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2020年01月26日22:07

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アドラー心理学と正義

2020/01/23の日記で、公正さを基準にするなら大抵の正義は成立しないと書いた後で、アドラー心理学の本の紹介記事で、正義の代わりに「社会からの承認」を基準に似たような議論を展開しているモノを見つけました。

アドラー心理学は、あなたの「承認欲求」を否定する!
https://diamond.jp/articles/-/226813

聞きかじりの知識で言えばアドラー心理学は体系化された理論ではなくアドラーが提唱した様々な指針をまとめたものと言うことで、アドラーの著作を読んだり、師事した人が書いたものの総称と言うことになり、当然私も体系的に学んだありません。もっとも、すべての学問は日々更新されていくものですし、提唱者によって間違った方向にゆがめられる学問体系も例がないわけではありませんので、体系的に学べるかどうかは気にしてもしたかないかもしれません。とは言え、基本的な考え方はあって、その一つが「どんなに緊密な関係であっても自分は自分、他人は他人」です。

小学生の頃に、当時すでに変わり者認定されていた私が「他人に理解されなくても仕方ない」と言って、「他人とはなんだ」と親戚のおばさんから怒られたことがありました。そのおばさんがアドラー心理学を学んでいれば、怒ることもなかったのではないかと思いますが、まあ、小学生を変わり者認定する時点で親戚一同にそんなことを期待するほうが間違っています。ともあれ、自身の経験をもとに私が考え付くこと程度は、すでに誰かが言っていた、もしくは、私がどこかでそれにであり、取り込んでいた、と言うことになります。

基準を社会の認める価値観による承認とするか、その代替物としての神の承認(宗教家の観点では、社会の認める価値観が神の価値観の代替物かもしれません)とするかは別として、アドラーは自身の価値観を優先することを勧めます。そして、自身の価値観を優先することを万人に認める「公正な立場」をとると、自分勝手は成立しなくなり、神も社会に押し付けられた道徳もなしで社会秩序を保つことができます。もっとも、人が価値観を構築する中で社会と無関係でいられるはずもなく、自身の価値観と社会の価値観が区別できなくなる人も現れますから、人の悩みは尽きることがないでしょうけれど、この考え方が基本であれば、今よりはもう少し平和になりそうな気がします。
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