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mixiユーザー(id:3196594)

2019年10月08日20:59

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ヴィパサナとは何ですか?

ーーー OSHOへの質問に、OSHOはこう答えました ーーー

ヴィパサナはとても単純だから、幼い子供でもできる。
実際、最年少の子供の方が、あなたよりうまくできるだろう。
子供はまだ、マインドのごみでいっぱいではないからだ。
彼はまだ、清潔で無垢だ。

ヴィパサナは3通りの方法ですることができる。
自分に最も適したものを選べばよい。

最初の方法は、自分の行為、身体、思考、ハートに気づいていることだ。
歩くときには、気づきをもって歩きなさい。
手を動かすときには、自分が手を動かしているのを充分に意識しながら、気づきをもって動かしなさい。
意識せずに、機械的に動かすこともできる。
たとえば、朝の散歩に行って、自分の足に気づくことなく歩き続けることもできる。
自分の身体の動きに、油断なく醒めていなさい。
食べている間は、食べるのに必要な動きに、油断なく醒めていなさい。
シャワーを浴びているときは、その冷たさに、降り注ぐ水と、その大きな喜びに、
油断なく醒めていなさい.....ひたすら油断なく醒めているのだ。
無意識の状態のままで、それらが起こり続けるべきではない。

マインドについても同じだ。
どんな思考がマインドのスクリーンを通過しようと、ただ見守る者でありなさい。
どんな感情がハートのスクリーンを通過しようと、ただ観照者にとどまりなさい。
巻き込まれてはならない。同一化してはならない。
良いとか悪いとか、判断してはならない。
それは、瞑想ではないからだ。
あなたの瞑想は、無選択の覚醒であるべきだ。

ある日あなたは、とても微妙なムードでさえ、見ることができるようになる。
ちょうど夜が、ゆっくりゆっくりと世界中に降りてくるかのように、どのように悲しみがあなたの中に落ち着くか。
ささいなことが、いかに突然、あなたをうれしくさせるか。

ただ、観照者でいなさい。
「私は悲しい」と、考えるのではない。
ただ、知っているがいい――
「私のところに悲しみがある。
私のところに喜びがある。
私は、ある感情、ある気分と直面している」。
しかし、あなたはいつも遠くにいる。
丘の上の物見(ものみ)だ。
そして、他のすべてのことは、谷で起こっている。
これが、ヴィパサナを行なうひとつの方法だ。

そして女性にとっては、それが一番簡単だと、私は感じる。
なぜなら、女性は男性よりも自分の身体により気づいているからだ。
それは彼女にとって、ただ自然だ。
自分がどのように見えるのか、彼女はより意識的だし、
自分がどう動くのか、彼女はより意識的だし、
自分がどんなふうに止まっているのか、彼女はより意識的だ
――彼女は優雅であることに、いつも意識的だ。
そしてこれは、単に条件付けではない。
それは、自然で生物学的な何かだ。

少なくとも2、3人の子供を身ごもった経験のある母親は、
ある時期を過ぎると、お腹の子供が男の子か女の子か感じはじめる。
男の子はフットボールを始める――ここかしこを蹴り始め、
彼自身を母親に感じさせ始める――彼は、自分がここにいるとアナウンスしている。
女の子は静かにくつろいでいる――彼女はフットボールもしなければ、蹴らないし、アナウンスもしない。
彼女は可能な限り静かで、可能な限りくつろいだままだ。
だからそれは条件付けの問題ではない。
なぜなら子宮の中でさえ、男の子と女の子の違いがわかるからだ。
男の子は興奮している――彼は、ひとところに座っていることはできない。
彼は、いたるところに行く。
彼は、あらゆることがしたいし、あらゆることを知りたい。
女の子は、まったく違ったようにふるまう。

第2の方法は、呼吸だ。呼吸に気づくようになることだ。
息が内に入ると腹がふくれ、息が外に出ると元に戻る。
第2の手法は、この腹に、気づくことだ。
呼吸による腹の動き......上がり下がりする腹への気づき。
腹は生命の源泉にとても近い。
なぜなら、子供は母親の生命とへそでつながっているからだ。
へその後ろにこそ、彼の生命の源泉がある。
だから腹がふくれるときには、まさしく生命のエネルギー、生命の泉が息とともに上下している。
この方法もむずかしいものではない。
おそらく単一の技法であるがゆえに、むしろ容易であるかもしれない。

