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2022年01月11日00:59

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過去は未来のために

生物学の世界では古くから、生物の身体がいかに精緻に作られているか、と言うことが注目されていました。それが進化論に反対する理由にもなったほどです。ドーキンスのブラインドウォッチメーカー(邦題「盲目の時計職人」)が再反論として有名ですけれど、解剖学者の遠藤秀紀をはじめ、最近では生物の身体が精緻ではあるが間に合わせの積み重ねで出来ていることを指摘する人が増えています。以前読んだプラモデルマニアの有名人(NBOnlineの記事だったと思うけどよく覚えていない)のコラムで、ソ連製の戦車の造形がうまくいかず、いったん削ったものをパテで膨らませてみたらうまくいった、と言うようなことが書いてあり、出来た経緯を再現できたせいだろうとのことでしたけれど、生物の構造も「最初からそのために作ったもの」であれば有り得ない設計になっているものだらけであり、むしろ、進化論の補強材料として使われるようになっています。

文化や機械にも目的を失ってなお残っているものがたくさんありますし、果たす役割が当初と異なっている場合も少なくありません。前回01/09の日記に、形骸化した慣習を取りやめるリスクについて書きましたけれど、機械のデザインですら、機能を失っても「それは、こんな形」が多くの人に染み付いているため、大幅な変更ができないものもたくさんあるはずです。前述の生物学者が「生物の身体がいかに精緻に作られているか」を論じていたのも、もともと学問が神の御業が「如何に世界に広く撒き散らされているか」を論じるために始まったからでしょう。
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