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2020年07月04日00:36

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寛容の目的

7月に入り、人との係わりについて書いています。先日、子育ての本を読んで、「人に迷惑をかけない」と言う子育て方針が自尊感情を損ねる一因になっているのではないかと書いてあり、確かに「迷惑をかけないように気をつける」と言うことは、気をつけなかったら迷惑をかけると言うことですし、普通にしていて人に迷惑をかけるような存在だと言われたら、そりゃあ自尊感情が損なわれてもおかしくありません。しかしながら、それは人とかかわらないという単純明快で簡単な「人に迷惑をかけない」方法があり、「人に迷惑をかけない」のは人とかかわらずに済む逃げ道にもなります。

人と協力しなくてもそこそこのことができるようなら、人に迷惑をかけずに評価を得られる「一人でやってしまう」ことはそれなりに便利な方法ではあるものの、一人でできることには限界があるのもまた事実です。実際にネアンデルタール人はホモサピエンスの「友情・努力・勝利」の方程式に敗れたとされていますし、それが史実かどうかはともかく、その思想は人の社会に深く刻み込まれているように思えます。だからこそ、人とかかわる力はきちんと磨く必要があり、そのためにも、「人に迷惑をかけない」と言う教育方針は改める必要があります。ただ、人とかかわる能力も個性ですから、それだけを重視するのでは問題がありますし、だいたい、社会全体で人とかかわる能力を底上げすることは、人とかかわる能力が低い人をサポートするためにも有効なはずです。

迷惑をかけてもよい代わりに、迷惑をかけられたからと言って腹を立てない、という社会が人間の社会としては正しくて、もちろん、故意に迷惑をかけるというか、迷惑をかけることが目的の行為はいさめるべきで、そうやって寛容で思いやりあえる関係を作ることで、蓄積したノウハウや技術を浸透させれば、組織でも社会でも生産性を上げていくことができるのです。
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