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2019年12月14日21:27

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12月14日 [雑記]儂らの七年間戦争(ジョミニ先生の歯軋り)

「なんでこのシリーズには憎っくきオーストリアの女王(左)とその娘(中)と、さんざん痛ぶってくれたロシアの女帝(右)の伝記があるのに、戦に勝った儂の伝記がないんじゃヽ(`Д´メ)ノ プンスカ!」(フリードリヒ大王)
しかし この解説はわかり易いな。

 18世紀中葉におこなわれた七年戦争(1756〜63)史を読んで改めて気づかされるのは、19世紀初頭、ナポレオン統率の下、フランスの国民皆兵の大衆軍がヨーロッパを席捲した「国民的戦争」に比すれば、フリードリヒ大王時代の会戦などは、小規模な職業軍隊が整然と横隊を組んで、歩兵がライフリング(施条)されていない滑腔銃身の、槊杖で弾丸を銃口から込めなくてはならない毎分2〜3発しか射てない(練度の高いプロイセン軍歩兵でも毎分5発)、有効射程百メートルにすぎない燧石式小銃をパラパラと打ち掛けあい、まだ兵科として独立していない少数の野砲の音ばかりで殺傷力の乏しい砲声が間遠く鳴り響き、サーベルを振り翳した古色蒼然たる騎兵が突撃して勝敗が決せられるという、どこか「牧歌的」で、のどかな戦場光景が展開されていたかのような先入見を打ち消すほどに夥しい死傷者数である。
 たとえば1757年(戦争2年目)の1年間で、フリードリヒ大王麾下のプロイセン軍は、4度の重要な会戦をおこない、ボヘミアのコリンでレオポルト・ダウン元帥率いるオーストリア軍に敗北を喫した以外は、ボヘミアの首府プラハ前面ではロートリンゲン公カールのオーストリア軍に押し勝ち(5月)、ザクセンのロスバッハではスービーズ公のフランス軍とドイツ諸邦連合軍に圧勝して、フランス軍をライン河の彼岸に追っ払い(11月)、さらにシュレージェンのロイテンでは得意の“斜行陣形”によって、再びカール公の軍を打ち負かして、シュレージェンからほぼオーストリア軍を一掃した(12月)ものの、この年だけでプロイセン軍の損耗累計は約50,000人、全軍の3分の1にのぼっている。
 非決定的な会戦で何度勝とうとも、もともとオーストリアとその同盟国軍との間にあった段ちがいの兵力差は均衡するどころか、精練を誇ったプロイセン軍の兵力は次第に擦り減らされるばかりだったのである。
 そうなれば会戦以外の方法で戦争に終止符を打とうと模索するのは当然である。ロイテンでの勝利によってオーストリア軍をシュレージェンから駆逐したフリードリヒが次なる手として打ったのは、戦勝の余勢をかってダウン元帥率いるオーストリア軍主力との決戦を求めてシュレージェンのシュヴァイドニッツ要塞からボヘミア(ベーメン)へと進攻するのではなく、シュレージェン南西部トロッパウからモラヴィア(メーレン)に入って、オルミュッツを攻囲するという「奇策」であった。
