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2022年01月02日23:09

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物語から学ぶこと

物語はシミュレーションなので、物語を読むと様々な経験をすることができます。まあ、物語なので、必ずしも現実の現象を反映していないこともありますけれど、それは一般的な「知識」でも同じことで、物語から学ぼうが、知識として習得しようが、現実に有効なものを選別しなければならないのは一緒ですし、実際の経験から学んだことでも汎用性の有無やらで覚えておいても役に立たないこともありますから、経験として習得できる物語は知識を増やすうえで有効な手段と言えます。と言うか、知識を伝える古典的な方法のひとつとして、体験談を交えて教えるのは定番で、それは物語のルーツのひとつであり、もともと分離不可能なのかもしれません。

寒くなってくると思い出すのが、冬場に露天風呂に入った時にいつもの癖で髪を洗ってから入ってしまった、と言う話で、アウトドア雑誌BE-PALに掲載されていたマンガの一節だったか、誰かの体験談だったか、よく覚えていませんけれど、とにかく髪を濡らしてしまうとお湯につかっていても髪から水分が蒸発する際の気化熱で身体が温まらないので危険、と言う教訓が付いていました。露天風呂と言っても大抵は暖房完備の脱衣所が付いていますから、この教訓が活きることはそうそうなさそうではあるものの、正月に寄生して実家に帰った時に暖房が十分でない風呂場で寒い思いをしたときにこの話を思い出し、翌日は(普段は最初に髪を含めた全身を洗ってから風呂につかるのを)髪を洗うのを後回しにしたことがありました。

「学校で習った知識など、社会に出たら役に立たない」と言う言葉を聞くたびに思うのは、知識と言うのは活用できない人にとっては無用の長物、と言うことで、様々な知識は生活のあちこちで役に立つのに、多くの人は必要な時に思い出すことも、この場面ならこう役立つと判断することもできず、「確かにあんたにとってはそうなんだろうね。でもそれは、あんたが役立てることができてないだけだから。」と言いたくなります(言ってもその人が活用できるように努力するとも思えず、どうせ言ってもムダどころか、余計な恨みを買うだけになりそうなので言いませんけれど)。

日々、新たなことに挑戦できるようなときにはほとんど読みたいと思わなかった物語を最近読むようになっているのは、疲れて消化するのに気力が必要な本を読めなくなっていることと、新たな経験で学ぶ機会がなくなって「経験」に飢えているからかなあ、と思ったりするのですが、本当のところはどうなんでしょう。
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