mixiユーザー(id:32212643)

2020年07月04日19:00

651 view

ガンダムSEEDの不評の理由

こんにちは、月影TAKAです。
今回は「ガンダムSEEDの不評の理由」について語ります。

これは後のガンダム00との比較にもなりますが、大きく不評と判断される理由の「カテゴリー」は大きく3つになります。

1.アニメ版の監督と監督の奥さんの横暴が過ぎて、無印ではまだ作品展開が大目に見られていたけど、種デスではシナリオが非常に低レベルであり後半では監督の奥さんの不調により回想録と打ち切りエンドの嵐で多くのガンダムSEED個人サイトが炎上した。

2.アニメ版原作と漫画版外伝の整合性が取れていない為、結果的に「原作派」と「外伝派」に二分した感じ。原作はそのままガンダムSEED無印と種デスのアニメ版である。対して漫画版外伝とは「ガンダムアストレイシリーズ」であり、主に「ロウ・ギュール」を主人公とした「レッド」と叢雲劾を主人公とした「ブルー」の2展開があります(レッドが主に漫画版、ブルーが主に小説版となりますが漫画版にもブルーフレームと劾はたまに登場し、小説の方にもロウは出てきます)。
で、原作は主に「監督と監督の奥さんの考えた世界もといお城」と化しており、他のスタッフからも「同人作品の延長線上みたいな出来の悪さ」と内心思われていた模様。また、監督は外伝の設定を入れることを快く思っていなかったのか原作には種デスの冒頭くらいにMSVの機体が出てくるくらいで、全然ロウや劾は出てきません(サンライズが勝手に作ったPVには出てきます)。
そして、原作の大ゴケにより外伝派はここぞとばかり原作信者を当時のネット上で徹底的に叩いたりしてSEEDの当時の個人サイトで大々的に炎上騒ぎが各地で発生。サンライズの一部が強引に鎮静化して個人サイトを封鎖してしまった事態が過去にありました。

3.作中内の「コーディネーター」という考え方に視聴者の一部が合わなかったことですね。一見すると「機動戦艦ナデシコ」や「機動戦士ガンダムZZ」でもコーディネーターみたいな考え方もあったのですが、いくら「悲劇的な作品」を作ろうとしても「製作者側の勝手な都合でむごいキャラクターが何人も作られる」事自体に視聴者の一部にも抵抗があるからですかね。そして、種デスの「デスティニープラン」という発想ですね。私個人としては「デスティニープランという発想は完全に製作チーム側の失態」だと思う。
何故なら「ガンダムアストレイシリーズをちゃんと知っていればデスティニープランに致命的な欠陥が設定上にある」ことは誰のみにも明らかですね。
それが「連邦製の戦闘用コーディネーター」や「ブーステッドマンという改造兵士」達であり、彼らの事情はデスティニープランには含まれていません。
つまり、彼らはプラント側のコーディネーターからも「彼らは同族ではなく、同じ形をした戦うだけの兵器です。兵器なら壊れるまで戦っていてください」という非道を作中内で突き付けた流れになります。
その根拠は「デスティニープランは平和なナチュラル市民やプラントのコーディネーター市民を想定した計画」という事になるからですね。
ナチュラルでも「自分に隠れていた先天的な善の才能」があればデスティニープランの世界でも生きられる出しょう。コーディネーターはなおのこと「優れた才能をあらかじめ付与されている」なら就職やこの計画内で優位種になります。
しかし、ソキウスをはじめとした戦闘用コーディネーターは本当に「戦闘用に身体を高め、戦争に必要な知識を英才教育(という名の洗脳)をさた一種の狂気の産物」であり、私生活もできなければ当然ながらデスティニープラン内での仕事の中で「背後に立っただけで他のコーディネーターやナチュラルを殺した」とかになれば一大事件となるでしょう。
これはガンダムSEEDに限ったことではなく、ランボー1作目のグリーンベレーの戦時中の内容でも語られています(大佐が「戦争は終わった」と静止させなければランボーはグリーンベレーの力で他の兵士を皆殺しにしていたでしょう)。
これらの事情がソキウスや戦闘用コーディネーターにも言えることであり、これがデスティニープランの致命的欠陥となります。


といった感じです。
これが当時中学〜高校生の間でガンダムエースを読みながらガンダムSEEDのアニメも視聴していた自分の考える見解ですね。
もちろん、「ガンダムエースの作品展開」はガンダムエースというように「ガンダム作品の作品展開プロフェッショナル揃いの雑誌」という面が非常に強く「ガンダムアストレイ」は本当に人気がありました。
おそらく「ガンダムSEEDという作品はアニメの方は腐女子や同人枠が展開を広げて人気を上げる反面、人気の大半はガンダムエースのガンダムアストレイが底上げしていた」というのが実状です。
ガンダムSEEDの展開は大体「アニメ」「CD」「漫画」「ゲーム」「ガンプラ」ぐらいかな。
まあCDはアニメ展開であり、漫画は「アニメを基軸としながらも漫画オリジナル展開」で作られ、ゲームは主に「漫画の外伝」が主軸となり、ガンプラはアニメと漫画の両面で展開されていた。
ここから「アニメと漫画は共生関係にあり、どちらかが不始末をやらかしたりすると両方とも仲良くお陀仏になる可能性がある」という関係がガンダムSEEDにあるからですね。
そのため、種デスの空中分解&事実上の打ち切りは本気で一部のガンダムSEEDファンを激怒させ、アニメ版信者を攻撃する理由となっていた。

まあ、ガンダムSEEDとはそういう作品だと思った方が良いです。
今日はこんな感じです。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する