。フリードリヒ大王も「戦闘は兵士の損害よりも士気の低下によって失われる」と述懐しているように、物理的な打撃よりも、精神的に相手を瓦解させることが戦勝の要訣である。
 抑々、攻者は初めから精神上の勢力を活動させているという(攻勢には士気を高揚が前提される)アドバンテージを有しており、これが唯一の目的(敵の撃滅)にむかって集中されることで、この精神上の勢力を緊張させている。その上に攻者は、多くの場合、自己の意見のみに従って、攻勢の方向・時期・規模を自由に選択できるという利点も有している(「先制の特権」)。
 それに引き換え、防者は、攻勢が何時・何所で・どの位の規模で行われるかについて、単に憶測に従って準備するしかなく、全包囲に注意が分散されていることにより精神的にも緊張を欠いている。おまけに、攻者が、攻勢に当ってその主力の精鋭部隊を充当するのに対して、防者側は、たまたまその時間、その場所を守備している、選りすぐりの精兵とはかぎらない部隊でこれに抵抗しなければならないのだ……云々。
 ベルンハルディは、このように、敵の予期していない、従って準備もできていない時間・場所において、奇襲的に先制の攻勢に出ることで、敵をパニックに陥れ、その士気を沮喪させることができると高調する。そしてこれを実現する具体的な方針として、“急がば回れ”を説く、孫子の「迂直の計」(わざと回り道をすることで敵を油断させて、妨害を受けることなく先回りする兵法)やリデルハートの「間接アプローチ」という回りくどく、まだるっこしい迂回という裏技ではなく、いたってシンプルな「直接アプローチ」―ベルンハルディ曰く「最も簡単にして最も断乎たる作戦を計画し、不屈の活動力を以て之を実行する輩は、遂に優勢を占むるものとす」―当時の軍事常識では成算が乏しいとされていた敵の防御正面を突破して一気に後方に進出することで、敵の兵団を真っ二つ分断し、後方連絡線を遮断され、友軍からも切り離されたそれぞれの敵を各個に包囲撃滅する、というものであった。
 『現今の戦争』が公刊された第一次大戦直前には、世に「シュリーフェンプラン」と命名された「側方迂回」「片翼包囲」の機動包囲が、ドイツ陸軍の正統な軍事ドクトリンとされていた。しかし、ベルンハルディはこれを批判して、正面突破の利を力説した「異端者」であった。
 彼は、モルトケ時代の対仏戦争で示されたドイツ軍の機動力は、鉄道輸送の利用によるものであったが、現在ではフランスは国境要塞の後方に鉄道網・道路網を張り巡らして、ドイツ軍が迂回を試みようとするや、その方面にむけて予備兵力を迅速に移送できるようにしている。ドイツ軍がたのみとする機動力は前回の敗戦に懲りて準備おさおさ怠りない敵の翼方面を迂回するためにではなく、敵がよもや攻撃してこようとは想定していない正面を奇襲突破するためにこそ用いられるべきである、と。
 第二次世界大戦でフランスを席捲し、屈伏させた「電撃戦(blitzkrieg)」の真髄は、まさに「大規模な機械化編隊では通行不能と考えられ手薄になっていたアルデンヌの森を、装甲機械化部隊で突破した」ことにあった。ベルンハルディの時代には、勿論、戦車という装甲機械化兵器などは存在していなかったが、「電撃戦」については、イギリスのフラーやリデルハートなどの機甲戦理論の思想的影響が強調されてきたが、案外、その源流には19世紀末から20世紀初頭においては、異端・傍系とされていたベルンハルディの思想があったのではないか……と愚考するあたしであった。

(資料[1])
