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2019年12月08日22:41

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「科学で説明できない」への挑戦

2019/12/02の(夜に書いて当日アップした)日記で、ぬるま湯のほうが早く氷ができる現象について、ふと「検証すべき価値のある仮説」を思いつきました。それは、物理学者による検証ではなかなか出てきそうにない説で、それは「暖かいものが入ってきて、冷蔵庫が頑張って冷やそうとするから」というもの。庫内の温度が上がれば、設定温度まで下げようと冷蔵庫が動き、それは設定温度からの差が大きいほうが強くなったり、時間が長くなったりするはずです。そして、冷風の吹き出し口もしくは冷却装置と製氷皿の位置関係や冷蔵庫の温度差を感知するセンサーの精度やその位置が製氷皿とどのような位置関係にあるかによって結果が変わってきます。これは、現在の「因果関係が不明」と言う状況にうまく合致するのです。

因果関係が不明、と言う状況の多くは、正確には因果関係の判明する因子が見つかっていない、と言うことであり、多くの物理現象はその因子を計測する技術の発見によって謎の現象から科学の対象に変わりました。科学者は一般的に自然現象を研究しているので、人為的な影響を考慮の対象から外しがちです。泡坂妻夫の著作「ヨギ・ガンジー」シリーズで心霊現象を科学者が新発見として取り上げるのを「こういうことの検証は、詐欺師か手品師にさせるべき」と批判する場面が出てきて、非常に納得した記憶があります。まあ、機械の設計に関することを「人為的」と言うかどうかはともかく、科学者の多くは与えられた実験設備、それも研究のために研究対象への影響がないように設計された設備を使って実験することしか知らなかったりするので、非常に危険です。もちろん、一部の最先端科学では実験装置の設計を自分でしなければ研究できない場合もありますし、広い範囲に興味を持っている科学者もいますけれど、「科学者の言うことだから」と無批判に信用するわけにはいきません。

文明は分業によって発展してきたとは言うものの、それによって横断的な発想をどう評価するかがどんどん難しくなっています。実証ができればそれで解決するとは言え、その実証に時間や費用が掛かるとなると、それを用意できる「権威」の存在が必要で、その権威を狭い専門分野の業績で判断せざるを得ないようなことが多くなるからです。最近では学際研究とかも盛んになっていて、おそらくそれを正しく進めるために最終的に必要になるのは「正しく議論する力」になるので、教育がその方向にきちんと向かってくれるとよいと思っています。
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