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2020年10月12日23:44

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肉体と精神

「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言う言葉があり、体育の教師などが好んで使います。運動音痴で体育の苦手だった私は、こういうことを言う教師は嫌いでしたし、だいたい、学校なら体の弱い子だっているのにこういうことを平気で言う「健全な肉体」を持った教育者がいるということ自体が、健全な肉体だからと言って健全な精神が宿るわけではないことを物語っています。中学時代のある社会の教師は「あれは、健全な精神は健全な肉体に宿る『のが望ましい』と言う言葉だった」と世界史のギリシア・ローマ文明のときに言っていて、「健全な精神は健全な肉体に宿る」は優性主義者が自説の正しさを主張するために歪曲して作ったスローガンだ、とのことです。

その教師もあまり「健全な」肉体の持ち主ではなかったので、真偽のほどは定かではないものの、教育者の態度としてはよほど望ましいし、体育の教師はともかく、体力自慢のろくでなしがいくらでも存在することは事実ですから、現実と合致した意見であることは間違いありません。さらには、ノブレス・オブレージではありませんけれど、力が強くて性格が悪いと厄介なので、「望ましい」の部分も周囲の賛同を得られることでしょう。ただ、体を鈍らせるような生活を続けていると、精神の健全性を維持するのが難しいのもまた一面の事実だとすれば、「健全な精神を保つには、肉体を健全な状態に保つ必要がある」との意味でなら正しいような気もします。

身体が辛いと我慢がきかなくなったり、人にきつく当たってしまったりと言う経験は多くの人にあると思います。人と比べて肉体的に健全か、と言うことではなく、自身を健やかに保つ、と言う意味で、健全さを維持するというのは、精神の健全性に大きく影響するということで、そこから、肉体改造をすればどんどん精神が健全になっていくかどうかは別の話になりますし、極論すれば健康は大事、くらいの話になってしまいますけれど、精神が落ち込んだ時に、肉体をケアしてみるのも試してみる価値はありますよね。
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