「……吾人が若し数上或は物質上の優勢を占むるを得ず、且つ士気的優勢を一定の威力的要素として我が軍の為め要求するの権なしとすれば、他の方法に依り強大なる敵に対しても亦勝利を収め得べき優越を獲得し能はざるやの疑問を生ずるに至る。此の疑問の解決は単に過去の経験より採り得るのみ。
卓越せる将帥の戦役が勝利を収めたるの原因は如何なる状況に存するやを研究考査するに、勝利を強制したるものは毎に第一に士気的性質ありしを見る、熟慮断行、勇敢、冒険及び忍耐は敵の動作力を挫折し、又、特に卓越せる能力を自己軍隊に附与す、作戦を巧妙適切に指導遂行し、並に部下と敵とを正当に判断するは成功を収むるに与って力あり、然れども吾人は是等諸原因の他に卓越せる行動の最大価値を有すること多かりしを認識す、エパミノンダスは斜なる会戦隊次を選定して勝ち、ハンニバルはカンネー附近にては重複包囲に依りて縦長に布陣せる羅馬軍を撃破し、フリードリヒ大王は曾てエパミノンダスの行ひたる所に倣ひ斜なる会戦隊次を採り、翼を後方に置き且反対の正面を以て攻撃し、以て敵を殲滅するに努力し、奈破翁は控置せる予備隊を以て、戦闘中勝利を収め得べしと認識したる点を衝きて決戦を誘致し、モルトケは機動的に開始せる包囲を利ありとし、モルトケも奈破翁も最大成功を達成し得んとするときは、反対正面の危険を冒すを忌避することなかりき、卓越せる将帥は皆攻勢を有利とし、自己の為め動作地域を拓けり。」(ベルンハルディ『現今ノ戦争』「第三篇 攻撃及び防御
第一章 戦闘制式並に戦闘実行法としての攻撃及び防御」偕行社/1913年)

(資料[2])
「総て大胆なる将帥は好結果を得るの運命を有す。今之を万国史に徴するも赫々たる効果を不朽に伝へ、又其の時代に於て原則を制定したる輩は悉く大胆なる将帥に外ならず、実に大胆なる将帥は一種の魔力に依りて幸福を自由に専有し、僅に専横の念を以て往々可能の限界を踰越せんとしたる場合に限り初めて蹉跌を見ることあるに過ぎず、但し斯くの如き結果を見るに至るは自然の勢なり。
凡そ精神上の性質中にて勇敢剛毅の気象即ち胆力は、極端の目的を達せんとする戦争の性質に最も適合せるものなり。然るに胆力の緊要なる所以は人間の稀に見るべき性質に属するが為めにして、若し戦争に於て責任及び危険の圧迫を受けたる将帥をして依然大胆ならしめんと欲せば、非常に堅固なる意志及び性格に待たざるべからず。思ふに優勢なる胆力は常に意表外の効果を現はし、敵をして意外の危険を感ぜしめ、之に依りて先づ敵の軍隊を麻痺せしむるのみならず、遂に一転して自ら時間と場所との利益を収め戦争を行ふに付、偉大なる勢力増加を感ずべし。蓋し各個の場合に於て奇襲を受けたる防御者の対抗処置を講ずるに必要なる時間及び其の受けたる精神上の打撃は、大胆なる攻撃者の利益に帰し、従って攻撃者は之を地形上及び戦術上よりして十分に利用するを得べし。
……故に戦争をなすに付、胆力が原則を与ふるものなりとの原則は今日に於ても変化せざるものと認むるを得。然れども吾人は此の原則を更に拡張し、劣勢なる者は主として胆力を以て戦争を行ふの必要あるものと断言するを得。即ち劣勢者は好結果を得んとするに方り、敵の予め有する優勢なる勢力を先づ一定の方法に依りて補償せざるべからず。之を換言すれば、劣勢なる者は概ね勢力の無尽蔵なる淵源たるべき一大胆力に依りてのみ其の寡弱なる勢力を補はんことを務めざるべからず。」(ベルンハルディ『現今ノ戦争』「第三篇 攻撃及び防御 第一章 戦闘制式並に戦闘実行法としての攻撃及び防御」)
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