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2019年11月17日22:33

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国民の義務を考える

日本の戦後民主主義教育は、「お国のために」と国民の義務ばかりを押し付けた戦中教育の反動を受け、権利の主張に重きが置かれました。もちろん、社会科で納税の義務、政治参加の義務など、言葉では出てくるものの、公害の被害救済とか、個人の権利が脅かされた事例のほうが具体的に取り上げられている気がします。まあ、公衆衛生で、例えば予防接種の効果に比べて副反応による被害のほうがわかりやすく心に残りやすいのと同様に、社会に対する義務の効果が説明しづらく、記憶に残りにくいという課題がありますから、教える側だけの問題ではないでしょう。

国民の義務を教えづらいもう一つの理由は、国民の義務と言うときに愛国心とか道徳心とかを全面に押し出したい人が多いことがあげられるでしょう。民主主義国家の本来の姿は、国民の生活の基盤を国民の手で守る、と言うことであって、それにはもちろん自らの文化に対する誇りが入っていてもよいでしょうけれど、「国」という概念そのものに忠誠を誓うとか、そこに含まれる既存の道徳を無批判に順守することは筋が違うでしょう。ただ、今の生活がそれなりに満足できるなら「今まで通りがよい」とか、だんだん悪くなってきたら「以前の状態がよい」と言った「素朴な」選択をする人が多く、その素朴さを利用して権力を掌握しようとする(もしくは、素朴な発想で国家としての選択をしようとする)人がいて、彼らはおそらく愛国心や道徳心を国民の義務にしたがるでしょう。

私が国民の義務として教育すべきと考える内容は、国民の生活基盤としての社会をどう運営していくかを真剣に考え、その実現のために政治活動を含めた社会参加をおこなうべき、と言うことで、愛国心や道徳心より教えるのが難しいでしょう。そして、振りかざして人に押し付けられる愛国心や道徳心より実践するのはさらに困難です。ただ、建前でもよいからそういう思想が定着すれば、投票行動や社会参加への意識も変わってくるのではないかと期待しています。

憲法を改正するなら、こういった条文を盛り込んでほしいものです。が、それを主張する政治家に投票する人は、そう多くはなさそうですよね・・・
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