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mixiユーザー(id:31894606)

2015年08月25日20:28

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白峯・・・かこち顔なる わが涙かな・・・(崇徳院ぁ

「押し付け憲法論」(⇔自主憲法論)について 、、、

戦争で敗けて、被占領状態だった日本が、

主権を回復して、国際社会に復帰する条件として 、

アメリカが急ごしらえで作った憲法を受け入れ 、

東京裁判の判決を受け入れ、

いわゆる戦犯を処刑し 、

サンフランシスコ講和条約に調印し、

日米安保条約を結ぶなど 、

敗戦国としての「おとしまえ」をつけた事について、

「感情的に収まらないから」と言って、

いつまでも否定していては、国際社会が認めないという事、

現行の戦後国際秩序に対する挑戦であり、ムダな行為であるという事、

の喩えを 、

「雨月物語」の「白峯:しらみね」から引用するのが、木村草太首都大学東京准教授だ。

憲法学者 木村草太は 、

まず、東京裁判がいかに事後法(平和に対する罪・人道に対する罪)で裁いた判決であっても、

米英だって、悪い事(鬼畜な行為)をしたではないか?という反証があったとしても、

都市空襲や原爆投下が、無辜の非戦闘員を標的としたもので、明らかに国際法違反であっても、

その事などに、感情的に納得が行かなくて、いかに滔々と弁舌をふるっても、

(木村は、橋下徹がそうだと指摘する)
↓橋下徹の蹉跌
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945609077&owner_id=31894606

長引けば長引くほどに、醜いだけだという。

つまり、敗戦国の「おとしまえ」の諸条件を受け容れた以上、

国際合意に調印したことに対して、

スジが通っていないのだ。



「雨月物語」は、江戸時代後半の上田秋成の小説で、
「夢応の鯉魚」が素晴らしいので、私は何度も何度も繰り返して読んだ事がある。
↓憤怒の大魔王 (崇徳院)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1588887074&owner_id=31894606&org_id=1587568569



