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2020年10月18日23:11

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人道支援

先日、NHKの「SWITCHインタビュー」で「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社 2019)の著者、ブレイディみかこ氏と鴻上尚史氏の対談を放送しており、アンコールと言うことで、3月に放送したものらしいのですが、全く見逃していたものを録画して見ました。著書の話が出る中で、改めて主人公である息子さんが友人がボロボロになった制服を着ているのを見て、著者が制服リサイクル(卒業生から集めた制服を希望者にわける)している中の一着を渡すことにして「どうやって渡すか」を悩みつつ、とにかく紙袋に入れた制服を渡し、「どうしてくれるの?」と聞かれて「友達だから」と答えた、と言うエピソードが語られました。

対等なはずの友人が、施す側と施される側に分かれてしまう、と言うのは、結構難しい問題で、それでも「困っているときに助け合うのが友人だ」と言うのは一定の説得力を持つ言葉でしょうし、その友人はそれで納得してくれたようです。「純白の血」(篠原烏童 朝日ソノラマ 全4巻)と言うマンガで、人の精気を吸い取り恐れられる吸血鬼の中で、植物の精気を分けてもらえる「変わり種」がいて、人の精気の代わりに彼からさらに精気を分けてもらえることもできるのに人を襲ってしまう彼の友人が「お前から分けてもらえばよいことはわかっているが、時々たまらなくなるんだ」と心情を語る場面があります。
慈善活動の話を聞くたびに、私の心のどこかでこの場面がちらちら浮かんで、「どうするのがよいのか」と思ってしまいますし、おそらくブレイディみかこ氏も似たようなものらしく、「自分なら結局渡せなかったかも」と言っていました。

介護が社会問題化してきた80年代頃に、介護を受ける側が「介護なしで生きていけないくせに、やたらと偉そう」と言う不満に対して、「自分は介護を受けて当然なのだ、と思い込まなければ、みじめになって生きていけない、と言う人もいる」と説明を聞いたことがあります。それが歓迎される態度かどうかはともかく、そういう人がいるならそういう感じ方もあると認めなくては、多様性がどうのとか言えなくなってしまいます。とは言え、そのために介護する側の負担が必要以上に増えるなら、やはり折り合いをつけてもらう必要があり、そのために「こんな考え方をしたらどうか」「こんなふうに態度を変えてはどうか」と考えなくてはなりません。

みかこ氏が鴻上氏を対談相手に選んだのは、鴻上氏が人生相談で相談者に寄り添ったアドバイスをしているからだそうで、本人も「具体的で実行可能なアドバイスをするようにしている」そうです。上記のように、当人の考え方や置かれた立場でどうしたらよいかは変わってくるわけで、「支援を受けるのは人間として当然の権利」と思った方が納得できる人もいれば、「困ったときに友達が助けてくれた」と思った方が納得できる人もいるでしょうから、支援と言うのは結局は一対一で相手との関係性を考えながら届けることが大事なのかもしれません。
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