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2022年01月09日23:43

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変化を受け入れる

新年の初出勤は時間を繰り上げて社長の年頭訓示からスタートします。近年、御多分に漏れず新たな発想で変革を、と、年頭指針にもありましたけれど、時間繰り上げの年頭訓示は見直しをしたのだろうか?と、ちょっと意地悪なことを考えてしまいます。結局のところ、新たな発想をつぶすのは明確な反論ではなく、「でも、今までこうしてたから」「急にそんなことして大丈夫か」という漠然とした不安であり、ドラマのような明確な敵対者よりも「言っていることはわかるけど、もうちょっと慎重に・・」と言う現状維持派が圧倒的に始末に負えません。

否定的な指摘に対してはいくらでも対案を用意することができますけれど(もちろん、それができずに諦めたり、萎縮してしまったりする人もたくさんいますから、否定的な言い方を見直す必要はあるにしても)、不安を否定することはできません。否定的な発言を繰り返すのも、指摘している内容を本気で心配しているというよりは変化に対する不安から否定すること自体が目的であることがほとんどでしょう。予知能力があるわけでもない以上は、いくらでもネガティブな可能性を指摘することはできますので、発案者がいくら対策を用意し、指摘の内容の間違いを説明したところで反論は終わりません。

変化に対する不安を打ち消すには、トップ自ら変化を受け入れる態度を示すのが一番で、それには「慣例だから」「習慣だから」続けていることを片っ端から見直して見せるのが有効でしょう。年頭訓示のような儀式はまっさきに見直しを図るべきであり、会社のポリシーとして「〇〇だから、これは続ける」と言う強いメッセージがあるのでなければ、さっさとやめるべきです。まあ、そんなことを言っても、結局「無理矢理の屁理屈」で慣例を続ける人たちが主流だから山のような「定例会」がなくならないし、定例会がないとまともに事務連絡ができないような組織運営が続き、改革ができないまま経営が悪化してゆくのでしょう。

まあ、山のようにある慣例を片っ端からやめていくと、副次的に持っていた機能がなくなって不都合が生じたりするのですが、それをきちんと改善するところまでが効率化です。例えば、業績報告の会議で事務連絡を行っていて、事務連絡の場がなくなってしまう、と言う問題が起きたりします。本来、メール、回覧などで行う事務連絡が「念のため」業績報告の場で確認していたのが、そちらがメインになってしまい、メールや回覧のほうを見ない習慣がついてしまったために事務連絡の見落としが多発したりするのです。なぜか、業績報告の会議を復活させよう、と言う話になってしまいがちですけれど、本来は、ちゃんと通達を見ろ、と言うのが筋ですし、その通達の方法に問題があればそちらを改善しなければなりません。やっぱりダメだから元に戻そう、と言うのは、無駄に思えた元のやり方が実際は最適だった、と分かった時だけです。

と言う話ができる職場で働きたいなあ、と思いながら、そういう職場の見つけ方を模索する毎日です。
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