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2020年10月21日00:14

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世の中の原理

しばらく前に、自分(達)の考えが不変であると思っていると、実際に変化していても気付かず、いつの間にか変わってしまったことに気付けない、と書きました。変化は別に悪いことではなく、状況に応じて必要な変化をすることは大事で、問題はある時期に正しかった人たちが周りとずれて変化しているのに「自分たちはずっと正しい」と思っていたり、状況が変化しているのについていけておらずに、それでも「自分たちはずっと正しい」と思っていたりすることです。変化は基準との比較でしか認識できず、基準が動いていないのかを確認することが必要で、「人がその意思を推し量っている神」を基準にする宗教だろうと、人知の限りを尽くして基準を推し量る合理主義者だろうと、人間としての限界があることに変わりありません。

科学的思考の基本は全てを疑うことにあって、ただ、なんでも疑って何もできなくなっても困るので、正しそうだと確認できた範囲はとりあえず正しいとしてみる、と言うのがいわゆる「科学的な真理」となります。そこにはいつでも「ほんとは違うかもしれないけどね」と言う但し書きが付いていて、実際ときどきひっくりかえるわけですが、なんにでもその但し書きがついているのが我慢できないという人は、宗教か、科学万能的合理主義に走ってしまうことになります。もともとが優柔不断で疑い深い私は科学との相性が良いのでしょうけれど、社会の基礎としてこれだけ活用されているのだから、もう少し科学的な思考が社会に広がってもよいはずなのに、と思わずにはいられません。
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