 19世紀のプロイセンの兵学者クラウゼヴィッツはその『戦争論』で、抑々フリードリヒ大王がオルミュッツを狙ったのは、モラヴィアの占有や、オーストリアの首都ウィーンに進軍するための橋頭堡とするためではなく、あくまでもシュレージェン防衛の観点から、これに付属した「外堡」(要塞の本囲郭の外にある永久築城的工事=出城)または「対坑道」(要塞の中にいる防御者が、攻撃者に抵抗するために、本防御陣地から出る場合に使用する坑道)としてオルミュッツを確保し、次にオーストリア軍がシュレージェンに進入を試みるにあたっては、まずオルミュッツをプロイセン軍から取り返さなくてはならなくするようにするためであったと論じ(資料[1]参照)、それが失敗に終ったのは(1758年7月)、オルミュッツ攻囲にもたついて、プロイセン軍がその策源(シュレージェン)を離れること2ヶ月にも亙ったことで戦勝で意気揚がっていた戦力を徒らに弱化させてしまい(資料[2]参照)、さらにオーストリア軍のとったゲリラ戦法によって輜重隊が全滅させられた(ドームシュタットの戦い/6月30日)ためであるとしている。
 「大なる戦術的成功(敵野戦軍の打倒撃滅)のみが偉大な戦略的成果をもたらすことができること、従って戦術的成功こそが作戦上もっとも重要」であると称し、「敵の撃滅を目標とする場合の作戦はできるだけ急速に行動するにある。十分な理由なくしては、いかなる停滞も、いかなる迂路もこれを許さない。間断のない前進こそが攻勢の攻勢たるゆえんである。危険の著しい場合にこの目標を放棄し停止することは止むを得ない。しかし、行動中止の理由が更に一層巧妙に敵の撃滅を行なうがためというのであれば、これほど大きな誤りはない」「百事簡単にして直截的に行動するものが、緻密な計画にこだわって時機を失するものよりもはるかに成功の機会に恵まれている」と強調するクラウゼヴィッツにしてみれば、フリードリヒ大王がロイテンの戦勝から間髪を容れずボヘミアへ突進して、ダウンの主力軍という「重心」めがけて直截・致命的痛撃を加えずに、オルミュッツの攻取という、いわば次等以下の方向にむかったのは、あたかも「戦術的な失錯」であったと言わんばかりである。
 しかし、クラウゼヴィッツとしばしば対比され、ナポレオン軍の帷幄にも参画したスイス人のジョミニは、これとはいささか異なる見解を披瀝している。ジョミニといえば「兵学者の中には戦闘による勝利こそ戦争の中心事業であるとなすものがいる(クラウゼヴィッツを暗示している)。しかしこの考えはあまりにも狭隘である。何故なら、巧妙な戦略機動により、軽易な打撃を敵に加えつつ、敢て決勝会戦に訴えることなく敵を圧倒し去ることも可能であるからである……自軍の背後を安全にしつつ、敵の後方を脅かし支配しようとするならば、戦術的猛進ではなくむしろ戦略的巧緻によってこれを達成しなければならない」(『戦争概論』)と述べているように、巧妙に計画された戦略的機動によって、会戦というリスクを用いずして決定的な勝利をうることを称揚した兵学者である。
 彼は、ロイテンで勝利した段階で、フリードリヒがシュレージェン防衛を第一義として守勢を執ることは、要塞の攻囲を受けたと同様、敵の進攻を拒止して降服をしばし遅延させることができても、プロイセンの救援に駆けつける同盟軍が存在しない現状では、いずれは刀折れ矢尽きて自滅するだけである。おまけにシュレージェンは度重なる戦火を被って民力は疲労困憊しており、プロイセン軍の持久作戦を支える力をとっくに失くしている状況においては尚更で、攻勢に出ることこそフリードリヒ大王の執るべき途であった、と(資料[3]参照)―ここまではジョミニとクラウゼヴィッツには意見の相違はない。