最初の技法では、まず身体に気づかなければならない。
それからマインドに気づき、感情や気分に気づかなければならない。
そこには3段階ある。

第2の方法は、ひとつの段階しかない――呼吸が出入りするときの腹への気づき。
だが、結果は同じだ。
腹に気づくようになれば、マインドは静まり、ハートは静まり、気分は消え失せる。

そして第3の方法は、息があなたの鼻孔から入ってゆくとき、
その入り口で息に気づいていることだ。
鼻の先端で感じるのだ。
腹の対極で、鼻で、息を感じなさい。
入っていく息は、鼻孔に一定の冷たさを感じさせる。
それから息が出てゆく......息が入り、息が出てゆく......。

これでもよい。
これは、女性よりも男性にとって容易だ。
女性は、どちらかというと腹を意識している。
ほとんどの男性は、腹まで呼吸することすらない。
彼らは胸を上下させる。
というのも、 間違った体操が世界中に広まっているからだ。
たしかに、胸が厚く、腹がへこんでいれば、肉体はより美しく見える。
男性は胸でしか呼吸しないため、胸はさらに大きくなり、腹は引き締まる。
そのほうが彼をスポーツマンらしくさせる。
日本を除いた世界中のどこでも、
すべての運動選手とその指導者たちは胸式呼吸に力点を置くため、
胸を広げて、腹を引き締めようとする。
彼らの理想は、胸が大きく腹の小さなライオンだ。
ライオンのようであれ――というのが、体操選手や肉体に働きかけている人びとの規範となった。

日本は、「広い胸、引き締まった腹」に注意を払わない唯一の例外だ。
腹を引き締めるには特殊な訓練がいる。
だが、それは自然ではない。
日本は自然な道を選んだ。
だから、日本の仏陀の像を見れば驚くだろう。
それこそ仏像がインドのか、日本のかを即座に識別できる方法だ。
インドのゴータマブッダ像は、まさに運動選手のような身体をしている。
胸はとても広く、腹は小さく引き締まっている。
だが、日本の仏陀はまったく別だ。
彼の胸はほとんど沈黙している。
なぜなら、彼は腹から呼吸しているからだ。
だから腹のほうが大きい。
見かけはそれほど良くない。
というのも、世界に広まっている考え方は正反対で、非常に古いものだからだ。
だが、腹式呼吸のほうがより自然で、くつろいでいる。

夜、眠っているときには、胸でなく腹で呼吸している。
だから、夜がそれほどくつろいだ経験なのだ。
眠りのあと、朝には、とても新鮮で若々しく感じる。
というのも、一晩中、自然に呼吸していたからだ......あなたは日本にいたのだ!

これが2つのポイントだ。
腹式呼吸、腹の動きへの注意が体操選手のような見かけを破壊すると恐れるなら......
男性は、体操選手のような見かけの方に関心があるかもしれない。
それなら彼らにとっては、息の入る鼻孔のあたりで見守るほうが容易だ。
見守りなさい。
そして息が出るときにも見守りなさい。

これが3つの方法だ。どれでもよい。
もし2つの方法をいっしょにしたければ、そうしてもよい。
そのときその努力はより強烈なものとなる。
もし3つの方法すべてを同時にしたければ、それもできる。
そのとき、プロセスはさらに早まる。
が、それはすべてあなた次第だ――どれを楽に感じるか。
覚えておきなさい、楽であることが正しいのだ。

瞑想が定着し、心が静まるにつれ、自我(エゴ)が消え失せる。
あなたは存在するが、「私」という感覚はない。
そのとき、扉は開いている。
愛に溢れた憧れと、心からの歓迎とともに、
光明のその偉大なる瞬間――ひとの生における最も偉大なる瞬間――を、ただ待ちなさい。

それは来る......それは必ずやって来る。
けっして一瞬たりとも遅れることはなかった。
ひとたび正しい波長の中にあれば、それは突然あなたの内部で爆発する。
あなたを変容させる。古い人間が死に、新しい人間が到着したのだ。

Osho: The New Dawn , #16 の部分引用です

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