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2020年09月16日06:32

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ガンダムの物語構成論2

おはようございます、月影TAKAです。
今回は「ガンダムの物語構成論2」となります。

かなり前に日記でも書いたけど「物語構成論とは何?」と言われたら「神戸芸工大の映像表現学科で教わること」になります。
かいつまんで書くと「スターウォーズ構成理論」になります。

1.人間ドラマを作るには「主人公の成長」を描かないと人気が出ない。

2.物語は主人公だけでは完結しない。「主人公・援助者(主人公の仲間や手助けしてくれるキャラ)・敵対者(これは味方内にもいる可能性がある)・最終的な的(軍隊・敵の総統・黒幕)」の構成で作品の良しあしは変わる。

3.シナリオの完成させるには「シナリオプロット」を明確にする必要がある(「シナリオプロットとは「物語の設計図」であり、本来はこのシナリオプロット通りに完成させることを目指す。逆に言えば「打ち切り・作品崩壊を起こした作品」はこのシナリオプロットが瓦解した作品が多い。

4.「主人公の成長を描く作品」を作るには基本的に「3部作」であることが多い(スターウォーズでも「エピソード4〜6」で完結している)。よくに「主人公の世界の入口⇒主人公の修業⇒主人公の決着」を経て主人公は大きく成長するアニメ作品となるからである。

まあ、初代ガンダムもこれには沿っているんだよな。
「アオイホノオ」のガイナックス社長に相当するダルマも「スピルバーグを越えられへんやろ」とか言ってたけど「スピルバーグを越える」というのは演出以外にも「作品構成の完成度も言う」なら多分この物語構成論は影響していると思う。
で、「初代ガンダムの失敗点は何だったのだろうか?」と言われたらいうまでもなく「キャラクターの関係(相対図)」である。
簡単に言えば「どれが主人公でどれが援助者?」というのが分からない。
簡単に言えば「ブライトが主人公でもカイが主人公でも通じる話がある」というのが「ガンダム作品の曖昧なところ」だと思う。
行っちまえば「各エピソードで援助者(仲間)がごっそり変わるガンダム作品でも別によかった」とも思うんだよな。
それが「装甲騎兵ボトムズ」であり、ボトムズにとっては「主人公⇒キリコ」が絶対であり、基本的な援助者が「ゴウト・バニラ・ココナ」の3人であり、一番初めのウドを除いて「クメン・サンサ・クエント」で援助者も敵対者もコロコロ変わる作品作りをしていると思う。
ある意味「高橋監督は天才」「富野監督とは根本的に違う」と思うのはこれだろうな。よくに「エピソード規制」を上手く使うという点。
富野監督は「ガンダム作品を終始一貫して管理しようとする作品作りをする」傾向にあり、いわば「やたらと脱線が多く、結果的にシナリオを破綻させやすい傾向にある」点。対して高橋監督は「1つの作品を4つぐらいに分けて、それぞれでシナリオを作ってしまう手法」で成功している。
つまり、富野監督は「長い長編シナリオで1つの作品を描くタイプ」であり、実を言うとこれは「小説向きだがアニメでは比較的失敗しやすい原因」とされる。対して高橋監督は「4つぐらいの短編シナリオを主人公の成長に合わせて繋ぎ合わせて、結果的に長編アニメ作品にしてしまう」傾向にある。
装甲騎兵ボトムズに限らず、「蒼きSPTレイズナー」も「火星編⇒月面編⇒地球編(前半)⇒地球編(後半)⇒宇宙編(最終編)」という感じで細かに分けられるし、あの機甲界ガリアンでも似た感じ。
惑星は大きく移動しないけど「ガリアン発掘⇒惑星アーストの冒険⇒ヒルムカの謎⇒マーダルの野望⇒ヒルムカとマーダルの真実⇒ジョルディの決着(ランプレート崩壊)」という構成。

一応言えば「劇場版ガンダムという編集が無ければ初代ガンダムは何をしていたかわからない」というのが実論であり、
初代ガンダムなら「サイド7⇒地球(降下)⇒地球(ジャブロー)⇒宇宙」というかなり曖昧なくくりしかできない。
一貫して言えば「アムロが知らず知らずのうちに成長してました」というのが富野監督の演出であり、これは裏側に相当なファンがいないと指示されない構成上の問題があるだろうな(書いてる自分もどれが区切りなのか全くわからん)。

あの永井豪先生のマジンガーZでも一見して普通に通しているようで
「前編(マジンガーと甲児の出会い)⇒中編(苦戦。新しい力ジェットスクランダーとマジンガー軍団。アニメ版ならダイアナンエースとボスボロット⇒終編(強敵の出現とドクターヘルとの決着。ドクターヘルを倒すことはできても暗黒大将軍の軍団には苦戦する。そこにグレートマジンガーが番組の枠を超えて助けに来てマジンガーZはグレートマジンガーに役割を託すことになる」という大きく「前編・中編・終編」はまとめることが出来る。

よくに「節目」が明確でありシナリオを区切ることが出来るのはシナリオプロットと非常に相性が良いのが特徴である。
故に「ターンエーガンダムやGのレコンギスタを富野監督がやっても失敗している」となる。
いっちゃなんだが、ガンダム作品は非常に「劇場版作品向け」のシナリオ構成であり、「劇場版3部作」にしないとシナリオのバランスが悪いと思う。
逆にいえば「どうしても劇場版は嫌」というなら「短編OVA作品」位しか相性が良くない作品ともいえる。
つまり「キャラクターの相対関係とシナリオプロット構成その物がガンダム作品の弱点」とするなら「それが弦を伸ばして肥大化しないくらいの長さで完結させるのに向いた作品」ともいえる。
それ故に「機動戦士ガンダムはマジンガーZにはなれない」とも断言されている。
「リアルロボット・スーパーロボットの違い」以前に「シナリオ構成の構図がそもそも違う」となってどう工夫してもガンダムはマジンガーZにはならないのである。

これが「物語構成論」であり、一応小説風の教材も12年前には配布されていた(A4よりも小さいちょっと大きなメモ用紙ぐらいの大きさです)。

色々書いたけど簡潔にまとめると
「シナリオプロットを守らないと作品は破綻する」
「シナリオプロットを守らせるには節目となる区切りで細かに分けるのが理想」
「終始一貫して長編にするのは失敗の原因。短編4つぐらいを繋ぎ合わせて結果的に長編1本になっているのが理想」

といった感じですかね。
むしろこういう分野は角川書店のほうが上手いかもしれませんね。
故に「富野監督を担ぎ出してもガンダム作品が持ち返す保証はない」とも言えます。
今日はこんな感じです。
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