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2020年01月24日23:56

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解決を求めて

昨日2020/01/23の日記で、正義は問題解決をあきらめた人間の選択、と言う感じのことを書きました。誰かの相談を聞くときには相手が解決を求めているわけではなく共感してほしいのだと思え、と言うのがあって、相談でなくても正義について語る人は世の中の問題について解決を求めているのではなく共感を求めていると考えるべきなのでしょう。特に、相手が悪いと思いたいときは、正しく自分が虐げられていると感じていることが多いので、なおさら解決よりも共感が必要と言うことになります。

正義を主張しているかどうかにかかわらず、人には承認欲求があって、周囲から認めてほしいと思っているわけですから、なかなかうまくいかなくて承認が得られないと何とか別の方法で認めてもらうことができないか、と考えるのかもしれません。そう思えば、能力の低い人ほど褒めてあげないと、本来の努力とは異なる方法で承認を得ようとしてしまいそうです。私は試験勉強をして成績を上げようとする人をばかばかしいと思ってみていましたが、カンニングや成績改ざんほどではないにせよ、あれも知識を得た結果としての成績向上と、試験で良い点を取る方法を習得しての成績向上を取り違えていると考えると、確かにバカバカしい行為ではあるものの、考えてみれば現在は知識を得たことよりも試験で良い成績をとったことのほうが人生における(表面的な)影響は大きかったりするわけで、ひょっとすると試験で好成績をとる努力をするのが現代の「本来の努力」と言うことになりそうです。

厳しい立場に置かれた人が承認欲求を満たしてその立場の厳しさが和らぐのであれば、共感してあげること自体が正しく「解決」だとも考えられますが、それが一時の憂さ晴らしにしかならず、改めて厳しい立場を思い出してげんなりするのであれば、やはり、問題解決をあきらめない態度のほうが望ましいように思えます。
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