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2019年12月09日22:48

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「科学で説明する」への挑戦

世の中には科学で説明できないことがある、と言うのはオカルト系の常套句と思われているものの、実際には世の中に科学で説明できないことは科学者の常識です。と言うか、科学者は「今、科学で説明できないこと」を説明できるようにするために存在しているのです。科学で説明できないことがなければ、科学者の存在意義がなくなります。最近でこそ、理解が進んでいるようですが、この科学万能の世の中で、なんてのは文明開化や敗戦復興の遺物であって、全くの後進国の思想です。

科学の本質は説得力のある説明であって、時代によって合理性とはかけ離れた説明が説得力を持つこともあり、口の悪い人が「科学と宗教は同じ」などと言う原因になります。ただし、科学の説明は実証をともなう必要があり、また、たとえどれだけ実証を積み重ねた理論だとしても疑うことが許されていますが、宗教は本質的に疑うことを否定する、と言う違いはあるでしょう。もちろん、科学の信奉者には既存の理論を疑うことを許さない人もいて、科学が宗教化することがあることは疑いもない事実です。しかし、だからと言って価格の本質を「科学を信じること」であると断定し、宗教と変わらないというのは本質を取り違えた話です(もちろん、世の中には信じる科学こそが本当の科学だと言う人はいるでしょうけれど)。

既存の理論を疑ってもよい、と言うことは、オカルト的な現象も信じてよい、と言うことであり、昨日2019/12/08の日記に書いた「科学者はだまされやすい」に通じるところでもあります。以前読んだ「その可能性はすでに考えた」と言うミステリのシリーズで、「奇跡」の調査官が超常現象を調べるにあたり、人知の範囲のあらゆる可能性を網羅して不可能であると断定できれば、それが奇跡であると判定する、と言う設定がありました。奇跡を信じる立場だからこそ、科学や人為のあらゆる可能性を検証せざるを得ないという皮肉な設定で、科学者を万能視する時代へのアンチテーゼと言えそうです。

科学で認められるためには説明ができることが不可欠ですが、説明ができないからと言って否定することはできません。もともと、存在するのは現象であって、その現象をうまく説明できる理論が科学として構築されてきたのですから、本末を取り違えてはいけません。とはいえ、現象をとらえる私たち自身が「完全な感覚器」を備えているわけでも「正確な解析器官(脳)」を備えているわけでもないので、ちょくちょく科学が現象を否定しているように見える事態は発生するので話がややこしくなります。この辺がもっと多くの人に理解され、科学が世の中にきちんと受け入れられると世の中がもっと暮らしやすくなるはずです。
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