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2019年09月24日18:19

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9月24日 [雑考]プロシャの理念と『レヴァイアサン』

「戦わなければ生き残れない!」


「プロシャの国家は、相互的給付、その成員各個が全体の幸福のためにする献身、同時に国家を指導する力に課せられた使命すなはちその力を各個人の幸福のために利用するといふ使命の上に樹てられる。されば国家はプロシャに於ては、空虚な概念に成り了ることはない、哲学的乃至は詭弁的に根拠づけられた抽象的理念に堕することなく血色鮮やかな生きた形体となるのである。かくて国家はその成員の各個と一になり、彼等のおのおのにプロシャ全国家が生きるのである。かゝる国家は全く義務の上に立つ、国民の国家に対する義務並に国家の国民に対する義務にの上に。かうした国家感情はそれみづからに両者のしたがってまた各個人の責任を含む。かゝるプロシャ精神は自由の総括である。イギリス的自由主義的国家に於ては個人は繁栄の奴隷となり、かゝる国家に於ける唯一の測度器は金だ。マルクス主義的国家に於ては、個人は集団の中に姿を消し、血のない理念の奴隷となるのである。マキアヴェリの君主国家に於ては、臣民は一君主の道具となり、君主は臣民に自己の利益に応じて恩恵を配分する。プロシャの国家概念には組織への自発的なしたがって自由な編入が生きてゐる、各個人はかかる組織の欠くべからざる構成要素なのだ。『余は国家なり』こそあらゆるプロシャ人の標語である……。
……義務に立つその国家観には力がある。この力こそ国家変革の震撼をさへ切り抜けたのだ。かつてプロシャの王はみづから、『余は国家第一のしもべ』と言った。この同じ国家の最も貧しい息子がまたその最も忠誠な子であるといふこと、今こそこのことの真実が実証せられなければならないのである。
 吾々はプロシャを自由な国家と見る、しかもそれのそれたる真個の自由、すなはち習ひ性となりそして義務感情に基づける自由の意味に於てである。」ゼークト『モルトケ』齋藤栄治訳/岩波書店〈軍事文化叢書〉/1943年)

