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2019年01月23日13:09

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思春期の子供たちに響く性教育

昭和50年生まれの私の時代には、たしか小学校の3〜4年あたりから、男子と女子を分けて別々に「身体の変化」から肩慣らししていくスタイルだったと思う。
交通安全ビデオとよく似た「教材として作りました」感満載の性教育ビデオを見るお時間、という性教育がほとんど。

保健体育の性教育の日、とか、今日の道徳は性についてです、とか前もってなぜか予告。
「特別な時間をご用意致しました」とばかりに始まり「とても大事なことだから」と教える。

いいえ。
特別に大事なことなんかじゃなく、いたって日常的なこと。
すべてのひとが関わっている、ありふれた日常のごく一部。

中学生の時、通常の授業が行われる中で休み時間に「次の地理は2時間続けてになったから視聴覚室に移動」と言われた日があった。
大っ嫌いな地理を立て続けに2限か〜と思ったのは私だけではなく、クラスの大半がブーブー文句を言いながら移動して行った。

授業開始に遅れてきた地理の先生がこう言う。
「〇〇先生が体調不良で今日はお休みで、次の地理の授業と〇〇先生の今日の授業を交換しました。地理が続けてになりましたので、今から時間が来るまで洋画を観ます。途中チャイムが鳴ってもビデオは止めませんので、休み時間のトイレは各自で行きなさい」
イェ〜〜〜〜イ!!!
視聴覚室から雄叫びがあがる。

視聴覚室の暗幕カーテンを閉めて、洋画上映会が開催された。
内容はさっぱり覚えていないが、こんなシーンがあった。
年頃になった娘に父親が言う。

「君が『SEXが怖い』と断っても、それは嫌われる理由にはならない。嫌われるのがイヤでSEXをするのは間違っている。SEXをさせないから別れると言うなら別れなさい、そんな男は君を大切にはしてくれない。君を大事に思ってくれる男は、君をいつまでも待てる、そういう男だ」

言い回しは違うかもしれないけど、言っている内容はこういうことだった。

性教育とは、男子と女子とを分けて別々の部屋でやるものではない。
これから性教育をやりますよ、と始めるものでもない。
日常会話の中についでに出て来るようなもので、大事なことだから教えるのではなく、大事なひとだから知って欲しいのだ。

あの映画鑑賞は、地理の先生の進んだ性教育だったと私は思っている。
そのことに気付いたクラスメイトが他にもいただろう。
性教育をします、と言われて観るビデオより、よっぽど中学生の心に響いたと思う。
とくに女子に。

これからも「対処法」はたくさん考えられるだろうし、医学的な進歩もありその選択肢も増えるだろう。
薬害が抑えられる薬も開発されるのかもしれない。
しかし「対処法」はすべて「あとのはなし」である。
私は「まえのはなし」が出来る大人でありたい。



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(朝日新聞デジタル - 01月22日 21:15)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5467094
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