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2020年06月01日22:42

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もう一歩

この日記でも繰り返し書いているように、私は運を信じません。いや、もちろん、運がよかったり悪かったりすることがあるのは知っていて、信じないのは、「運のよい自分」「運の悪い自分」です。運のよい人間だから運のよいことが起きる、運の悪い人間だから不幸を呼び込む、という考え方を信じないと言うことです。だから、いわゆるポジティブ思考でも、「自分に不運が来るわけない」ではなく、「自分に不利なことが起きたが、それは自分が不運だからでも、運命が自分に意地悪をしているわけでもなく、運が悪いと思えることが起きただけ」と捉え、その結果として、「起きた事実をもとに、自分がもっとも有利になるにはどうしたらよいか」を考えるわけです。

単純な楽天的思考では、運の悪いことが起きてもそうそう不運は続かないから何とかなる、と思ってしまい、悲観的思考では、やっぱり運が悪いからダメだ、となります。しかしながら、自分に有利なことが起きることも、不利なことが起きることもあって、それは予測できないし(起こりやすいことが起きることが多いのはもちろんですが、次の時に、起こりやすいことが起きるかどうかを確実に予測できるわけではないので)、幸運でも不運でも最善の行動をとることを心掛けねばなりません。幸運だから、不運だからと「変化した状況に対してどう行動するか」を考えない理由にはならないのに、幸運、不運で済ませる人は、そこで思考停止してしまうのです。

外交戦略とか、海外企業との交渉などの話を聞くと、日本人は交渉が下手だと感じることが多く、その理由はおそらく、自分に不利な条件を提示されたときの切換えし方にあるように思えます。自分に不利な条件を提示されたときに、「うわあ、不利な条件キター」とあきらめてしまえばそれまでで、「その条件で自分が有利になるような道はないか」をしつこく真剣に考えて交渉にあたろうとすると、初めからそこを狙っていたかのような逆転劇に展開できる可能性が開けるのです。そういう展開があると、最初からすべてのパターンを想定して準備していたとか、どういう条件を提示しようとしていたかを諜報活動で入手していた、などと、「相手が凄すぎた」ことにしがちですが、案外、自分のもう一息の努力が足りなかっただけかもしれません。

もう一息とは言え、重要な場面でいきなりやれと言われても難しいので、やはり普段からいろんなことが起きたときに、「不運だけど、これで自分が凄く有利になったりしないか」「ラッキーだけど、これで自分が本当に損しないのか」などと考える習慣をつけておくとよいでしょう。もっとも、そんなことばかり考えていると、変な奴だと思われるでしょうねえ。
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