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2020年07月02日07:24

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ガンダムSEEDの作品の癖

おはようございます、月影TAKAです。
今回は「ガンダムSEEDの作品の癖」について語ります。

実を言うと「ガンダム0080ポケットの中の戦争」についても同じような問題があるんですよね。
それが「回し撃ち」「銃の両手持ち」という極度のフィクション要素を盛り込み過ぎて演出に走っている問題ですかね。
特に種デスの「アウル」が1話目で見せたカッコつけの銃撃の打ち方は「嘘要素の塊」というカッコだけ演出になります。

これは「ガンスミスキャッツ」という漫画の再販番で語られており、主人公が一般人に対して「銃のインストラクター」をしている回があるのですが、そこで語られているのは「銃の2丁持ちは本来利点が無くて無駄が多い」「2丁を派手に撃つよりも、1丁を的確に狙って高速で手際よくリロードする方が理に叶っている」らしいです。

これには理由があり、ハンドガンには「ウェイト」という重心を安定させる重量配分があらかじめ決まっているタイプのハンドガンが多いです。
で、そのウェイトは本来バレル側に設定されており、これが重いほど銃のグリップを持った時にバレル側に重心が寄るようになっています。
本来、銃を撃てば炸薬の反動で上側に弾き飛ばされるからですね。
この上側に飛ばされる反動を抑えるために「〇ポンド」という形で先端の重量が設定されており、炸薬の反動が大きい弾を使うほど先端のウェイトを重くしないとまともに弾を発射できません。
故に自動拳銃でもリボルバーでも基本は「1丁両手持ち」が基本であり、その理由は「炸薬の強さとウェイトの関係から銃を正確に撃とうと思えば、そのっ重量を支えて反動を抑える必要があるから」ですね。
そのため、いくらアウルがブーステッドマンみたいな存在であり、特殊訓練を受けていたとしても「火薬式銃の法則」はどのアニメでも基本は一緒であり、下手に技術的に手を加えると「B級フィクション」扱いされます。
例えば「銃に重力制御装置を入れている」とかしても「アニメがキャラクターの動きを見せる作品」であれば「現実の法則を基準に人間の動きを考える(MSの動きとは言っていない)」となってしまうためですね。

それ故に、ポケットの中の戦争の「ガルシアの銃撃戦」においてもかなりのフィクションが入ってます。例えば「隠れるときにマシンガンの回し撃ち」に関しては「けん制としては効果はあるかもしれないけど、あれで狙って連邦兵士を倒せない」となります。
それに「大型の機関銃を両手持ちする」のも仮に2丁持てたとしてもそれで狙って撃つこともできません(基本的にはかなり派手なだけで、目くらまし目的となります)。
それでも、描写ではかなりの連邦兵士を倒している絵になっていますね。

ここから言えることは銃の講義ではなく「ガンダムSEEDの作品の癖」ですね。
簡単に言うと「キャラ見せだけがやたら目立って、作品としての役割や統率力が無い」という作品構成に欠ける問題がありますね。

例えばガンダム00では基本的に「主人公は刹那・F・セイエイ」であり、トレミーのクルーは重要度に差はあれど「刹那を支える援助者」というポジですね。
対して、相手側で言えば2勢力ぐらいあれば「ライバルポジはグラハムエーカー」であり「黒幕はリボンズ・アルマーク」という構成で、重要度は違えどイノベイドはリボンズの援助者となり、他のキャラクターはグラハムの援助者とはいかずとも、それぞれ話を進めるレベルの存在感となっていますね(セルゲイ・スミルノフが命を削るような戦い方をして刹那を殺そうとする演出はありませんでしたね)。

つまりこれが「作品プロットの一部」であり、「キャラクターの役割や影響度もプロットの一部」と考えていいです。「ガンダム00がまとまりが良い」と言われるのもこのプロット構成が優れているからとなります。

逆に「ガンダムSEED(無印)がそれなりにまとまっていた」のもあくまで「主人公はキラ・ヤマト」であり「黒幕がラウル・クルーゼ」という構成を守っていたからとなります。連邦の新ガンダム3機の演出は「強い強敵」という意味ではよかったと思いますね。