 しかし、ジョミニは、オルミュッツ攻囲は決してプロイセン軍の力を無為に消尽させた「下策」などではなく、やり方次第では戦争に決を与えることもできた「上策」と看做していたようである。
 ロイテンで敗戦したオーストリア軍が、冬営のあいだに戦備を充実させて春の訪れとともにシュレージェンに捲土重来をかけてくるよりも先手を打って、防備が手薄で、さしたる抵抗もなしにモラヴィアに闖入し、オルミュッツの攻囲にかかれたならば、それだけで、フリードリヒはプロイセン領内を再び戦場としてこれ以上に民力を消耗させることなく、その災厄をそっくりそのままオーストリア領内に転嫁することができる。
 もともとモラヴィアは500〜600万の人口をやしなえるほどの豊饒な土地であるから、そこから徴発すれば、たかだか9万のプロイセン進駐軍を支えるぐらいの食料などは容易に工面できよう。モラヴィアに進攻するプロイセン軍は、何千両もの足手まといな輜重車など随行させたり、街道沿いに野戦倉庫を設けたりする手間などかけることなく、ただナポレオン軍のようにシュレージェンからオルミュッツまでの10〜12日間の行軍に要する最小限度の携帯食さえ持参すれば良かったのだ(資料[4]参照/「徴発」についてクラウゼヴィッツは、「自国で行なうほど迅速かつ確実に行なうことはできない」と、さほど重視してはいない)。
 オルミュッツが攻め落されたとしたら、オーストリア政府は次にプロイセン軍の鋭鋒はウィーンに向かうと危ぶんで、周章狼狽してダウン軍をボヘミアから撤収させ(ダウン軍にしてもプロイセン軍がオルミュッツから進んでモラヴィアを占領するようなことになれば、後方連絡路に楔を入れられてボヘミアで孤立してしまう)、ドナウ河沿岸をかためさせることとなるだろう。ボヘミアからダウン軍が姿を消せば、プロイセン軍が占領していたザクセンを南から衝かれる恐れもなくなり、そして、プロイセン領にむけて西進してくるロシア軍と、北上するオーストリア軍に挟撃されるという懸念も雲散霧消する。ロシア軍との握手もかなわず、首都もプロイセン軍の進攻におびやかされたとなっては、ウィーン政府がフリードリヒの前に膝を屈して和を請うてくるのも、全くありえない話ではない。
 また、万が一、ダウンがボヘミアの全軍を挙げてオルミュッツを救うために駆けつけたとしても、それこそ望外の幸いで、これに決勝的会戦を求めて、勝てば敗軍を急追してウィーンに雪崩れ込み、たとい負けたとしてもモラヴィアからシュレージェンへと撤退して守勢に転じるまでである。それはシュレージェンに敵軍を迎えて、これに敗れて死命を制せられるよりは何倍もましである、と。
 クラウゼヴィッツが、フリードリヒのオルミュッツ攻囲失敗を、「敵主力の撃滅」という戦術原則に背いた当然の報いとばかりに、「それみたことか」と冷然と眺めていたのに比して、ジョミニは戦略的には間然するところのないオルミュッツ攻囲が頓挫したのは、フリードリヒが部隊の給養を輜重や倉庫に依存するという18世紀的な戦争スタイルに固執したためだと惜しんでいる。フリードリヒ大王の戦史から学んだ2人の兵学者の思想の違いが如実に表れたエピソードといえよう。