  ひねもすのたりのたりと、ワイマール共和制期のドイツ陸軍参謀総長フォン・ゼークトがものした『モルトケ』の頁を繰りながら拾い読みしている。
 ゼークトは19世紀のドイツ統一戦争で、ハプスブルク家のオーストリア(1866年)を、次いでナポレオン三世のフランス(1870年)を打ち破るという不朽の勲功を打ち建てたヘルムート・フォン・モルトケ元帥[大モルトケ/1800年〜1891年]の評伝に託して、みずからの、18世紀の啓蒙専制君主フリードリヒ二世(大王。在位1740年〜1786年)が統治した古典期のプロイセン(プロシャ)王国の理念への憧憬を吐露している。
 では、抑々この「プロイセンの理念」とは何なのか。
 それは、第一に、17世紀イギリスの哲学者トマス・ホッブズ(1588年〜1679年)が、その著『リヴァイアサン』(1651年)で展開した「社会契約」思想にもとづいた、合理的・構成主義的な国家観にある(資料[1]参照。それまでの中世的な国家観では、国家とは「神の与えたもうたもの」、或は「自然の摂理」と観念されていた)。
 ホッブズによれば、いまだ社会や政府の成立していない“自然状態”(Natural condition)にある人々は、各人が「誰もが自己保存のために自分の力を任意に用いる自由、つまり、そのために役立つと思われることは何でもできるという自由」(「自然権」)をもっている。人はもともと己の欲求の充足をもとめる利己的な存在であり、一方で人々は身体や判断の能力において平等に生れついているから、そこに他に抜きんでようとする争い(「万人の万人に対する闘争(the war of all against all)」)が容易に惹起されるようになる。そうなると、「己の欲望のままに何ごとをもなしうる」という自然権の絶対性を主張することが、「生命の安全(自己保存)」という自然権の前提を掘り崩してしまうというパラドクスに陥ることになる。そこで、人々は争いの種のつきない“自然状態”を克服すべく、己の理性の声たる「自然法」の格率=「望みの存するかぎり平和を求めなければならない」に従って、お互いに各人が持つ「自然権を放棄」(たとえば武器を捨てて)して、各人が「力を合わせて」(「力の合成」)、「共通の権力(common pawer)」を形成しようという契約をとり交わす(=「社会契約」)。そして、この契約によって生れた共同体を外部からの侵入より守り、且つ共同体内部における人民相互の侵害行為を抑制し、各人をして自己の努力と自然の産物とにより、平和で充ち足りた生活を送らせるための法律(市民法)を制定し、執行・監視させる目的で、一人の、或は一合議体を「主権者(sovereign)」として多数決によって選出することで国家(common wealth)を設立した―とするものである。
 勿論これは歴史的事実ではなく、政治的な擬制(フィクション)にすぎないが、国家の原理を「社会契約」においたフリードリヒ大王治下のプロイセンでは、臣民たちは「主権者(国王)」に統治権を附与した「社会契約」の当事者と観念され、論理的に共同体(国家)に不可欠なフルメンバーとして、法の下に平等に取り扱われることとなった。
 さらに、「単一の民族」や「特定の宗派」を国家統合の原理としてはいなかったプロイセンは「万人に対して開かれ」ていた。カトリック(旧教)から迫害を被ったフランスの新教徒(ユグノー)や、教皇庁から異端宣告をうけたイエズス会などの教団信者、ドイツの他の領邦(小国)の移住者、或はプロイセンに併合されたポーランドやデンマークの住民などにも「自発的なしたがって自由な(公共体への)編入」(ゼークト)が認められており、彼らのなかの能力あるものは、その身分・出自いかんに拘らず、高位高官にのぼることもできた(18世紀初頭のプロイセン軍制改革の主導して「ドイツ参謀本部の生みの親」となったシャルンホルスト[1775年〜1813年]はハノーファーの農民の出、その協力者グナイゼナウ[1760年〜1831年]はザクセン人、大モルトケは元はデンマークの軍人で、ゼークトも旧デンマーク領のシュレスヴィヒ・ホルシュタインの生まれ)。
 そして「プロイセンの理念」の第二は、国家の維持・拡大のためには手段をえらばず、上は君主から下は臣民一人ひとりにまで厳格に義務を課すところの権力主義的な「理性国家」にある。
 「その国(プロイセン)には歴史上の法則として前もって定まっているものは何もなく、その国の構成要素は偶然に組み合わさったものであり、その国家は成長してきたのではなく、創られたものである……この偶然の産物を崩壊させないためには国家が創られていかざるをえないこと、存続し続けるためには拡大していかざるをえない」(セバスチャン・ハフナー『プロイセンの歴史』)という、「戦わなければ生き残れない」という国家の生存本能=「国家理性(raison d`Éta)」に従属するかたちで、各人が「国家の下僕」として、国家の存立と拡張を第一義として、それぞれに割り振られた義務―「ある者は金をもって、ある者は血をもって、幾人かはまた『頭脳』をもって」―を忠実・勤勉に遂行することにより国家に奉仕しなければならない(資料[2]参照)。
 プロイセンは「オーストリア継承戦争(1740年〜48年)」や「七年戦争(1754年〜1763年)」といった対外戦争(いずれも仕掛けた非はプロイセンにあった)によって国権を大きく伸張させるのだが、 この対外膨脹の理路もまたホッブズ的な「社会契約」説そのものに内在している。
 日本の戦前の法哲学者・恒藤恭(つねとう・きょう/1888年〜1967年)は、その著『法律の生命』(岩波書店/1927年)のなかでこう述べている―ホッブズのいう「社会契約」に参加する総ての個人は、その自然権を放棄するのであるから、主権者の意志に無条件に服従することを要する。然るに主権者その者は、契約から生じる効果はこれを取得するけれども、本来は契約の当事者ではない(契約の目的である)から、臣民に対して何等の義務を負うものではなく、したがって何等の実定法(=人定法)の規定によっても拘束されるものではない(主権者はみずからの行動を縛るような法律を廃止し、新な法律を制定することによって、いつでも好きな時に法律への服従から自由になりうるから)。ホッブズのいわゆる“自然状態”は、専ら自然法に服する状態であるのに反し、そのいわゆる“国家状態”は、自然法とならんで実定法に服する状態なのであるが、国家状態において実定法に服するのは臣民たる個人のみであって、主権者その者は実定法的拘束を被らないという思想をひとり国内関係にとどまらず、国際関係にまで敷衍させるならば、実定的国際法(同盟・協定の類)の否定にまで導かざるをえない。国家間の関係は畢竟戦争状態、すなわち“自然状態”に他ならない。国家が互いに交戦しない間といえども、その間に平和の関係が成立しているわけではなく、国家は互いに他国の隙を狙いつつ機を窺っているのである。かくて国家の主権者は、軍隊を蓄え要塞を築くなど兵備を整えるのみならず、自己にとって危険なる他国の力を減殺するためには、あらゆる手段を講じて憚らないのである―つまり、「自然権」を放棄して、人々が“国家状態”に入り、国内的に平和が齎されるなかで、唯一人「自然権」を保持している主権者は、その独占する物理的強制力をもって臣民を服従させるだけではなく、その国内的安定のために、「一つの国の人口を増加し、その国を隆盛ならしめる」(資料[3]参照)ことを意志すれば、それは、ただちに対外的に「自己保存の不可欠の手段である平和の実現のために、何ごとをもなしうる」ことを正当化させる論理となるのである。フリードリヒ大王は、「(国際的な)条約違反ははたして許されるか否か」と自問し、「国民の安全と『大きな必要』があれば許される」と自答しているのは、個人的な倫理では非難されることでも、「一つの領国を定礎し、保持しまた拡張する」(G.ボッテーロ『国家理性論』[1589年])という、国家的な必要に出たものであれば是認される、という「国家理性の理念」を、大王が抱懐していたことを傍証するエピソードである。(次回につづく)