しかし、「種デスにまとまりが無く事実上の打ち切り最終回となった」のもこのキャラクター構成で完全に失敗したからですね。
まあ、8割が「監督と監督の奥さんのワガママ」という形で終わっていますが、そもそも種デスの作品構成上で「主人公は誰で、事件の黒幕は誰か?」という骨組みをしっかりしていないと大惨事を引き起こす良例となります。
まず、当初は「主人公はシン・アスカ」であり「黒幕はロゴスのロード・ジブリール」という展開だったと思います。デュランダル議長は「戦場を視察もする議長」程度で「政治面で展開できないシンの代わりに、政治面で黒幕を撲滅する代行者」的ポジだと思いますね。
しかし、「1冒頭からの演出上の問題」に後に監督と監督の奥さんが気づいてしまったんだろうな。
それが「フリーダムとカラミティガンダム達の戦いに巻き込まれてシンの家族が全員死んだ」みたいな演出を入れてしまった事ですね。
これでは「シンが主人公で、事件の黒幕がキラ・ヤマト」というキラに世界征服や破壊者としての衝動が無くても状況的にこの構図でなければ作品が成立しなくなってしまう問題があるからですね。
で、多分監督勢が「ちゃんと作品を成立させるために再びキラを主人公にしよう」と言い出したけど「キラを主人公にするという事は再びザフトに黒幕を作るのか?」としたら、そんな大がかりな設定変更をしたらそれこそ「作品の練り直しでアニメ作りが頓挫して事実上の打ち切りになる」となったと思います。そこで思いついたのは「政治的なポジで戦争に関与してそうな(戦争を撲滅する側であっても)キャラクター」というキーワードで当てはまったのが「ギルバード・デュランダル」だろうな。
多分ですが、「ユニウスセブン粉砕」までは普通の当初までのシナリオだったと思います。しかし、いざ作品が動き出してしまったときに上記の問題を監督たちが気づいてしまい、急遽「ザフトの特殊部隊がラクスを殺しに来る」という外伝話を入れて方向転換(キラに議長に対する不信感を抱かせて議長を黒幕に仕立て上げる)させようとしたのだと思います。
かなり無茶ですが「作品放送最初期の段階」ならおそらくそれは可能です。
それ故に「外伝話は突貫工事的に作画も安定してませんし、難しい展開は無い」と記憶しています(ただ単に、特殊部隊が「ラクス・クラインを暗殺しろ」とある筋から依頼されて任務を遂行しに来て、キラが撃退したという話だったと思います)。
そこから「ロゴス撲滅(デストロイ倒してキラのフリーダムを破壊する)までは作りだめしていた話通りに進んだ」流れで、後半は急遽突貫工事で入れた外伝の話に切り替えて「キラを主人公に戻した」という製作者側のご都合主義を押し通したと考えます。
まず、「種デスの打ち切り事情にはいくらかの問題が当時でも話題なった」となります。
例を挙げればこんな感じですね。

1.突貫工事でキラを主人公にした話を後半で新たに作ったばかりに、作品構成の練りが足りなくて事実上瓦解した。
2.元々のキャラクター相関図を一変してしまうような、オセロの裏返しに近いことをやらかすので、作品構成が崩壊したため。
3.1作目で作品の大半の事情や設定を語ってしまい、ただ単に3年後(最終回から2年後)と言われても対して世界は変わらい事から「作品の尺足らず」になったため。

と色々ありますが、事実上3.の内容は凄く深刻ですね。
「どうしてZガンダムが初代ガンダムから7年後なのか?」はまさにこの問題にかかわってきます。ようは「2〜3年」の間では世界は大して変わらないが「7年もたてば世界事情は大きく変わる」という法則があるため、7年後の世界ならまた最初から話を作っても「世界観の説明演出でいくらか尺が稼げる」からですね。「地球での事情」「宇宙での事情」「アクシスの事情」等ですね。

それと「主人公のシン・アスカが軍人としての訓練と教育を受けている」という点も尺足らずの原因です。
アムロ・カミーユ・ジュドー…キラもはじめは「民間人でガンダムに登場している主人公」であり、「主人公が軍になじんでいく」という演出も実は尺稼ぎに使えます。
対して初めから軍人だった主人公は「コウ・ウラキやクリスティナ・マッケンジー、シロー・アマダ」のようなガンダムOVA作品の主人公達であり実は「短編作品の主人公に向いている」主人公達となります。
理由は「民間人から軍人になれば知らないことが多くても、軍人としての訓練や教育を受けている主人公なら一般常識となっている」事が多く、それを毎回理解する尺分が軍人の主人公なら大幅が省略されるからですね。
等々があります。

今日はこんな感じです。
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