さて「白峯」は、

次のようなストーリーだ。

日本史上最大最強の怨霊である「崇徳院(崇徳上皇)」の天皇陵が、讃岐にある白峯陵であるが、、、

かつての家来にして、北面の武士・・・佐藤憲清改め西行・・・

出家して旅の歌人となった西行法師が、

旧主である崇徳院の菩提を弔うべく、その白峯陵を訪れ、鎮魂の経を唱える。

すると、にわかに、成仏していない「崇徳院」の霊が現れて、

怨みつらみを言いつのり、西行と、論争が始まる。



「保元の乱」で、崇徳上皇は、わが子を天皇にしようと画策するが、

謀叛として、武力で成敗されて、都から遠く讃岐に流され、失意の内に、果てる。



西行は、結果を見れば、謀叛に過ぎないと指摘する。

対して、「崇徳院の霊」は、西行がいかに言葉で理(ことわり)を尽くしても、

自分は、感情的に納得がいかない・・・『いかにせん』という。

実際、敗けた方が悪で、勝った方が正義だという結着をつけることが、

戦の目的であり、世の習いだとはいえ、一方的に断罪されることは、

敗者として、感情的に得心がいかないという事を、

西行とて、斟酌し難いわけではない。

そこは、大きく譲歩して、である。

歌人としても、天皇としても、ひとかどの人物であった崇徳院を知る者として、

あなたほどの人物なら、そのような感情的な拘りで、

怨みばかり抱くようなあさましい気持ちを、

きっと乗り越えることができるはずだと、

かつての治天の君に、尊敬の念を込めて諭すのだが、

かたや、 崇徳院は、中国の政道の古典を引きながら、反論する

二人・・・西行と崇徳院の怨霊・・・の論争は、延々噛み合わない。

西行は、一晩中かけて、崇徳院の霊を鎮魂しようと試みる。

明け方になって、崇徳院の霊は、雲に乗って彼方に消えていくが、

本当に崇徳院は鎮魂されたのかどうか、という釈然としない結末で、終わる。




そこで、木村は、この小説から得られる暗示として、

背景に敗戦の屈辱の物語があることを指摘する。

木村は、憲法学者であるが、法理ではなく、文学にその答えのヒントを見い出すわけだ。

『いかにせん』の気持ちは、自らが乗り越えなくてはならないものだ、という。

スジが通らない議論は、スジが通らないと論難し、「押し付け憲法論」を突き放さなければならない。

日本ほどの国(人々)なら、スジの通らない議論に拘ってしまうような

浅ましい気持ちを乗り越えることができるはずだという。

「押し付け憲法論」者とのコミュニケーションを促している。




かつて、ルソーは、近代戦争の目的とは、

相手国の憲法(領土を含む規定)を変更することにあると喝破した。



けだし、

改憲論がタブーではなくなった今なら、

まず、憲法解釈の変更ではなく、

96条の改正でもなく、

正面から、憲法を改正することが、

『いかにせん』の気持ちを、日本人自らが乗り越えることではないか?




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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年08月25日 22:49
     こんばんは。
     最近、「アメリカの戦争責任」 戦後最大のタブーに挑む PHP新書 竹田恒泰著 を読み終え、考えさせられました。
     「原爆を投下するまで日本を降伏させてはならない」がトルーマン大統領の本心だった。
     今あえて先の大戦における「アメリカの戦争責任」という難題に取り組むのは、何もアメリカをふんだんすることを目的とするものではない。
     日本が日本の過ちを知り、アメリカがアメリカの過ちを知ることで、本当の和解をすることが出来ると思うからである。
     よってこの探求は、日米友好の探求である。・・(「第一章」より抜粋)

     序賞 占領下。アメリカ大統領を「戦犯」と呼んだ男
     「第一級の戦犯はトルーマンだよ」
     大日本帝国陸軍に「戦争の天才」といわれて、世界から恐れられた軍人がいた。
     彼は昭和6年(1931)に起きた満州事変の首謀者で、柳条湖事件を自作自演で起こした人物として知られている。
     その名は石原莞爾。
     歴史の評価は分かれるが、彼が戦争にずば抜けて長(た)けていたことだけは間違いない。
     「戦争の天才」といわれたのは、指揮する日本の関東軍たった1万程度の兵で、近代装備を持つ22万の張学良軍を、僅か3ヵ月という短期間のうちに制圧し、日本の約3.5倍の広さがある満州全土を占領したからである。
     このことは世界中をあっと驚かせ、石原は一躍、時の人となった。
     当時、世界の有力な政治家や軍人で、石原を知らない者はいなかった。
     近現代戦争で3倍の兵力差があったら、小さいほうが健闘するのは無理といわれている。
     にもかかわらず、この男は20倍以上の大きい軍を相手に立ち回り、勝利を収めてしまった。
     ところが石原は、昭和12年(1937)に盧溝橋事件が起きると、支那事変の拡大を目指す東条英機と衝突した。
     この政争に破れて失脚した石原は、惜しまれながら軍人を引退すことになる。
     その石原が再び世界の注目を集めることになったのは、昭和21年(1946)、占領下で行なわれた東京裁判でのことだった。
     当初、戦争犯罪人リストに載っていた石原だったが、結局、リストから外され、東京裁判では証人として尋問を受けることになった。
     膀胱癌を患い東京飯田橋の逓信病院に入院中だった石原は、東京裁判初日の5月3日から、アメリカの検事から病室で尋問を受けた。
     その2日目のやり取りは、とても占領下で公式に発言されたものとは思えない繁樹的なものだった。
     冒頭で石原は、「もし、陛下が自分に参謀総長を命じたならば、日本はアメリカに絶対に負けなかった。 その時は君は敗戦国だから、我々の膝下にも及びつかないのだ」と言い放ち、検事を唖然とさせた。
     少し省略
     そして、尋問が始まり、いくらかやり取りしたあとで、検事が「今度の戦犯のなかで、一体誰が第一級とおもうか」と問うと、石原は「それはトルーマンだよ」と自信満々に答え、また検事を唖然とさせた。
     検事がその理由を問うと、石原は「わからないのか?」と挑発的な言葉を発して、1枚のビラを枕元から取り出して見せ、アメリカのトルーマン大統領が戦犯である理由を滔々(とうとう)と延端又。
     「米国大統領就任式に臨み”日本国民に告ぐ”とあろ。 ルーズベルトが死んだ直後だから5月ころのビラだ。 このビラはアメリカ軍が飛行機から落としたものだ。 この一帯はB−29で焼け野原になっていた。 こう書いてある。 『もし、日本国民が銃後において軍と共に戦争に協力するならば、老人、子供、婦女子を問わず、全部爆撃する、だから平和を念願して反戦態勢の機運を作れ』と。 トルーマン大統領名で書かれている。 これは何だ。 国際法では、非戦闘員は爆撃するなと規定があるにもかかわらず、非戦闘員を何十万人も殺したではないか。 国際法違反である。 このビラが宗だ。 立派な証拠である。」
     検事が「あれは脅しだ」と言うと、石原は間髪を入れずに、次のように畳みかけた。 「そうではない。 このビラのとおり実行したではないか。 東京では家はもちろん、犬コロまでB−29で、軍需工場でもないところまで非戦闘員を爆撃したではないか。 広島と長崎には原爆を落とした、これは一体どうしたことだね。 世界の道義に訴えて世論を喚起すべき性質のものであろう。 トルーマンの行為は第一級の戦犯だ。 一国の元首である大統領ともあろう者が、こんなビラを出したのは蛮行である」
     以下略。

