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2019年08月25日23:51

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新たな事実の発掘

先週見きれなかった戦争関連のビデオを見ました。アメリカ公文書館の資料の公開時期で第二次世界大戦当時の様々な新資料が出てきていろいろな報道がありましたが、今回それとは別の二二六事件をはじめとする新資料が発見され、そこからわかったことが紹介されていました。人間のやることなど、基本はそうそう変わらないので、判明している事実から大まかな推論はできても、実際にどうであった、それに対してどの個人がどのような役割を果たした、と言った詳細は資料がなければわかりません。また、同じ事実も角度を変えれば異なる見方ができますから、多面的に分析するという意味でも資料の存在は価値があります。

資料があろうとなかろうと、自分の信じたいことしか信じない人はたくさんいて、それでも社会の主流となる考え方と自分が信じたいことが異なるときに、自分の考えを支持する資料が存在すると、心強い味方になります。そこから、現在の「常識」を塗り替えていけるかどうかは、それを信じたい人がどれくらいいるのかと、信じたいことを根拠を得た人がどれだけの説得力を持って「常識の更新」を世に問うかにかかってきます。資料の公開自体が発見者、所有者の意思にかかっていることもあり、「常識の更新」はある程度時期が熟した状態で世に問われることが多いものの、やはり既存の常識にもそれまで信じられてきたという実績があるので、更新はハードルの高い作業でしょう。それでも、より正しい、有用な「事実」を構築するには、資料とそこから結論を導き出す力が必要となります。

私自身が個人の本棚でさえ、持てあますことを考えれば、世の中にある全ての資料を必要な時に活用可能にすることがほぼ不可能なのは自明です。インターネット黎明期の技術者は情報化技術を使ってすべてを検索可能にすることを目指したと言いますが、情報が検索可能になればなるほど、すべてを検索することの難しさがより分かってきて、それはおそらく、科学一般の知識の蓄積と同じような状況です。それでも、昨日知らなかったことを明日知っていることができるように今日を過ごし続けると、したいことができる可能性はどんどん高くなりますから、努力を続けることがやっぱり大事だと思います。
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