一度は聞いた事があるであろう
武士道とは儒教を元に作られてている事は多く知られている、その時代背景と共に
葉隠れなる、武士の教えがある
秘伝とされて居た、葉隠れ、読んでは火をつけ抹消していたかので、現在ではその写しのみが残る
内容は、分かりやすく説明すると
「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。
己の生死に関わらず正しい決断を行う事
それにて、武士は死ぬる事と見つけたりと道を示し
儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系であるなか
儒教は上方風の(江戸時代に京都や大阪を初めとする畿内を呼んだ名称)付け上がるたる武士道と真っ向から批判する
早い話し、伝統だ血統だの優等生の頭だけで理解した物は意味が無いということのようだ
儒教は勉学に向いていたが格式高く、身分の差をつくる事になり、お役所勤めの向きの教えになった事は事実だ、
孔子を愛読する自分としては悲し事だが、教えも人の使い方で大きく異なるということだろう
さて、この葉隠れ、死をかけても、正しいと言い切る人間は日本に、いや世界に何人残っているだろうか
黒人人権に命をかけた、キング牧師、
銃殺されたジョンレノン名高い革命家チェゲバラ
大東亜戦争当時、投獄された与謝野晶子
江戸時代の平田源内、北斎
当時にしてみたら、狂気の沙汰である
周りは非国民と石をなげ、自己保守の時代、彼らは闘った
誰と国と体制にはからわ無い事は、はなから分かりきっていることだ
では何故、何の為に、本当の敵とは、正しいと考えても、恐怖に負ける己である
そう生きなければ、自分の人生を死んでからも後悔する事を知っていたからだ
なぁなぁと無難に生きる事をした者は必ず後悔を残すことを彼らは知っていたのだ
その、考えが分かる者は真実を知り生きる事ができる
逃げた者は、己に強く成ると良い
孔子はこう解く
「匹夫志しを奪えず」
訳すると、どんなにみすぼらしい人間でも
その人間の志しは誰も奪う事は出来ない
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