     長文を上記本から入力しました。
     色々考えさせられました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年08月26日 04:59
    > mixiユーザー 
    この種の日記にコメントして頂く事は、誠に珍しい事で、ありがとうございます。

    崇徳院の霊(押し付け憲法論者)は、その感情の持っていくところがなくて、成仏出来ないのです。

    米英だって悪い事をしたではないかということを指摘することが、真の和解に近づく事なのか?

    これを克服する為には、日米安保を双務的に改正して、

    日本が、その国力に見合った国際貢献をすることは、

    単に、有事の際にアメリカの兵站(Military logistics )を担うことではなく、

    「有事の際の難民を、支援する」というような国際貢献もあるのではないか?

    という事です。


    遡って、1928年のパリ不戦条約以前は、
    植民地は、国際ルールの中で、合法でした。
    しかし、ヨーロッパでは、WW1のような、国家の総力戦の時代に、
    同じことをやっていては、人類が滅亡するところまでつき進んでしまうという事を、ヨーロッパが戦場になったので、身をもって実感したのです。

    対して、日本は、ロシアの南下拡大を阻止する為の日英同盟を根拠に、極東で、その勢力を拡大した。
    石原莞爾は、まさに、国際連盟の脱退や、パリ不戦条約を破棄して満州に権益を拡大するという、帝国主義を体現した人です。

    1928年までは、何ら違法ではありませんでした。

    それを、1931年以降に始めた事が、国際合意を破ったという事です。


  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年09月01日 11:00

    感情的に納得がいかない・・・『いかにせん』といって、いつまでも、不満を言うというクダリは、
    日本は、「他人のふり見て我がふり直せ」という箴言を思い起こさないといけない。
    韓国は、日韓条約で完全に最終的に解決した問題を、感情的に納得出来ないと言って、いつまでもグズグズ言う。ゴールを動かす。

    これは、国際的に醜い行為なのだ。
    戦争の清算として、
    過去と訣別する為に、
    主権国家が調印した条約を、
    国民・個人感情が納得しないと、
    蒸し返すことは、醜い行為なのだ。

    だからこそ、隣国を反面教師として、グズグズ言わないということが、
    日本の威信を高めることであり、国際的に信頼される国として認められるということなんだ。

    韓国という反面教師を参考に
    行動原理を画定して行くことによって、
    国の将来を誤ることがないのではないか
    exclamation

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