(資料[1])
「1758年には、フリードリヒの敵はすでに彼を諸方からひしひしと取り巻いていた。また彼の戦闘力は敵の兵力と甚だしい不均衡に陥り始めた。それでも彼は、メーレン(モラヴィア)で小規模の攻勢を試みようとしたのである。彼は、敵が戦闘準備を完了しないうちにオルミュッツの略取を企てた、しかし彼はオルミュッツを略取してこれを保有するとか、或はまたこの地点から更に前進する積りではなくて、この地をいわば外堡或はオーストリア軍に対する対坑道として利用するためであった、そうすればオーストリア軍は、この戦役の残りの全期間なり、或はまた第二次の戦役なりを、オルミュッツの奪回に費やさざるを得ないと考えたからである。しかしこの攻撃も失敗に終った。」(クラウゼヴィッツ『戦争論(下)』「第八篇 戦争計画」篠田英雄訳/岩波文庫/1992)

(資料[2])
「敵国の一地域を攻略すれば、攻撃者の戦闘力はそのために多かれ少なかれ弱化せざるを得ないが、しかしこの弱化には種々な程度がある。そしてかかる程度の大小はもっぱら当該地域の地理的位置によってきまるのである。
……攻撃者の占領した地域が、敵州県の間に嵌入していて、策源から隔たった位置にあり、そのうえ地形的な不利な形状であれば、攻撃者の戦闘力の弱化は眼に見えて顕著になるので、会戦を行えば勝算は防御側にあり、それどころか会戦を俟つまでもなく撤退せざるを得ないのである……1758年にフリードリヒ大王は、その前年にシュレージェンおよびザクセンにおいて輝かしい成果を収めたのと同じ軍隊を率いていたにも拘らず、ベーメンおよびメーレンに駐止できなかった。」(クラウゼヴィッツ『戦争論(下)』「第八篇 戦争計画」篠田英雄訳/岩波文庫/1992)

(資料[3])
「普(プロイセン)王は斯く容易にシュヴァイドニッツ城を復したれば、今後は守勢の策を採り其領地を保守するか、将た攻勢に出て墺領に侵入するかの二策あるのみ。前篇に述べたる如く今普王守勢に出るは甚だ当時の事態に適せず。何となれば此の如きは一個の要塞を防守すると同様、巧に拒戦して敵兵に抗し其開城の期を遅延するも、到底応援の兵なかりせば降らざるを得ざればなり。王は数月間ザクセン及びシレジアを防守するを得べく、墺軍未だ開戦の準備整頓せずと雖も、王若し守勢に止らば墺軍間に乗じ新たに兵を徴し倉庫を其策線に設け、露軍及び帝国軍と相合して普国に侵入するに至らん。シレジアは前役の兵燹に罹て国力已に竭尽すれども、若し此地に敵兵を受るときは王は尚ほ其国力を摩耗して戦はざるを得ず、之を要するに若し自己の領内に在て失敗を取るときは其禍害たるやウィーンの城下に攻入して敗るゝよりも更に大なる者なり。蓋し領地を失へば再挙を謀るの路なければなり。
 王若し攻勢に出づるときは戦地を我国境より遠ざけ自国の資力を摩耗せずして糧を敵に因るを得べし。加之ならず墺兵に先だちて開戦するときは敵兵防禦の準備未だ成らざるに当って王の軍は已に深く敵地に入るを得べし……
……墺国の領内に於て最も普王が作戦に便益あるものはモラヴィアに如くはなし。此地殷富にして未だ兵燹に罹らざれば其拠る所の地必ず糧餉を欠くの憂なかるべし……モラヴィアの位置を考ふるも此地にて戦はば速に墺太利世襲国の中心に戦地を移すを得るのみならず、若し一大捷を占むるに於てはウィーン城下に侵入するも亦難しとせず。又墺兵の為に謀るにモラヴィアを侵さるゝは、ボヘミアは普兵の為す所に任じ、退きてドナウの河線に占拠し其都城を保護せざるを得ず。故に王は此策線に於て失敗を取るもボヘミアに敗衂せしよりはシレジアに退却し得ること必ず容易なり。」(ジョミニー『七年戦論(中)』参謀本部/明治23年)

(資料[4])
「(プロイセンの兵学者テンペルホーフは)王のボヘミア若くはモラヴィアを侵さんとするに当り、其軍と共に運搬するを要すべき輜重の員数を計算したり。惟(おも)ふに当時戦を論ずるもの比々皆此説を為し、画策一として此に基かざるはなし。此計算や当時に在って頗る重要なることは勿論なりと雖も、是れ当時兵学退歩の一証と為すに足れり。シーザーは言わずや、戦ひ能く戦ひを養ふと。蓋し勢に乗じ転戦するの謂なり……普軍、ボヘミア或はモラヴィアより敵国に入れば其地方豊饒にして五、六百万の人口を養ふに余あり。九万の軍を養ふに於て何か有らん。唯十日若くは十二日程の行軍を為すの間に用ゆる所の糧食を備へ、其食尽くれば即ち地方に徴して倉庫に充実せば足れり。豈に英傑フリードリヒの如くにして之を悟らざるの理あらんや。」(ジョミニー『七年戦論(中)』)
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