(資料[1])
「「試に此の若き国王の初期の著作『反マキアヴェリ』及び『随想』を観察すれば、吾人は彼に在って社会契約観が決定的役割を演じて居ることを看取する。此処で国王は自然法的観念を繰返して居る。個々で彼は亦、君主を其の人民の第一の僕と呼び做して居る。さうして社会契約より出発して、人民が独裁君主に服従したのは、一に君主に依って保護せられんが為めに外ならず、随って君主は決して彼等の権力と擁立との基礎を否定してはならない。君主と人民とは一個の身体を形作るものであると明言する。王は更に一般的に「ヨーロッパの国家体」という語を用ゐ、此の国家体の中に在って君主達は彼等の国家の魂であり、彼等は夫々一個の職掌を有し、さうして此の職掌は専ら彼等の人民の作為に過ぎないとして居る。」(『司法資料 第214号』司法省調査課/昭和11年)

(資料[2])
 「人間は孤立して生存する限り不安な状態を避けることができず、そこで各個人間の契約によって国家社会が成立する(フリードリヒ「政府の形態および君主の義務に関する試論」[1777年])。従って社会契約の基本目的は、共同の力によって、内外に対し各自の生命財産を防衛、確保するにあり、国家はこの目的を達するための人為的手段にすぎないと考えられる。けれどもこのような手段として国家は最も強力なものであり、人民の意志によって構成されたとはいいながら、一旦作られた以上は人民に厳粛な義務を課する(フリードリヒ「祖国愛に関する書簡」[1779年])。人民による義務の履行なしには国家の存立は不可能であるから、義務は各人の意志の上位に位しなければならない。「人民が国家は離れてはすべてを失い、何物をも得ることができない」(「書簡」)限り、それは当然のことである。要するに国家は各個人の「幸福の宿」であり、国家に対する義務の履行は同時に各個人の利益にほかならぬのである。」(矢田俊隆「フリードリッヒ大王の統治について」北海道大學法學會『北海道大學 法學會論集 4』/1954)

(資料[3])
「国家の力は決して一つの国の広さの内に、また広大な荒野あるいは巨大な砂漠の所有の内に存するものではなく、かえってただ住民の富と彼らの数とにのみ存するものである。したがって一君主の利益は一つの国の人口を増加し、その国を隆盛ならしめるところにあるのであって、それを荒廃させ、滅ぼしてしまうところにあるのではない。」(フリードリヒ『反マキャヴェリ論』1740年)
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