夜の昭和歌謡ショーの翌日。
レオマの朝食バイキングを食べ終えて、愛媛・新居浜へと。
道の駅、マイントピア別子で銅山までの道を確認して、とりあえずトロッコ列車と記念撮影(笑)
ここで車の人たちは専用バスに乗り換えて向かう人達が多いので、なんでかな?なんて思ってたら…
東洋のマチュピチュと呼ばれる別子銅山跡の東平(とうなる)までの山道、かなり険しく細く、しかも対向車とすれ違うには100mくらい坂道をバックしなければいけない所もあったりと…
そりゃあ、車をふもとに置いてバスに乗るはず!
しかし、
なんとか無事にたどり着いた!!
100年前に繁栄を誇った山奥の町。
銅山開発のために5000人が暮らしていた当時を想像しながら、そしてその歴史に触れながら散策する。
かつて、物資を運んだインクライン跡。
そして、険しい山の斜面の石垣やレンガ造りの建物跡が、なるほど東洋のマチュピチュと言われる所以なんだなって思う。
つづく。
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